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竜頭――柔太郎と清次郎――  作者: 神光寺かをり
柔太郎と清次郎

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お店《たな》の棚《たな》

 (うえ)()(いけ)()(はた)(なか)(ちょう)()(ふく)(ふと)(もの)商・白木屋は、(しの)(ばずの)(いけ)(かん)(えい)()門前という(さかり)()に近いこともあってか、(みせ)(がまえ)は小さいが繁盛している。

 白木屋の客は、近隣の(おお)(だな)老舗(しにせ)()()の家人たちや、大名や大身旗本、寺社にまつわる人々が多い。そういう(もの)(もち)の家の者たちの衣服は当然ながら品の良いものでなければならない。白木屋の店先には高級品が並んでいる。

 他方、池之端には出会茶屋や貸座敷(ラブホテル)岡場所(非公式遊郭)陰間茶屋(男娼斡旋所)も多くある。花街であるから、華やかな装束も置かねばならない。

 あるいは(うえ)()(やま)(した)(現代の東京都台東区上野、JR上野駅周辺)のあたりまで行けば、私娼宿も多くなる。そういった見世の〝従業員(けころ)〟たちにも美しい衣装がいる。(その衣装などの代金こそが、彼女(けころ)たちの負債を増やして行く仕掛けになっているのだが)


 そういった訳で、白木屋は「地味に見えて高級な物」から、「派手に見えて手頃な物」まで、流行の最先端を行く美しい呉服(絹織物)太物(綿・麻・楮)をあつかうことになる。仕立てる職人も一流所が揃っている。


 そればかりではない。


(もの)(もち)の元には多くの(ほう)(こう)(にん)が働いております。()(いえ)やら()(たな)やらが大きくなれば大きくなるほど、下働きの者が増える。となれば、そういう人々のために多くの安くて丈夫な着物が入り用になるというわけで」


 (しら)()()(しょう)()()は、(しの)(ばずの)(いけ)(はす)の花を遠く眺められる茶室造りの離屋(はなれ)で語った。

 赤松清次郎が、


「自慢じゃぁないんだけれどもおれは着物に関してはこれっぽっちも目が利かないんですよ。でもこの()(たな)には廉価な(そういう)お品はないように見受けるんですよね」


 と(たず)ねると、白木屋はにこやかに、


「ええ、手前どもの(たな)(せも)うございますからね」


「いやぁ、そう言う意味(つもり)で言ったのではないんだけれども……」


「いえいえ、それは本当のことですから。ですから、せまい本店(ここ)の棚に置ききれない物は、別の棚へ別けて置けば良いのですよ」


「別の()()、ですか?」


「はい。本店(ここ)の外に、()を増やすのですよ」


「外……?」


 清次郎は自分が白木屋の言葉の一部を切り取ってくり返しているだけであることに気づいた。そのことが妙におかしく思えた。笑いそうになるのを、頬の内側を()んで(こら)えるくらいの配慮ができていることに、清次郎自身が驚いていた。


『このおれでも、人にものを教えることに慣れたかして、どうやら大人になったということかも知れんな』


 目の前に(たん)()する細身の数学者が、そんなことを考えていることに、白木屋は気付いてはいないだろう。


「番頭たちに()(れん)()けをしたり、兄弟姉妹親戚(家の者たち)に支店をまかせたり、大きな(たな)でなくても小体な店をいくつか……そうやって本店(ここ)には置ききれない品、蔵に入りきらない品を、外に置く(たな)を増やして置けばよろしい、と」


 やや自慢げに語った。


「商いを拡げに拡げると、それだけ白木屋殿も忙しくなって、道楽に割く時間が減るのではありませんか? そうなると、おれも内田先生も暇になってしまう」


 ニパッと、愛想と嫌味の混じった笑顔を作る清次郎に、白木屋はニタッと、愛想と悪巧みの混じった笑顔で返した。


「最近は(せがれ)が随分立派になってくれまして。仕事をほとんど任せきりにしても問題が起きません。ですから手前や女房などは、もう(ひま)(ひま)で」


「それでおれが呼び出される、と」


「ええ、おかげさまで好きな学問に打ち込めます。男の持つべきは良い妻、良い子ども、良い使用人、良い仲間、そして良い師匠でございますよ」


 言いながら、(ふところ)から折りたたんだ紙を出した。


「手前と愚妻は、この頃は暇つぶしに不忍池の(べん)(てん)さまによくお参りにゆくようになったのですが、そのお堂に額が奉納されておりまして」


 白木屋は紙を開くと、目線で上下を確認して清次郎の前へ置いた。


「その額に描かれておりました文様が、遠目には(しっ)(ぽう)(つなぎ)(がら)に見えましたものですから、近づいてみましたら……」


 紙の上には、大きな円の中に一部分が重なり合った三つの中くらいの円、大きな円と中くらいの円との三つの隙間に小さな円が描かれていた。


「図の横に『この中程の大きさの円の径が五であるとして、小さな円の径はいくつになるや』とありましてね。つまりあの額はどこかの算術自慢が奉納した算額であるのか、と得心した次第です」


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