63 涙のシントロピー
「片付いたようだな。まあ、あの程度の輩に敗北しているようじゃあ話にならんが」
いつぞやと同じ、魔物の石像が建ち並ぶ西洋風の街にて、俺を見下ろしながらネムレスが偉そうにのたまう。今日のネムレスは、清潔感あふれる薄い緑のワンピース姿だった。もちろん女な。
「もし敗北していたら見捨てたのか?」
「勝つと信じていたということさ。僕の言い方に、偉そうだ上から目線だと意識して、いちいち食いつかないでくれ。僕はこういうキャラだと理解しろ」
微笑みながら答えるネムレス。
「葉隠での戦い、お疲れ様だ。親しくなった者と別れの挨拶なりを済ませて、北の地へと向かってもらう。魔雲の中へな。ああ、魔雲内には君が作る飛空船での進入は危険だ。魔雲に覆われた北の地の大半は、大森林地帯となっていて、木々の中には雲を突き抜けてそびえたつ物もある。地形的に馬車も難しい。徒歩で来るように。その辺は、魔雲に覆われた北の地に詳しい、ゴージンやディーグルに聞くといい」
来るべきものがとうとう来たようだ。葉隠とのお別れだ。
「北の地とやらに来て、何をしろってんだ?」
「まずは僕の元へと来てもらう。魔雲の中にある唯一の都市に僕はいる。君の従者にガイドしてもらえ。その後は、いよいよ神狩りだ」
ネムレスの笑みが微妙に歪む。
「フェンリルも言ってたけど、神狩りって何なんだ? どうしてそんなことをする?」
「心を失くした神を解放するのだ。悪いことではないから心配するな」
「そのフレーズも何度か聞いたが、心を失くした神って何だ?」
ラクチャもかつて心を失くした神であり、ネムレスによって正気を取り戻したようなことを言っていた。そしてそれは神々の恥部だと。
「それは実際に御目にかかってから説明した方が、インパクトもあるし演出としてもよいのだがね。どうしても今聞いておきたいかね?」
「予習は大事だぜ。その心を失くした神とやらに、ネムレスと会う前に遭遇するかもしれないしな」
その際に、無知故に対処を誤ったという事にならないためにもな。
「神というシステムの欠陥だよ。我々は信仰を糧とする。だが信仰を集めていくに連れ、神々はより多くの信仰を求めんとして、信者達の理想の姿になろうと心がける。元々人間であったにも関わらず、人としてのメンタルは次第に希薄になっていき、機械的に反応するだけの存在と化す。感情も消える。文字通り心そのものが消失する。そう、知能はあっても情の無い、反応するだけの存在になるのだ。人々の心にある神という設定に沿って反応し、信仰を得て力を伸ばすだけ。それが心を失った神だ」
語りながら、ネムレスの表情が曇っていくのが見えた。
「僕の弟ユメミナも神であることは知っているだろう? 僕と長きに渡って対立し、僕との戦いの末に死んだことも。あの子も心を失ってしまったんだ。僕と一緒に解放の塔へと挑み、僕と一緒に神になった。年月の経過と共にユメミナは心を失い、人々が心に思い描き、求める神の像そのものへとなっていった。ただそれだけの存在となっていった。あの子の魂を解き放つには、殺すしかなかった」
ラクチャが神々の恥部と言っていた理由はわかったな。もしその事実が人々に知られれば、信仰を糧にする神という存在の土台も揺らぐかもしれない。
「ラクチャは殺さなくても解放できたんだろう?」
「彼は運が良かった。完全に心を失くしきったわけではなかった」
時間の経過なのか、それとも環境にも影響するのか? いずれにせよ、ネムレスの弟のユメミナは無理だったわけか。
「その話、神々以外に知る者はいないのか?」
「ディーグルは神々の秘密を知っていると思われる。神殺しと称されるあ奴は、数多の神々を屠ってきたが、その多くが心を失くした神であったしな。恐らくは魔王シリンも知っているであろう」
「まるで呪いだな。神になった者へかけられる呪い。ネムレスやラクチャを見た限り、防ぐこともできるんだろう?」
「呪いのようではあるが、防ぐのは実は容易い。自覚しておけばいい。人としてのメンタルを失わなければいい。信仰欲しさに心まで神のそれになろうとすると、神を演じようとしてしまうと、人の心が失われていくという仕組みだ」
