2 剣神ヘカティ
ソードパラダイスは神々が直接統治するという、一風変わった都市国家であり、広大にして危険な魔雲の地の中にある、唯一の大都市でもある。
ネムレスの言いつけでその都市へと向かう所だが、その都市を統治しているはずの神の一人と、いきなりばったり遭遇とか、どういう偶然だ。
いや、まだ遭遇してはいないけど。
「星の導きよ。有りえぬ事ではないぞ」
まるで俺の考えを読んだかのように、ドロカカが言う。
「あんた何者なんだ? 人の心を読む力があるのか? 生憎だが俺の頭の中を読んでも、エロいことでいっぱいだぞ」
歩きながら、ドロカカの方を向いて俺はきっぱりと言う。
「ただの勘だ。意図的に人の心を読む力など無いさ」
顎鬚をいじりながらニヤニヤしている黒肌のゴブリン爺。
俺達四人は、タール村から少し離れた場所にある山を登っていた。木の一本も生えていない、殺風景な岩山だ。
普通岩山と言ったら木は生えてなくても、苔や草くらいは生えていそうなものなのに、この山にはそれすら無い。山の中にもタールの池がそこかしこにあるし、その影響か?
「太郎さん、大丈夫ですか?」
唐突にディーグルが尋ねてくる。
「何が?」
「村の周辺よりタールの濃度が濃くなっています。大気にも充満しています。人によってはこの空気に耐えられないかもしれませんし、まだ子供の太郎さんのことも心配しましたが、わりと鈍感ボディーのようで安心しました」
「いや、最初は結構キツかったけど、もう慣れたわ」
ディーグルの話を聞いて、下界であった、海岸に沈没したタンカーの油が漂着しまくり、その作業中に何名か人死にが出たという事件を思い出した。
視界の開けた岩山であるが故に、邪神とやらの姿はわりとすぐに見つかった。
「あれか? 見た目は完全に化け物じゃねーか」
大入道のような巨大な黒い体が、激しく動いている。大入道よろしく岩山を覆いつくすほどではないが、それでもかなりの巨体だ。そしてタールの塊のような体の頭部に、目と口だけが確認できた。
「私も詳しいシステムは知りませんが、信仰を全く得られなかった神は、時として理性を失い暴走するようです」
信仰を得ることに腐心しても狂うが、信仰が無くても狂うとか、神ってとんでもなく欠陥めいたシステムじゃねーか。
「魔雲では珍しいことではありませんよ。解放の塔の出現率が高いので、神になる者は多いにも関わらず、人の数が少ないので、信仰が得られぬまま放浪している間に、おかしくなってしまうようですよ。信者のいない神が必ずしも暴走するわけでもないようですが」
その話は昨日も聞いたな。
「わざわざ神々を殺す旅と言って、ネムレスがここに来るよう指名したのは、このためかねえ」
ネムレスと会う前にいきなり遭遇するってのもアレだが。
大入道もどきの邪神は巨体を激しく動かし、明らかに何者かと戦っているのが見受けられたが、ここからではその相手が見えない。もちろん戦っている相手が、剣神ヘカティなのだろう。
「星が輝いている。やはり導きがあるかな」
ドロカカが意味不明な言葉をぽつりと呟く。
いつ頃から戦っているのかわからないが、どっちが有利でどっちが不利なのかもわからない。
「ディーグル、ゴージン、先に加勢に行け」
「承知」
「了解です」
俺の命を受け、ダッシュして一気に山を駆け上がる二人の従者。
「おいおい、俺はこの戦いを見届けにきたのに、あの二人を先に送ったら、見物する間もなく終わってしまわないか?」
笑いながら文句を言うドロカカだが、別にこいつに見物させてやるために来たわけでもないし、こいつが勝手に来たんだし、知ったことではない。まあ見物したい気持ちは俺にもあるけどさ。
しかしドロカカの心配は杞憂に終わった。戦闘場所に到着すると、未だケリがついていなかったのだ。
邪神を側で見てわかったが、こいつは巨大なタールの化け物だ。如何なる経緯でこんなことになってしまったのか。それともそういう奇跡を用いているのか知らないが、物理攻撃による斬撃や打撃や刺突があまり通じそうにない相手だ。
ゴージンの体はタールだらけになり、荒い息をついている。ディーグルは全くタールをかぶってないが、それでもあまり表情に余裕が無い。そんなに強力な神だったのか?
