4 マリア
服従ウイルスはヨセフの体から消えたものの、完全に消去されたわけではないのが、あたちの感覚でわかる。どこかに移動したのだ。
しかしいずれにせよ、そんなこと、神かその下僕でなければ不可能だ。いや、魔法使いの中でも特別秀でた者なら、ある程度奇跡に対抗はできるかもしれないし、奇跡の種類によっては、長時間かけての儀式等を行えば、解除できなくもない。
とはいえ、あたちの服従ウイルスはその性質上、長時間かけて解除など不可能だ。解除しようとする試み自体が叛意と認識され、ペインを与え続けるのだから。
「きゃああああっ!」
悲鳴が少し離れた場所から響いた。
ヨセフから視線を離すことができないので、悲鳴の方を見ることができない。しかしこのただごとではない悲鳴は、強烈なペインによるものではないかと思われる。
「いやああああっ! あうぐぐぐぐっ! はああああんっ!」
振り絞るような声による悲鳴。やはりこれは間違いないれす。ペインの悲鳴。まさかこれは……服従ウイルスがもたらすペインによる悲鳴? つーかどことなくエロい悲鳴れすが……
あたちの頭が高速回転する。服従ウイルスは消えていない。つまり……誰かに移したということれすか? あるいは、誰かが移した?
「あぐぐぐぐぐ……いやああああっ! 別の意味でイッちゃううううっ!」
あたちとヨセフの睨みあいが続く中、女の悲鳴は終わることなく続く。やっばりそうとしか思えない。今、服従ウイルスの影響下にあるのは、悲鳴をあげている女の方だ。
不意にヨセフの表情が歪む。怒りとも口惜しさともつかぬ顔。
「やめろ! 俺の負けだ! お前のかけたおかしな術を解け!」
ヨセフが短剣を足元に放り投げ、両手を上げた。
「無理れす。あたちにも解くことはれきないのれす」
服従ウイルスの制御は、あたちにも不可能だ。相手が屈することなく抵抗し続ければ、相手はそのうち死ぬし、あたちにもそれをどうすることもできない。まあ死んでも屈しないと言って耐え続けた者など、今までほとんどいなかったが。
「どんな力を使ったか知らないれすが。あたちの服従ウイルスをお前の体に戻すのれす。さもないと、今ペインを食らっている人が死ぬれすよ」
ヨセフが抵抗をやめても、別の人間に感染している状態では、そしてその人物が抗っているなら、服従ウイルスはその人物に作用するようだ。こんなケース初めてなので、あたちも推測でしか判断がつかない。
「マリア、解除しろ! お前を失いたくはない! 頼む!」
ヨセフが悲痛な声で懇願する。鉄面皮の冷徹な暗殺者かと思ったら、こんな一面もあったのれすか。
悲鳴がやんだ。服従ウイルスが近くに――ヨセフの体内に戻ったのも、あたちは確認する。
今のやりとりからして、ヨセフの力ではなく、悲鳴をあげていた女の力で、ウイルスをヨセフの体から抜き取ったのであろう。そのうえ抜き取るだけではなく、自分の体へ移した。そういう力。
「マリアというのは巫女れすか? 呪縛の類を自分の体に移す奇跡でももってるのれすか」
「ああ、ヌプヌプの巫女だ。あいつの奇跡は、ペインの肩代わりだ。致死量のペインですら瞬時に奪い、己の身に引き受ける。究極の自己犠牲の奇跡だ」
あたちの問いに、ヨセフは正直に答えた。慈愛の男神ヌプヌプれすか。慈愛と同性愛を司る男神らと聞いたことがあるれす。神としてはマイナーな方れすが。
つーかヨセフにマリアって、こいつらのネーミング、縁の力の作用によるものなのれすかね。それとも偶然か。ヨセフの赤い目を見た限り、人間とはいえ、地球人ではないように思えるれすが。
「マリアって誰だ?」
山賊の一人が尋ねる。
「俺も初めて聞いたな」
と、ラッセル。しかし、山賊達を見渡すと、明らかに知らなさそうな顔をしているのが多数だが、中には知ってそうな表情の者もいる。
「あんたの恋人れすか?」
「違うが、俺にとってかけがいのない存在であることは確かだ」
尋ねるあたちに、ヨセフは真顔で答えた。思わず口笛を鳴らすあたち。
「あー、苦しかったです。胸がびくんびくんでした」
声と共に、先程ヨセフがやってきた方から山賊達の間を割って、一人の少女が現れた。
歳はおそらく十三、四歳くらい。可愛いといえば可愛いが、際立って美少女というほどでもない。中の上といったくらいの容姿。小柄で金髪碧眼。
