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竜頭――柔太郎と清次郎――  作者: 神光寺かをり
柔太郎と鷹女

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35/59

赤松鷹女

 あの()(げい)()の翌日の午後、はやくも柔太郎は自宅に戻って来ていた。

 父・(あし)()(かん)()()に肩を貸され、上田城二の丸口前の河合家の屋敷から木町の小路の一番奥の芦田家の()()(なが)()までの約四丁半(五〇〇メートル)を、どうにか我が脚で――半ば引きずられて――帰宅することができたのだ。

 といっても、そのまま日常生活に戻れるものではない。

 帰宅した柔太郎はすぐに普段使っている奥の一間に放り込まれ、普段使っている薄い蒲団の中に押し込められた。

 だから柔太郎にしてみれば、場所と蒲団と枕頭に座る人物が変わっただけのことだった。

 結局の所、状態そのものは前日と変わらない。

 むしろ竹刀で殴られてできた打ち身の内出血が青黒い痛々しさで、腕にも脚にも広がって、他人から見たなら症状が悪化しているように映るだろう。


「しかし、お前が()(げい)()なぞで()()()()()()にされたと言うから、何事が起きたかと慌てたが、(かわ)()様に事情を聞いてなんとのう得心がいったわ」


 溜息交じりの微笑が、勘兵衛の頬に浮かぶ。


()()()の娘の鷹のことだが、な……」


 柔太郎の枕元で勘兵衛は静かに話し始めた。

 ()(へい)()というのは赤松弘の前名だ。

 勘兵衛はこの友人の名を、出逢った若い頃のままに今も呼んでいる。

 弘の方も同様で、勘兵衛を前名の()(いち)(ろう)で呼ぶ。


「はい」


 柔太郎はかすれ声で返答した。


「結局のところ、今までお前に顔合わせをさせずにいたのは、すまないことだった」


 柔太郎はずっと(ひろ)()(たか)(じょ)として接してきた相手が、実は(あか)(まつ)(たか)(じょ)という人物であることを、昨日になって突如として知ったことになる。


 赤松鷹女という女性が存在することは知っていた。

 昨日まで顔も知らなかった。声も知らなかった。何を得意として何を苦手とするか、何を好んで何を嫌うのか、そういったことも知らない。


 一夜開けても柔太郎の胸の内では(けん)(ゆう)「広瀬鷹女」と婚約者「赤松鷹女」が重ならない。


「親同士が決めたような許嫁の間柄では、それがあたりまえのことですので」


 結婚が人と人ではなく家と家との結びつきであった時代、婚礼の当日まで相手の顔を見たことが無い、などということは、『よくあること』だった。柔太郎も、赤松弘の娘が、


『そのうちに親同士によって良き日取りが決められて、嫁いでくるのだろう』


 程度の認識でいた。


「ただ、あちらは私を以前から私を知っていたようです」


 ガサガサした小さな声で柔太郎が言う。


「お前は、ほー、()(じょう)を隠す必要がないのじゃから当然じゃ」


 つまり鷹女には身性を隠す必要があったのだ。父・赤松弘の徒目付というお役目柄ゆえのことなのかも知れない。


「兄御とは年齢(とし)が離れているとうかがいました」


 粗熱を取った(せん)(ぐすり)をヤカンから(すい)()みに移し替えていた勘兵衛は、ヤカンの傾きを正した。


「それはほー、()のヤツは最初の女房どのとの、鷹は後妻どのとの間の子だと」


「ああ」


『そういうことでしたか』と言いかけて、柔太郎は咳き込んだ。

 勘兵衛が慌てて吸飲みを差し出した。


「河合様から頂戴した。喉の妙薬だと」


 勘兵衛は息子の首を抱えて持ち上げ、吸飲みの飲み口を唇にあてがった。

 甘いような苦いような不思議な味の液体が、柔太郎の口の中に流れ込んだ。薬がひりつく喉にしみ込んでゆく気がする。


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