神が心を失う原理がいまいちわからなかったが、そこまで説明されて、ようやく理解できた。カルト宗教の教祖様と同じだ。最初は金儲け程度のつもりが、崇め称えられているうちに、本当に心の底まで教祖様へと変わっていくというあれが、もっと極端になったようなものなんだろう。多分。
ネムレスは弟の件もあって、そんな神々を救おうとしているというわけか……神殺しの神という悪名まで背負って。
「で、北の地行けばリザレとは会えるのか?」
最も肝心な質問を口にする俺。
「何だね、君は。アリアに懸想しているのだし、もうリザレはいらないだろ」
「いや……いるから」
ムッとした顔になるネムレス。何でわかってくれないかなー……
「何時に来いと時刻指定はしない。やるべきことを済ませてから旅立つといい。僕も君と直に会えるのを楽しみに待っているからな」
ネムレスが後ろ髪をかきあげながら微笑み、夢はそこで途切れた。
***
葉隠を出る前にどうしてもやっておきたいことは、もちろんあれだ。うん、あれ。
「よう、何日も待たせて悪かったな」
正午。やっと休暇がとれたアリアが我が家を訪れる。いつものエロだらしない格好ではなく、ちゃんとおめかししている。こいつのロングスカートとか新鮮だわ。やたら大きな帽子を目深に被っているので、一見して誰かわからん。
「こっちこそ我侭言ってすまんこ。忙しい時期だってのに」
俺も普段よりはおめかしして、笑顔で出迎える。ま、お子様の俺のおめかしなんて、たかが知れてるけどね。もちろん女物の服ではない。ちゃんとこの日のために、男に見えるまともな服を選んだ。男の子の服を着ている女の子にしか見えないから髪を切ろうとほざきつつ、ディーグルが鋏を持ち出したが、俺は当然拒絶した。
「おっし、行くかー。まずは冒険者の店に行こう」
「え?」
笑顔で告げたアリアの言葉に、俺は何じゃそりゃという顔になる。
「何だね、その顔は。魔雲の中に行くってんなら、これからあんたは冒険者になるようなもんだし、冒険者グッズは揃えるのは当たり前でしょーが。私がいいのを見繕ってやるよ」
「いやいやいや、せっかくのデートでそんなことしなくても……」
「んん? それの何がいけないっての? 私と一緒に買った思い出の品々をこれから旅先であんたは使うんだよ? それが嫌だっての?」
あー……そういうことか。そこまで気が回らないとは。俺も未熟也。
そんなわけで市庁舎を出て、冒険者の店とやらに向かう俺とアリア。
「ここだよ。あー、懐かしいなー」
アリアが連れてきた冒険者の店とやらは、外観は普通の家のように見えた。店の中に入ると、わりと想像通りというか、各種様々な武器やら防具やらが、ぎっしりと並んでいる。中も結構広い。
「防具なんて身につけたくはないなー。せいぜい革鎧程度にしてくれ。ダサくない奴で」
「太郎はペイン耐性も強いし、絵描く妨げにならない奴がいいね。ゴブリン用の胸当てとかどうだろ。これとか」
俺の注文を全く聞いてないのか聞く気がないのか、アリアは糞ダサい胸当てを持ってきて見せる。そういやここに着たばかりの時も、ゴブリン用の鎧を着せられたし、兵士としてのお仕事中も、こいつのせいでゴブリン用のダセー軍服を着るハメになったな。
「まあ防具よりもあんたには、もっといい護身具があるよ。ちょっと待ってな」
そう言ってアリアが店の奥へと向かい、店員の青年と何やら話している。俺はその間、生活用具になりそうなものを見繕う。デート途中だし、買ったら家に送ってもらおう。
「買ってきたぜー。この店の秘蔵品」
戻ってきたアリアが俺に手渡したのは、七芒星の描かれたタリスマンだった。細かい呪紋がびっしりと刻まれ、透き通った水色の宝石がつけられている。手にしただけで、かなり強い魔力を有していることがわかる。
「アクアマリンは今つけてもらったんだ。宝石に由来する言葉の意味はあんたが生誕前にいた国のそれに合わせて決めたぜ。アクアマリン自体にもかなり強い魔力が込められているってよ」
宝石に由来する言葉なんてわからんが、帰ったら調べてみるか。それがアリアから見た俺のイメージなんだろうなー。
「そいつを私だと思って大切にするんだぞ」
にっこりと笑うアリア。
「おう、目が覚める度にこのお守りに向かって『おはようアリア』。寝る前には『おやすみアリア』って、言ってやんよ」
「いや、そこまでしなくていいから……」
