62 Burn out the pain
俺とバスの男は、暗黒空間の中で、互いに向かい合って座って休んでいた。
「初めてだぜ。ここまで耐えたのはよぉ。他の奴等はもっと早くに死んでいったぜ。しかも連続で食らっておきながらよう……」
淡々とした口調でバスの男が語る。
「お前がこれまでこの決闘方法で殺した奴って、お前と相性最悪だった連中だからじゃないのか?」
「意味わかんねえ」
俺の言葉に対し、バスの男は毒づくのではなく、本当に理解できていない風であった。
「通説だが、エリートほど挫折に弱い。一度壁に当たって弾かれると――レールから脱線すると、結構もろいもんだ。敗北の痛みや苦さを知らんでブイブイ言わせて、そのうえ他人を見下してきたような奴は、一度その敗北を知ると、その反動がとんでもなくでかいんだろう」
この説が必ずしもエリート様全てにあてはまるとも思えんけどな。中にはタフな奴もいるだろうし。
「あとは罪悪感もあるかもな。立場や数字で他人を見下す奴は基本ろくでもないが、他人の痛みをまるっきりわからないってわけでもない。むしろわかるからこそ見下して悦に入ってるんじゃないか? 俺にはよくわかんねーけどさ。見下される痛みをもろに続けざまに味わってしまって、その罪悪感も重なって……てのもあるかもな。元イジメっ子が、自分がイジメられてみて初めてその痛みを知り、自分のやったことも悔やむ……みたいなさ」
そう考えると、今までバスの男とこの決闘をしてきた奴は、俺よりキツいペインを味わったのかもしれない。単に記憶と体験の痛みだけではなく、そこから派生する罪悪感のようなものでペインの上乗せって感じでな。まあ人の痛みを感じない奴とかは、そういうのは無かっただろうが。
「本当に強い奴ってのは、敗北の苦さも悔しさも知っているから、わざわざ苦しんでいる人間を上から叩いたり、打ちひしがれている奴をつかまえて蔑み罵ったりするような真似は、しないもんだぜ。そういうことをするのはな、程度の低い薄っぺらい奴だけだ。お前の不運はさ、周りにそんな奴しかいなかったことだろう」
で、俺が恵まれていたのは、周囲にそういう糞みたいな奴が、ほとんどいなかったって事だな。これは現時点では口にしないでおくが。
「お前さ、欝病とかニートとかヒキコモリってのが、全て低能力者とか、あるいは性格悪い奴とか、思ってないか? それでニートやヒキにドロップアウトすると、周囲が責めまくるとか、決めつけてないか? 自分がそうだからってさ」
俺にそう言われ、奴は意外そうな顔をしていた。
「違うからな。どんな人間でも、ドロップアウトする可能性が常にあるんだ。見舞われた悲劇に対して、ある一定水準の強さが伴わないと、そうなってしまう。でもそうなった奴が必ずしも、お前みたいにいじめられるわけじゃない。例えば性格のいい奴は、たとえドロップアウトしても周囲が放っておかない。何とか力になろう、助けになろう、救いあげようとしてくれるもんだ。性格良くなくて能力高い奴でも同じだ。屑だけど社会の枠から外れたままじゃ勿体無いからと、救い出そうしてくれる」
「俺はそのどちらでもないから、救われなかったのか?」
か細い声でバスの男が言う。
「ぶっちゃけそうだが、お前がそうなっちまったのは、お前の周囲の責任だ。周りが屑ばかりな環境で、お前は屑になるななんてさ、そんなのは無理がある話だわ」
類が友を呼ぶという部分もあるが、それは口にしないでおく。
「俺もそれを言ったことあるぜえ。そうしたら自己責任だ、他人のせいにするなと言われたよ」
「ああ、お前の記憶を見たから知ってる。でもな、お前もわかってるだろ? 自己責任論振りかざすアホだって、自分が弱い立場じゃないからそんなこと言えるだけだ。本当に悔しい想いを味わった人間は、自分に対して自己責任だと言い聞かせはしても、他人に対してそんな偉そうなことは安易に口にできないよ。ヌルくてくだらない人生送っている底の浅いくだらない奴しか、そんなことを他人には言えない。他人に向かって安易に自己責任論どーこーぬかすってのは、それだけで凄まじく恥ずかしい行為だと俺は思う。人というものを軽んじている証拠だ」
