目撃者
もちろん、失敗だ。美里自身もまさかこんな場所でこんな巨体を相手にするとは思ってなかった。
どうしてこう短気なんだろう、と美里はため息をついた。
壊れた自転車でこの巨体を運ぶなんて無理だし、るりかをこのままにして一刻も早く逃げるしかない。
周囲に視線を走らせる。多分、誰も見ていない。そう信じるしかない。どこの店もシャッターが降りてるし、と思ったら、チョコレート・ハウスと茶色い文字で書かれた目の前のガラスのドアが開いた。
「困るな、店の前で。西条さん」
と藤堂が言った。
「すみません」
藤堂は素早くるりかの体を店の中に引きずり込んだ。
「入って」
仕方なく美里も店内に入った。
藤堂はガラス戸を施錠して、ブラインドを下ろした。
隙間から入ってくる月の明かりがるりかの死体に一筋の光をあてた。藤堂が死体をひっくり返すと、るりかは目を見開いたままの表情だった。
「ずいぶんと大胆な犯行だね」
と藤堂が笑いながら言った。藤堂は一日中、笑顔もなく、無口な感じだったのでその笑顔に驚いた。美里は藤堂を見上げた。自分が背負ったリュックの中身を考えたが、美里よりも三十センチは高いこの男を仕留めるほどの獲物は持っていなかった。油断している相手ならともかく、美里の犯行を見て警戒はしているだろう。
藤堂が携帯電話を出してどこかへかけだした。
警察へ通報しているのは間違いない。
一瞬にして目の前が真っ暗になり、美里はその場へしゃがみ込んでしまった。
「もしもし、ああ、藤堂です。どうも、ちょっと今から出られます? ええ、新鮮なのが手に入りそうなんで……まあ、値段の交渉はまだです。新鮮ですけど、そんなにいい素材じゃないですけど……ええ。よろしく」
どこかの業者への連絡だったらしく、明日の材料の事かもしれない。だが美里は二度とこの店でケーキを運ぶ事もなく、それどころかケーキやチョコレートを食べることすら許されない場所へ追いやられるのだ。
藤堂の隙をついて逃げようか、と思った。床にしゃがんだまま藤堂を見上げた。
かちっと音がして、藤堂が煙草に火をつけていた。
「煙草、吸うんですか」
「え? ああ、普段はあんまり吸わないんだけどね。やっぱり、興奮するとさ、落ち着く為に吸いたくなるだろ?」
「え……はあ、そうですか」
ポケットから携帯灰皿を出して、灰を落とす。
暗い店内に煙草の火が漂い、差し込む月明かりがやけに赤く見えた。
「まいってたんだ」
と藤堂が言った。
「え?」
「こいつ」
藤堂はるりかの死体をこつんと蹴飛ばした。肉がぶるんと揺れた。
背後から突き刺したスポークがのどを突き通って前に飛び出していた。
「まじで、店をたたもうかと思うくらい、しつこくてさ。何百回断っても来るんだ。毎晩店の前で待ち伏せされたしね、話が通じないどころじゃなくて。この町で店を出した事を後悔しない日はなかったよ」
と言ってまた笑った。
だったら見逃してくれないかな、と美里は思った。
「君、決断早くていいね」
「……」
どんどんどんとガラス戸をたたく音がした。美里の心臓がまた跳ね上がる。警察が来たのだ。ついに捕まるんだ。年貢の納め時っていう言い回しは古いか、と美里はそんな事を考えた。逃げてもいいが、追い回されてみっともなく捕まるのは嫌だ。どうせなら正々堂々していようと、瞬時に思った。いつでもどんな時でも、美里は自分の犯した犯罪の贖罪は償わなければならないと思っているからだ。
藤堂が鍵を外しドアを開けると、二人の男が入ってきた。
すぐにるりかの死体に気がつき、しゃがみ込んで死体を調べ始めた。