俺も笑顔そう返すと、アリアの笑みが微妙に引きつっていた。
その後はあれやれこれや旅先の生活必需品を揃えたり旅のレクチャーを受けたりして、タリスマン以外は郵送してもらう手続きを済ませ、冒険者向きの店を出る。結局防具の類は買わなかった。武器は軍支給の銃をそのまま頂けばいいしな。
「俺も何かお返ししないとなー。何がいいかなー」
首から服の内側に下げたタリスマンを弄び、俺が呟く。
「あんたのお返しって言ったら、そりゃ絵だろ」
アリアが嬉しいこと言ってくれた。この間のリクエスト以来、普通に絵を描くことにも抵抗無いしな。
「よし、じゃあそれでいくか」
「私の前で描いてよ」
「えー? それだとせっかくのデートの時間がかなり潰れちゃうぜ?」
「別に潰れたなんて思わねーよ。あんたの傍に一緒にいられる時間が減るわけじゃないんだよ」
笑顔で口にしたアリアのその言葉が、俺の心臓を鷲掴みにする。嬉しくもあり、切なくもある言葉だ。
「じゃあ……絵を描きやすい場所に行くか」
ぱっと思いついたのは、以前乱す者が俺を砲撃した林だった。あそこはわりといい風景だし、森林浴しながらお絵描きってのも悪くない。
***
そんなわけで以前訪れた画材屋で画材を買って、例の林へと移動する。木々の葉だけではなく、足元も短い草で覆われているので、住宅街から風景が一転して緑に満ちた世界が広がる。陽の光が差し込むことによって、緑はますます映える。
「へー、いい所じゃん」
と、アリア。俺が前に住んでいた館を乱す者達がここから砲撃し、ディーグルに大量虐殺された凄い場所だけどなー。砲台も奴等の死の痕跡とも言える服も、もうどこにも見当たらないが。
そして俺を殺そうとした乱す者共も、俺を殺そうとした場所で俺がデートしているなんて、夢にも思うまいっ。
「ここならこいつを出してもいいね」
アリアが使い魔を封じた札から、ダークブルーの脚の長い蜘蛛の使い魔を呼び出す。なら俺もと言わんばかりに、アルーを呼び出しておいた。
「よし、描くか」
と、俺が腰を下ろしたが――
「リクエストしていいかな? あんたの顔で頼むよ。部屋の中に飾っておいて、いつでもあんたのこと見て思い出せるようにさ」
すごいリクエストがきた。風景画描こうと思ったのに、自画像かー……。奇跡の絵で鏡出して、頑張るかね。
寄り添って座り、俺は傍らに置いた鏡を見ながら絵を描く一方。アリアは二匹の使い魔達と遊んでいる。
「こいつら見ていると、アリアが見舞いに来た時のこと、思い出すなー」
二匹の蜘蛛を一瞥し、俺が言った。
「あの時から俺、お前のことが気になってたよ」
気になっていたというか、あの時のアリアの俺への接し方見て、脈あるんじゃないかと思っていたわけだが。
「へー、私は会った時からだったけどね」
「その割には、俺が大人だったらどーこーとか言ってたじゃん。やっぱり見た目が子供なら駄目かとがっかりしてたぜ、俺」
「あははは、そいつぁ悪かった」
しばらく雑談しながらお絵描きタイムで時間が潰れていく。
「これ……聞こーかどーか迷ってたんだけどさー。うーん、どうしようかねえ。あんたに聞くってのもどうかと思うんだけどねえ」
会話が途切れたタイミングを見計らってか、アリアが突然神妙な口調で、彼女らしくもない奥歯に物が挟まったような物言いをする。
「何だよ。そんな言い方されたら気になるだろ」
「ディーグルやシリンはさ、何か私に隠し事しているみたいなんだよ。会って間も無い時からずっと気になってた。太郎は何か知ってるかい?」
俺の筆の動きが止まる。思い当たる節はあるな……。多分あれだ。ディーグルの言っていた、アリア自身も知らないアリアの正体。本人も知りたくない、知られたくない秘密。
「知らないな。正確には、聞いてない。何かあまりよろしくないことがある口ぶりではあったが、あえて聞かないことにした。本人のあずかり知らない場所で、そういうのを知るってのも、あまり気分のいいもんじゃねーし」
アリアの目を見つめて、正直に答えた。俺はアリアに嘘をつきたくもなかったし、誤魔化していると思われたくもなかった。勿論、時として愛する者に対しても嘘が必要となることはわかっているが。
「そっかあ……ありがたいような、残念なような。ははは、悪いね。変なこと聞いて」
こいつらしくもない、乾いた笑い声。
