白い犬2
ペット可のアパートに住んでいながら、と思うだろうが、ペット可だからってしつけをしなくていいというわけではない。三階建て、各部屋に四戸で計十二戸、実際入居しているのは十戸だが、犬、猫、フェレット、鳥、様々な小動物が飼われている。どこもおとなしく、臭いもしない。アパートの敷地内、通路などの共有の場所では抱いて移動する。もちろん、糞、尿などは部屋の中で、散歩での糞はきちんと始末する事、との事項が決まっている。
隣の女子大生だけがこれらをことごとく守っていないのを知るのに、一週間もかからなかった。ベランダに設置している犬のトイレは糞がてんこもり、臭いが風にのってこちらの部屋に流れてくる。もちろん散歩中の糞をそのままにして歩いて行くのを何度も見かけた。アパートの周囲をぐるぐると回るだけの散歩だから、糞、尿ともにその辺りですます。部屋の前につながれっぱなしの日は寂しいのかやたらと吠える。そんなに大きな声ではないので近所迷惑というほどではないが、隣の美里には非常にかんに障るのだ。
もう一週間で十分だった。
「ルルがぁいないんだけどぉ」
と女子大生の声が聞こえた。部屋の前で誰かに電話をしている様子だった。学校から戻って犬が首輪からすっぽり抜けているのに気がついたのだろう。
犬はご主人の声を聞き分けたのだろう。
「んー」と鳴きながら、玄関のドアの方を見た。
「えー? 逃げたのかなぁ? どーしよ。まじやばい。でも、今から紹介いくんだよね」
のんきな事を言っている。小さな臆病な犬が外の世界へ出たのに、もう少し心配してもいいのに。車にひかれるとか、誰かに連れて行かれるとか、心ない人間にいじめられるとか、心配事は山ほどあるだろうに。
美里は大きな目から涙を流している犬の狭い額をぴんとデコピンしてやった。
「ぐうっ」と犬が鳴いた。
女子大生は犬の失踪に大騒ぎもしなかった。
翌朝、部屋の前で会った時も美里に犬を見なかったとか、聞きもしなかった。やはり、ふんとした態度で腰をふりふり出かけて行った。
「あら、すてきなポーチね。真っ白」
大家の若奥様である美奈子が声をかけてきたので、美里はポーチを持ち上げて見せた。
「そうでしょ? フェイクファーなんだけど、安い生地を見つけたから作ったんです。手縫いだから縫い目ががたがたで、よく見たら恥ずかしいんだけど」
と答えた。
「あら、手作りなんてすごいわ」
美奈子はポーチを触ってなでた。ふわふわの毛がよい手触りだ。
「でも、安物だから変な臭いがするでしょ? 外国から入ってきた安い布かも」
と美里が言うと、美奈子はふんふんと匂うような素振りをしてから、
「そう? そんなに感じないけど」
「私、臭い駄目なんですよね。せっかく作ったんだけど、もう捨てようかなってレベル」
「あら、捨てるなんてもったいないわ」
「じゃあ、美奈子さん、いる? いらないでしょう?」
「あら、いるわ。もらえるの? いいの?」
「ええ、臭い、気にならないの? よかったら、小銭入れもあるけど」
美里はポーチの中から、がま口をぬいつけた小銭入れを出して見せた。
「あら、可愛い、いいの?」
美奈子がうれしそうに二つを受け取ったので、美里は苦労が報われたような気がした。
だって、皮をはぐのも、綺麗になめすのも結構大変だったのだから。