さらにもう一人いる。これが剣神ヘカティなのだろう。全身を黒い甲冑で身を包み、頭部もフルフェイスの兜を被っているので容姿はわからない。しかしそのスリムかつ均整の取れた体の線は、全身甲冑の上からでも女性である事がわかる。フルアーマーといっても、あまり厚みのあるものでもないし、間接部分はわりと隙間がある感じだ。
手にしたロングソードも真っ黒い刀身。何から何まで黒ずくめか。そのうえ敵も真っ黒なタールの化け物ときた。
「ディーグル、魔法で何とかならないのか?」
「先程から繰り返していますが、いまいちですよ。全く無効というわけでもないですが、巨大すぎる体と、ゾル状の体が厄介です」
スライムはゲルだから、物理攻撃が通じにくくても物理攻撃で倒せる理論。しかしこいつは基本液体だから無理ってことか。これだけでかいと、相当強力な魔法でないとキツいだろう。
「火で燃やすとか凍らせるとか、何か方法無いのか?」
「いろいろ試しましたが、火をつけても質量で覆いつくされて消されてしまいます。凍結もあれだけの巨体ではカバーしきれませんよ」
と、ディーグル。つまりあれだ。俺の出番てわけだ。
しかしどうしたもんかねえ。この巨体は確かに骨が折れる。俺自身がなるべくペインを食らわず倒したい所だが……無理か。
スケッチブックと鉛筆を呼び出し、真っ先に思いついた絵を描きだす俺。
「ほほう、何やら面白いな」
完成した絵のページが、スケッチブックから切り取られて、空中に浮かび輝く様を見て、ドロカカが感嘆の声を漏らす。
黒い巨体が瞬時に凍りつく。基本液体だから、低温には弱いだろうと見て、そういう絵を描いた。ディーグルが凍結魔法もいまいちと言っていたが、これだけ広範囲なら流石に効くだろう。
「今のうちにバラバラにしちまえ。バラしたら個別に壺か箱に封じちまえばいい」
と、指示する俺。
ある意味殺すより残酷な処置だがなー……。いくら正気を失った邪神とはいえど、どうにかできないものか。まあ、後で考えよう。
ゴージンと黒い甲冑の女剣士が、黒タールの化け物に切り込んでいく。一方ディーグルは離れた場所から刀の衝撃波だかを放っている。汚れたくないんだな……
黒い女剣士の攻撃に、俺は目を剥いた。凄まじいスピードで黒タールに突っこんでいくと、そのまま黒タールの巨体にぽっかりと穴を開け、体ごと突きぬけたのだ。そのうえそれを何度も繰り返して、凍った巨大タールを物凄い勢いで破壊している。こりゃまた何とも豪快だ。
凍り付いて動かなくなったタールの塊が、どんどん崩されていく。
相手にダメージを与える絵を描くと、俺にペインが発生するのだが、どうやらタールの凍結だけでは直接的なダメージになっていなかったので、それが無くて済んだ。
もしかして……タール自体は邪神の体ではなく、中に邪神の本体がいて、タールを纏っているパターンとかじゃないかな。まだわからんけど。
だが俺の推測はビンゴだったようで、崩されたタールの中から、貧相な小男が現れた。まるで乞食のようなぼろぼろの格好で、とても神とは思えない。一応種族は人間。
「ああぁああぁ……うああぁああぁっ」
しかもどう見ても気が触れているようで、ゴージンと黒剣士を見上げ、怯え顔で喚いている。よくよく見ると、口の端からは涎垂らしている。これが下界だったら小便もちびってそうだ。ここは小便も大便も無い世界でよかった。
「これはねえ、やっぱり狂ってますよ。この人は。きちがいの顔ですわ」
「邪神として落ちぶれた者は、心を失い、狂気にとらわれた者が多い。珍しいケースではないぞ。気が狂うたが故に、その強大な力を破壊の衝動へと費やす」
俺の下界ギャグが通じるはずもなく、ドロカカが真面目に解説する。