「ひょっとして、一人でずっと気にしているのか? 何か思い当たることあるのか?」
俺の問いに、アリアは少しの間思案する。
「気にしているけど、苦しんでいるほどじゃないよ。思い当たることはさっぱりだ。記憶の無い私と、最初に出会ったディーグル達冒険者のパーティー、その後はそのパーティーに入ってしばらく冒険して、いろいろあって良くない感じで解散して、葉隠に一般ぴーぷるとして落ち着いたんだけどね。自分が何者か、あいつらに聞くのも何故か躊躇われてさ。明らかに知っている風なのに、教えてくれないんだぜ? そりゃ聞きづらくなるっつーか。でも太郎なら抵抗少なかったから、思いきって聞いてみたんだけどね」
「帰ったらディーグルに聞いてやろうか?」
「いや、いいよ。聞かないでくれ」
うーん……そこまで悩んでいるのなら、はっきりさせた方がいいような気もするけどなー。
そんなこんなで自画像完成。アリアに見せたら素直に喜んでいた。これが市長室にずっと飾られ、アリアがいつも俺の自画像を拝むのかと考えるとね、うん……嬉しいけど照れるぜ。
本心言えば成長して、絶世の美少年になった頃の俺の顔を描きたかったけどね。旅先で何とか成長方法見つけてーなあ。
***
自画像描くのに予想以上に時間を割いてしまい、陽が大分傾いてしまった。
「なあ太郎。私はあんたと会ったことで、信念が揺らいじゃったよ」
手を繋いで街中を歩きながら、唐突にそんな言葉と共に、強く俺の手を握ってくるアリア。
「葉隠のために頑張りたいと思ってたけど、何かも捨ててあんたと一緒に行きたいっていう、そんな気持ちが、私の中に確かにあるんだ」
口ではそう言うものの、アリアがそんなことをするわけがない。それがわかっているから俺は、気の利いた台詞が思い浮かばん。
「こないださ、太郎に一緒に来ないかって誘われた時も、市長辞めちまえって言われた時も、本当は心が揺れてたんだ。すっごく嬉しかったんだ。あの時は私も格好つけたこと言ってたけど、あんたの台詞が甘い刺になって私の心に刺さってやがる。何もかも投げ出して、あんたについていって、ずっと傍にいたい。あんたに本命の女が別にいても、セカンドで愛人だろうが第二夫人だろうが構わないから、ずっと傍にいたい。そんな気持ちがあるんだよ」
アリアに真情を吐露され、俺の胸に熱いものがこみあげてくる。そこまで想われているのに、想っているのに、互いに離れなくちゃならないのか――という気持ちになってしまう。
ネムレスのバーカっ、お前の言うとおりになんか動かねーよっ、俺はここでアリアと幸せに過ごすぜコノヤロー。
と、言えたらどんなに楽なことか。ネムレスはネムレスで俺に会いたがっていて、俺もあいつの命令に従わないといけないという気持ちに、支配されている。
それはただ単に神とその下僕という間柄による呪縛だけではない。おそらくは前世から繋がる何か――魂の記憶の引き出しの底にしまわれている想いが、俺をネムレスの元へと導こうとしている。間違いなく、俺とネムレスの間に強い絆があったからこそ、その気持ちがあるわけで。
俺の両目から涙がぼろぼろ落ち始める。あー、もうまたかよ……
「すまんこ……」
涙声と共にアリアの体に、横からしがみつくようにして抱きつく俺。嗚呼……サマにならねえ……
「大丈夫だ。ここは死ななければ時は無限なんだ」
アリアがしゃがみこみ、泣きじゃくる俺を抱きしめ、耳元で囁く。
「だから待つ事はいくらでもできる。私の方が辛いんだぞ。あんたが旅先で危険な目にあってくたばらねーかとかさ。あんたはハーレム願望あるから、その分、私を捨てる心配だけはないのが救いかな。私もその辺は割り切れるし」
この前も言ってたな、それ。一夫多妻における、女側からの利点とも言える。愛が一つなら、その一つの席の確保の心配をしなくちゃならねーが、複数前提なら、トップ維持さえこだわらなければ安心できるってことか。
とは言ってもアリアだからこそ、そういう考えも受け入れられたのかもしれない。下界の日本の女性には、そんな考え方は理解できんだろう。
「もし俺が気持ち醒めてたら、俺のこと殺してくれてもいいから……」
「おう、そん時は笑いながらぶっ殺してやんよ」
ヤケクソ気味に言う俺に、アリアは優しい声音で囁いた。




