文系・理系
「赤松の父が俺を養子にしようと決めたのは、藩校での文武の成績が頭二つ三つ抜きん出ていたのが気に入ったから、だそうですから。……特にに漢書の方の」
「算学ではなく、漢籍の方で、か」
珍しいことだ、と柔太郎は小首を傾げる。
清次郎は文武の道は一通り「出来る方」であるが、特に幼い頃から算術と算盤に長けている事で有名だ。その才覚と言えば、
「芦田の次男は武士を止めて商人になる気らしい」
と陰口をたたかれる程のものだった。
そんな言葉を聞いても清次郎は涼しい顔をしている。
「武士にも算術は必要でございますよ。
例えば勝手方の仕事などには、算盤はなくてはな成らぬ物です。そも、勝手方掛のお歴々の手に算盤がなければ、我々は俸禄を頂戴できませぬではありませんか。
あるいは、大砲の弾道をあらかじめ算じておけば、陣の張り方も砲台の置き場も火薬の量も算段がつけやすい。
これこそ武士の仕事というものではありますまいか」
笑いながら理屈を返しさえする。
このよう返されたら、反論できる武士はいない。清次郎の言うことは事実だ。算盤武士は武士の世にはなくてはならない。
誰に対してもこんな調子で論破するものだから、そのうちに清次郎をからかう者はいなくなった。普通に話しかける者もまた、居なくなった。
上田藩・藤井松平家中の人々は清次郎の才覚を、良い意味でも悪い意味でも、認めている。認めざるを得ない。それどころか、近隣の他藩、天領・旗本知行地で学問を好む人々のうちにも名が知れている。
芦田清次郎は風変わりな天才である――。
遊学先の江戸で内田五観の瑪得瑪第加塾に入塾した清次郎は、程なくして塾頭になる。
驕ることなく、誰よりも熱心に学問をし続けた清次郎は、やがて学者の内では「知る人ぞ知る」存在になっていた。
清次郎の持つ算術の力が強いことを、多くの人々が知っているのだ。
だが赤松弘は清次郎の算術の力ではなく、漢学の力を買った。そのことが、
「妙に嬉しかったのですよ。初めて他人に認められたような気がして」
清次郎ははにかみ笑顔で兄に告げた。
「まるで実家の者がお前を否定しているように言うな」
溜息混じりに吐き出された柔太郎の声は、幾分か寂しげだった。
芦田家は柔太郎・清次郎の父である勘兵衛からして、藩校「明倫堂」で句読師を勤めるような学者肌の家柄だった。
長男の柔太郎も父を継ぐように儒学を学び、若くして藩内から選出されて江戸の昌平坂学問所で学ぶことを許されるほど優秀な人物だ。
ただこの親子の学問は、いわば「文系」だった。次男・清次郎が得意とし、好みとする算術、つまりは「理系」の学問とは部類が違う。
このことが、清次郎の心の奥隅にわずかなわだかまりになっている。
同じわだかまりは、実のところ柔太郎の胸の奥にもあった。
『私も本当は昌平黌ではなく、瑪得瑪弟加塾に入門して、算学や天文学や測量学や蘭学を思い切り学びたかったのだぞ』
その本音を、柔太郎は誰にも漏らさない。