呪紋の刺繍が施された真っ白な絹のブラウスを着て、同じく呪紋を柄のようにプリントされたロングスカートをはいている。知識の無い者が見れば普通の服に見えるが、彼女の着ている服は間違いなく、強い魔力が宿った魔具だ。
さらに目を惹くのは、彼女の右腕に撒きついた、大きな白い鳥の翼が生えた、白く輝く鱗を持つ蛇だった。
「始めましてー。私は慈愛の男神ヌプヌプに仕える巫女、マリアと申します。この子は私の使い魔のガブリエルです」
マリアが深く頭を垂れてお辞儀をする。紹介された使い魔の蛇も鎌首をもたげてから、ゆっくりとお辞儀をする。
「あたちはネムレスの巫女リザレれす。姫と呼べれす。こいつは使いッパの優助れす」
「やったっ、僕、姫の使いッパに昇格した! ゲームの中だけでなくリアルでも認めてもらえたよっ!」
あたちの紹介に無邪気に喜ぶ優助。
「どひゃあーっ! あ、あ、あのネムレスの巫女ですってーっ!」
両手を曲げて体を傾けて大袈裟に驚くポーズを取って、さらに大袈裟に叫ぶ。それに合わせて蛇も大口を開けて、驚いているかのような顔を見せる。マリア自身のオーバーリアクションもどうかと思うが、使い魔まで主に合わせるとか……。つか、どひゃーって……
「ひょっとしなくても、あんたが山賊団の陰の首領れすね」
「いやいやいや、そんな大それたものではないですよ」
「その認識であってる。ヨセフ山賊団の全ての方針は、そいつ――マリアが決めたんだからな。マリアの存在を今まで知っていたのも、俺の直属の部下だけだ」
指摘する私に、マリアは両手を顔の左右に上げ、慌て顔で首を横に振ったが、ヨセフがあっさりと肯定した。
「あの娘が俺達の本当のボスってことは、ヨセフはお飾りのボスだったってことか」
ラッセルが呻く。
「そういうことれすね」
頷くあたち。
「殺しが御法度であったり全てを奪わなかったりするルールを決めたのが、その子というわけれすか」
「ああ。俺は殺すことに躊躇いは無いが、こいつを悲しませることはしたくない」
臆面もなく言ってみせるヨセフ
何で暗殺者にしか見えないヨセフが山賊しているのか。また不殺や全て奪わずなどといった、優しい山賊指示をしているのか、かなり謎だったが、マリアの方針だと言われれば納得がいく。
「ちっ、ラブラブれすね。見せ付けやがって」
「ちがいますよーっ。そういう仲ではありませんっ」
マリアが顔を真っ赤にしてぶんぶん首を振る。相思相愛なれど、互いに歩み寄るに至らずといった関係れすかね。
「謎なのは、貴女がヨセフを通じて、陰から山賊達を操っていた理由れす。巫女ともあろう者がどうちてそんなことをするのれす?」
「操ってたとか、そんな言われ方は心外ですよー。シクシクです」
わざわざ目に手をやって泣く真似をしてみせるマリア。慰めるかのように、マリアの目元にチロチロと舌を這わせるガブリエル。何れしょうねー……ちょっとこいつら見てるとイラッとするのれす。
「貴女みたいないい子ちゃんがこんなことをするのは、何か相当大変な目的があってのことなんれしょ?」
いい子ちゃんと言うよりはアホの子という印象だが、そういうことにしておく。
「はい。我が主たる神をびしっと討つためです」
急に表情を引き締め、決意に満ちたマリアのその一言を聞き、流石のあたちも驚いた。
「叛逆の神殺しを目指すとは――貴女の主が心を失ったかられすか?」
神々は信仰を得るために、信者達の理想の神であろうとすればするほど、次第に心を失っていく。信者達の思い描く神という存在に固定されてしまい、自由意志も無く、神のイメージに固定されてしまう。それが神の心の死だ。
前世であたちは、あたちの主神であるネムレスと共に、心を失った神々と何人も戦い、解放してきた。ようするに殺してきた。そのおかげでネムレスは、神殺しの神の汚名を被り、一部では忌み嫌われるようになってしまった。
「ヌプヌプ様は元から結構おかしい神様でしたが、どんどん頭がおかしくなっていって、気がついたらぬぷぬぷすることしかしなくなって、もうとっても不潔なんです。完全に頭がパーでラリラリです。もうこりゃ引導渡すしかないって、私は思ったんです。正常だった頃のヌプヌプ様も、きっとそう思うはずです」
