るりか
美里達はその時、大家宅の玄関前で立ち話をしていた。
美里は興味のなくなったポーチを誰かに押しつけようと相手を探していたのだ。たまたま美奈子が玄関から出てきて、うまい具合にポーチの話題になった。
美里は無職で、毎日アパートの部屋でごろごろしている。家賃の滞納などはしないが、やはり無職というのは世間体が悪い。その上、愛想もない人間だったら誰だって警戒するだろう。なるべく、大家や美奈子には愛想よくしているつもりだ。
無職の内訳は恋人と別れて、会社も辞めて心機一転するつもりでこの町へ来た。ここで仕事を見つける予定だ、という風な事を美奈子にそれとなく伝えているので、大家の耳にも入っているだろう。結婚するつもりだった恋人と別れて会社も退職、というのが彼女達の中では、婚約者の浮気、相手は会社内の若い新卒の女の子、そして古株の美里は彼女に負け捨てられた、という風に変換されているらしい。それで、美里の事情に興味津々で、美奈子は何かと声をかけてくる。野菜をもらったりする時もあるし、おかずを分けてくれる時もある。入居して二週間だが、すっかり仲良くなっている。
美里がこの街に来たのは失恋のせいでも、退職のせいでもないが、好きなように想像して楽しんでくれればそれでいい。
「ちょっと、邪魔よ!」
野太い声がした。美里は慌てて振りかえった。コンビニの袋を持った女がいた。
「るりかさん、お帰りなさい」
と美奈子が言った。
「ふん」
るりか嬢は美里と美奈子をにらんで玄関の中へ入っていった。
美里は驚いて声が出なかった。
あんなに太っている人間がいるんだ。一瞬、相撲取りかと思ったが、よく見ると女だった。無意味にのばした髪の毛は腰まである。ブラシを入れているのか、ごわごわしてくしゃくしゃだ。胸よりも腹が出ているし、ノーブラだという事が一目で分かる。毛玉だらけのTシャツの下のほうで大きな乳首が透けて見えるのだ。膝に穴のあいたジャージはどう見ても学生時代の体操服だ。分厚いたらこ唇に、浅黒い肌は月面よりもごつごつしている。目だけは小さく、引っ込んでいるが、銀縁の眼鏡のガラスにひびが入っているのにも驚いた。
「ご家族?」
どうしてもどうしても好奇心に負けて聞いた。美奈子は恥ずかしそうに頷いた。
「旦那の姉なの」
「あら、そう」
「恥ずかしいんだけどニートってやつでね」
「ああ」
「働かなくてもいいと言われて育ったから……」
「ああ」
確かに大家はアパートの家賃収入と他にも土地持ちだと聞いたし、貸しビルもしてるらしいので、お嬢様は働かなくてもいいのだろう。
「お嬢様なんだ。うらやましいわ」
と美里が言うと、
「全くね。あんなお姉さんがついてるなんて聞いてなかったわ」
と美奈子が少し馬鹿にしたような感じで答えた。
「美奈子はいつご結婚されたの?」
「去年」
「あら、まだ新婚さんなのね」
「でも同居だし」
「いいじゃない。こんな大きな家なんだもの。探して歩かなきゃ、人に会えないでしょ?」
「あははは、美里さんて面白いのね。探して歩くは大げさよ。大舅に大姑、舅に姑、そしてあの小姑がいるのよ。いくら大きな家でも、あちこちに人がいるわ。大きな家に嫁いで贅沢だって皆は言うけどね。最初くらいは二人で暮らしたかったわ。それなりに夢があるじゃない?」
「愚痴くらいなら聞くわよ。暇だから」
「ありがとう。仕事どう? 見つかりそう?」
美里は肩をすくめた。
「駄目ね。ハローワークにも日参してるんだけど、なかなか。まあ、贅沢は言えないから。どこかで妥協しなくちゃね」
「そうね」
ふと会話が途切れた瞬間に、玄関のドアががちゃっと開いて、るりかの声がした。扉から半分だけ顔を出して、こちらをにらんでいる。
「ちょっと! 美奈子! お腹がすいたって言ってるじゃない! 何か作りなさいよ!」
美奈子は恥ずかしそうな顔で美里を見て、
「じゃあ」
と言った。美奈子が家へ入ろうと体の向きを変えた時、
「あんた! 何持ってんのよ!」
巨体の割に素早い動作で美奈子の手からファーのポーチを奪い取った。
「あ、それは!」
「もらったげるわ」
「それは美里さんにいただいたものだから……返してください」
るりかは美里をじろっと睨んでから、
「こいつは財産目当ての卑しい女だから、相手にしない方がいいわよ。それとも、あんたも何かおこぼれでももらおうと思ってんの?」
と言った。
すぐにうまい返しが思いつかないのは悔しい事だ。
しかしるりかのような女は次々に人を傷つける言葉が流れ 出てくるらしい。
美里がため息をついて、
「美奈子さん、まだ布は残ってるからまた作ってくるわ」
と言うと、美奈子は半泣きのような顔で、
「ごめんなさい」
と小声で言った。るりかはふんっと唸ってから奥へ消えた。




