スペア
理由と経緯はともかく、芦田清次郎は赤松家へ養子に入ることが(その時点では内々の事ではあったが)きまった。いずれは養嗣子・赤松清次郎となる。
とはいえ、養父・弘は存命で、今のところ隠居の予定もない。だから清次郎は今暫くは赤松家の家督を継ぐことはないだろう。
だが優秀な人材は、継嗣の段階で藩庁から召し出される事もある。
赤松家の継嗣に指定された清次郎が上田に戻って城詰めの武器庫管理の職に就くよう命じられたのもその制度の上でのことだ。ただし、十石二人扶持という微禄である。
赤松清次郎が持つ能力には全く見合わない職務であり、禄高だった。本人もそう思ったからこそ、この召し出しの命令を、
「上田城勤番など御免被る」
と公言し、公然と逃れる術を画策している。
家督とは「家の主」を指す。基本的に先代の「家の主」の死後、あるいは隠居が許された後に、あらかじめ継嗣として決められていた男子に継承される。継嗣にはよほどのことがない限りは長男が指定されるのが通例だ。
武家において、二男三男は「長男の予備」だ。使われる必要がない限り、用いられることが無い。
いや侍の家に限った話ではない。農民の家でも工人の家でも商人の家でも同じ事だ。
封建時代に男として生まれたなら、一人前の人として認められる権利は長男にだけしかない。仕事に就く権利も、だ。
二男より後の男児が一人の人間として認めてもらうためには、何処か別の家に入ってそこの長男になるか、何かに秀でた才能を発揮して家から独立することを納得させるよりほかない。
前者の難易度は高い。
男児の生まれなかった家、跡を継ぐはずだった息子が早世した家、何かしら息子に後を継がせられない深い事情がある家でなければ、他家から跡継を貰おうとは考えない。考えたとしても、まずは血縁のある親類縁者の中から候補者を選ぶことになる。他家の家の二男三男にお鉢が回ってくるのはそのあとだ。
後者の難易度はなおのこと高い。
国元に在勤する藩士――国侍――は特に、だ。
芦田清次郎ほどに突き抜けた才能を持つ人物であっても、おいそれとは藩と家の枠から抜け出させてはくれない。城詰めの下役で十石二人扶持という、どうしようもなく細く、どうしようもなく硬い鎖で縛り付けようとする。
清次郎はその細く硬い鎖から逃れるため、江戸遊学の継続を望んでいる。
それを、赤松家の長であり、赤松家を守らねばならない立場である養父の弘が後押ししているというのだ。