この子、喋る時に擬音がやたら多いが、ぬぷぬぷするってのは何の意味れすかね……。とっても下ネタな気配を感じるれす。
もちろん現在の戦力――百人程度の山賊では、到底神を滅ぼすなどできやしないし、マリアもそれをわかっているだろう。彼女はより大きな力を求めている。あたちと同じだ。ワインヌ山脈の山賊をひとまとめにしたのは、その足がかりでしかない。
「相対していた立場ではありますが、お願いがあります。ヌプヌプ様の討伐に、お力を貸していただけないでしょうか?」
あたちが予想していた台詞をマリアが口にする。
「もし、神殺しの神ネムレスの巫女である貴女が手助けしていただければ、神殺しの現実味もどどーんと一気に増します。是非お助けください。そうすれば私、何でも言うこと聞きます。えっちなことは苦手ですが、体が欲しいと言うなら、ぬぎぬぎします。もみもみもさすさすもします。お姉さまとも呼びます」
「いや、もういいから……」
何か変な方向に話をもっていこうとするマリアを、あたちは制する。ていうか、もみもみはわかるけど、さすさすって……
「つまり山賊団を餌にあたちを釣った形になったわけれすか」
山脈一つにまたがる大人数の山賊団ともなれば、そのうち強者が引っかかり、自分の元へとくると、そう計算していたのだろう。
「その辺はヨセフの案ですよ。私お馬鹿ですから、他の人みたいにくるくる頭回りません」
マリアの台詞に合わせ、ガブリエルがバネのような形になってくるくると回る。マリアに合わせて展開される、ガブリエルのこの芸は一体何なのか……。いくら使い魔といえど、普通ここまで息がぴったり合うものではない。
「ヌプヌプに神聖騎士はいないのれすか?」
「います。しかし残念ながら、彼はヌプヌプ様にぞっこんで、変態で、とっても不潔で、ヌプヌプ様とぬぷぬぷな間柄でして、ヌプヌプ様が心を失ってからは、二人して毎日狂ったようにぬぷぬぷです。不潔です。ううう……」
片方の手を目の下に当てて泣き真似をする一方で、もう片方の手の人差し指と親指で、輪っかを作るマリア。その輪の中に、ガブリエルが頭を突っこんだり引いたりとインアウトを繰り返す。この子、結構下品れすね……
「ねえ、姫……ぬぷぬぷって……」
「お前は黙ってろれす」
口を挟んできた優助をあたちは睨みつけた。
「ようするに神聖騎士の方は、心を失った神であろうと、忠誠を誓っているわけれすね。つまり戦うならそいつも敵になると」
神と下僕が愛し合う仲になるのは珍しくない。かつてあたち達らってそうだったし。しかしボーイズラブな神ってのはちょっと嫌なもんがあるれす。
「しかしヌプヌプを殺してしまうと、貴女も巫女ではなくなってしまうのれすよね。それが困り者れす。ヌプヌプの問題を解決したら、貴女にもあたちの下僕として働いて欲しいれすが、貴女の奇跡の力はとても強力で、手放すのが惜しいれす」
「そう言われても……私はヌプヌプ様を放っておきたくはないですし」
「一応心を失ったといっても、助けることもできなくもないのれす。完全に心を失ったらもう殺すしかないれすが、前例はわりとあるのれす。例えばあの有名なラクチャ神らって、一時期心を失っていたのれすよ」
ていうか、もっとはっきりとぶっちゃけた方がいいか。
「えっとれすね。ヌプヌプ討伐に手を貸しても構わんれす。その代わり条件が二つあるのれす。一つは貴女とヨセフ山賊団は全て、あたちの下僕になること。もう一つは、ヌプヌプはできれば殺さない方向でいくことれす。貴女の奇跡は、ペインを身代わりで引き受けることれしょう? 残酷な力れすが、使い方次第では強力無比れすし、その力を失わせるのはもったいないのれす」
ぶっちゃけてみた。
「そう……ですね。私もヌプヌプ様を殺したいわけではありませんし、救えるものでしたら是非お願いしますっ」
マリアが両手を膝の上に揃えて深々と頭を下げる。
「俺達を支配下において、何をさせる気だ?」
それまで黙って話を聞いていたヨセフが問う。
「もし俺に乱す者をやめさせて、退屈な日々を過ごさせようってんなら、このまま殺してくれ。俺には無理だ。そいつは文字通りの地獄だ。これはマリアにも言った」
乱す者なのだから、その辺の理屈はわかるれすが、優しい山賊でも満足できたのだろうか?