つまりこいつは、ネムレスが言っていた、心を失くした神ってことか。
「手間を取らせたな」
黒い甲冑の女剣士が柔らかい声で言うと、邪神の体を縦一文字に一刀両断した。
「狂ったままいるのも辛かろう。救いと知れ」
消滅していく邪神に向かって告げると、彼女は顔をすっぽり覆っている兜を脱ぐ。
兜の下から現れたのは、艶やかな黒髪が目を惹く、シャープな目元に鼻筋の整った面長美女。
「助太刀、礼を言う。剣で押し切るには面倒なタイプの敵だった。負けないまでも、斃すには時間がかかったろう」
照れくさそうに笑いながら、彼女は言う。見た目はお姉さまっぽいのに、声はひどく可愛らしい。はっきり言うと高めのアニメ声だ。そのギャップがいい。
「剣神ヘカティだ」
「ウィンド・デッド・ルヴァディーグルです」
「かつてこの地で爪を振ルいし戦士ゴージン也。南の地よリ還リし所」
「ドロカカ。ただの占い師だよ」
俺以外で自己紹介する面々。
「知っている名ばかりだな。御目にかかれて光栄だ」
そう言ってにっこりと笑うヘカティ。真顔だとクールビューティーな雰囲気だが、結構愛想がいい気がする。
「俺の名は知らんだろう?」
「いや、聞いたことがあるぞ。星を追う者と称する、変わった占い師の話。確かソードパラダイスの賢者にも、そんな名の者がいたな」
「おいおい、賢者は別人だよ」
「そうか」
皮肉っぽい口調で声をかけるドロカカに、ヘカティは言った。そして彼女の視線が俺へと向けられる。
「君は……幼いながらも神聖騎士のようだな。最後の凍結は君の奇跡か。君の仕える神は?」
流石に神だけあって、ヘカティは俺の正体を看破してきた。しかし仕える神まではわからなかったようだな。ラクチャのじっちゃんはそいつも見抜いたけど。
正体、言ってしまっていいのかな?
「敵対する神の神聖騎士かもしれないじゃないか。一応世間では邪神扱いされている神なんだぜ」
ネムレスだと判明した時の、嫌な空気を思い出す俺。当時の葉隠の市長の木村は、それだけで俺を殺すように言ってきやがったしな。
「太郎よ。案ずル事は無いゾ。ネムレスは魔雲の下では親しまレし神ゾ」
俺がバラす前にゴージンが勝手にバラしやがった。
「あのネムレスの神聖騎士だというのかっ」
ヘカティが驚きの表情になる。
「ネムレスは巫女と神聖騎士の双方を失ったと聞いていたが、生誕したのだな」
「未だ会えていないんだけどな。で、ソードパラダイスに来るよう言われて、向かっている最中だよ。あ、俺の名は新居太郎ね」
「そうか。私も丁度ソードパラダイスへの帰路についている途中だった。寄り道しながらではあるがな」
愛想のいい笑顔でヘカティが言い、俺の頭を撫でる。結構表情豊かなお姉さまだ。そして俺の撫でたくなる頭オーラが、また作動してしまったようだ。
「立ち入った事かもしれませんが、ソードパラダイスを統べる神ともあろう御方が、何故このような辺境におられるのですか?」
ディーグルが質問する。
「ある使命を帯び、私は魔雲のあらゆる場所をさすらっている。もう何年になるかわからないが」
遠い目で答えるヘカティ。
「使命を達したわけではない――どころか、まだまだ先は長いが、いい加減一人で延々と彷徨い続ける旅にも膿んでいたし、故郷に戻って身を休めたいと考え、帰路についていた所なのだよ。で、この山の麓にあるタール村で邪神が悪さをしているという話を聞き、討伐しに来たわけだが、タールの塊に身を包むという厄介な奴で、何時間も戦いっぱなしだった」
「その使命とやらが何か、聞いてもよいものなのかね?」
好奇心の塊のようなドロカカが尋ねる。
「地図を作ることだ」
はにかみながら、ヘカティは答えた。
「魔雲の下の隅々まで、正確な地図を作ること。それが私に課せられし使命だ」