「こっちの世でもあっちの世でも、俺はまともに生きられないサガだった。どっちの世界も狂ってる。こっちで乱す者になって、奪う者になって、やっと俺は満足できる生き方を手に入れたんだ。それを奪われるなら、死んだ方がましなんだよ」
ヨセフの声に、かなり重い響きを感じる。彼にとっては切実な問題ということか。
「停まり人になれとは言わんれすよ。取りあえずしばらくの間はあたちの言うとおりに動いて、それでもなお合わないというのれしたら、ウイルスそのものも解除してやるれす。これはあんたらけじゃなく、全員共通れす。ただし、しばらくは絶対服従させるれす。他の者も同様れす」
山賊達を見渡して、あたちは宣言する。
「余程俺達を楽しませてくれる自信があるんだな」
ヨセフの傍らにいた山賊が不敵に笑いながら言う。
「満足して仕える主となる自信もあるれすよ」
あたちもにやりと笑い、堂々と言ってのけた。
***
こうしてあたちは、ヨセフ山賊団98人を配下にすることに成功した。冥府の支配者になるというあたちの目的も一応述べておいた。リアクションはまあ、お察し。
山賊はやめさせる。あたちの配下に山賊団など不要だし、彼等に働いてもらいたいことは、もう決めてある。
で、元山賊達全員とヨセフ達のアジトに厄介になる。もちろん寝床は足りないので、大半の者が野宿だが。
「カクテロ遺跡がどこにあるかわかるれすか?」
ヨセフとマリアを前にして、あたちは尋ねた。傍らには優助もいる。
「わかるが、まさかあの高難度ダンジョンに潜るつもりか?」
ヨセフがあたちを睨む。
「下僕になりはしたが、命を道具のように扱う輩が主ではたまらんぞ?」
「そんなこたーしねーれすよ。で、どうなんれすか?」
「知っている」
よしよし、探す手間が省けたのれす。
「姫、カクテロ遺跡って何なの? 山賊皆でダンジョン攻略するってこと?」
「もう山賊じゃねーれす。攻略することは確かれすが、皆で潜るわけじゃないれす」
尋ねる優助に、あたちが答える。
「ワインヌ山脈の中でも、魔雲近くにあるという、すげーヤバいダンジョンれす。超強い魔物がいっぱい住んでいて、冒険者達の間では有名で、最高峰難易度に位置づけられているのれす。んで、古代遺跡であるが故、古代のテクノロジーや知識も眠っているのではないかと見ているのれす。あたちの目的はそれれす。ただの財宝もあれば取っておくれすがね。今後の活動資金になれば言うことないれすし」
「あの世にも古代文明があるんだ……」
意外そうに言う優助。
「古代の知識は現代にほとんど伝わってないれす。一部で秘匿されている傾向もあるれす。興味を抱く者はそれなりにいるのれすが、遺跡はダンジョン化していて、冒険者が入っていくしかないのれす。未発見の遺跡も多いれすし、遺跡に必ず未発見の古代文明の知識があるわけでもないれす」
「カクテロに至っては、遺跡の中の魔物は出てこないが、遺跡の中に入って出てきた者はほとんどいない。数少ない帰還者も、二度と入る気にならないという話だ。魔物の強大さはもちろんのこと、数も多く、おまけに侵入者を魔物達で協力して撃退しにかかるという話だ。魔物達で文明を築いているという噂もあるな」
あたちとヨセフの二人がかりで解説する。
「えっと……ヌプヌプ様討伐の話は……」
言いにくそうに切り出すマリア。
「物事には順序というものがあるのれす。第一、今いきなりヌプヌプに戦いを挑んで、絶対に勝てるという確信が貴女にはあるのれすか? 向こうには神聖騎士もいるのれしょ?」
「いえ……」
「今は力を貯める時れす。あたちを信じろれす」
「は、はいっ。すみませんっ」
力強い声で念押しするあたちに、マリアは勢いよく頭を下げて謝罪する。
百人近い配下、その中には強力な暗殺者と、巫女を一人げっと。悪くない出だしれすね。