テレビに出たりしょーもない本出したりしてる、識者ぶった連中とかも、そういう類が多いな。ああいうのは本当に気分悪い。心底軽蔑に値する。ペラい。
「カナギも俺と同じだった。ああ、俺の傍にいたドワーフの女の子のことな」
うつむきながら語りだすバスの男。
「あいつはある意味俺よりわかりやすくて、俺よりもっとひどい境遇だった。身体障害ってだけで叩かれて鼻つまみ者にされてたっていうからよ。ドワーフの社会そのものがそういうひどい所なのか知らねーけどよぉ」
そこまで話したところでバスの男の表情が悔しそうに歪む。
「何でだよ……。何で劣る者を虐げるんだよ。いじめるんだよ。罵るんだよ。何でそんなひどいことができるんだよ。何でそんなことをわざわざするんだよ。そういう奴等こそ虐げていじめてやりてーよ」
怒りと悲しみが混ざった涙声。奴の目に光るものを見て、俺は視線を逸らした。
「動物の社会でもそういうことは多いらしいな。犬とか猫もそうだ。鳥もな。渡り鳥で、遅れて到着しただけの奴が、仲間からいじめられてるのとか、昔テレビで見たわ。動物は理性にも乏しく、思いやりも希薄っぽいが、せめて人は理性と情をもっと働かせてほしいもんだな」
意識して穏やかな声を出し、俺は言った。
「つまりまあ、思いやりを持てず、他人を容易く傷つける奴ってのは、人でありながら、人よりも犬畜生に近い奴ってことだ。そういう奴等が一切いなくなればいいんだけどな」
そこまで喋って、ふと思った。
「この世界って……お前向きだったんじゃないか? 競争や格差もぬるいし、ニートしてても責められないし。理想の天国だっただろうに」
バスの男は何も答えない。こいつはニートしていることを苦にして恥じていたから、あまりそうは感じないのか? 俺からするとニート生活は天国だったけどな。親には悪いことしていると申し訳なく思っていたが、世間に対して恥ずかしいと思ったことは一度もねーぜ。
創作者に厳しいあんな糞社会の方こそ恥ずかしいわ! 恥を知れ! 恥を! 社会こそニートに対して甘えるな! 社会が糞だからニートを量産し、こいつみてーな通り魔まで作っちまうんだ! 自己責任論は社会が被れ!
いや、実際被ってるけどな……。通り魔生み出して死人が出るのは、そんな糞社会を形成している奴等全体の責任として、回り巡った結果だ。そして俺こそがその被害者様だ。だからこそ俺は声を大にしてこう叫べる。俺は糞社会の犠牲者だったと。
「話戻すけど……俺は最初、お前もそんな奴だと思ってた。他人の痛みなんて一切わからず、自分のことだけしか考えねー奴だと。でも違った。お前はそんな奴じゃなかった」
何かさっきからずっと俺ばかり喋ってるなー。ここいらで一番言いたいことはっきりと言ってシメよう。
「お前だって人を救うことが出来たじゃないか。お前の巫女が死ぬ前に微笑んでいたのは、お前の存在があの子にとって、救いになっていたからじゃないのか?」
「うぐ……ぐぐ……ううう……」
バスの男がくぐもった声で嗚咽を漏らす。俺は喋るのをしばしやめる。
「だが、俺はお前を許さない」
しばらくしてから俺は静かに言い放った。バスの男の嗚咽が一瞬止まる。
「お前は俺の前で、ただ俺へのあてつけだけで、何の関係も無い子供を殺した。その事だけが、絶対に許せない。そんな理由で人を殺していいわけがない」
「俺のことを恨んではないのか? お前を殺したのに……」
バスの男がぐちゃぐちゃの泣き顔を俺に向ける。
「ああ、許せないし許さないけど、それはもう恨んでいない」
憎しみの繋がりは、気がついたら消えていた。多分、綺羅星町で会ったあの時に、狂気を失い、人が変わってしまったこいつを見た時、消えたのではないだろうか。
***
休憩を終えるつもりで俺が立ち上がる。バスの男もつられるようにして立つ。
休憩のおかげでちょっとは回復し、続けざまで食らうペインの加算も無くて済んだ。しかし完全に痛みは癒えきってないし、バスの男からもらった痛みは、この先も残ってしまいそうだ。おー、やだやだ。
バスの男は動こうとしない。覇気の無い顔で俺を見ている。
「どした? 早く来いよ。全部受けきってやんよ」
不審げに声をかける俺。
「もうねーよ……。さっきので、思い出せる分はあらかたお前に叩き込んだんだよ」
目を背け、バスの男は言った。
本当にそうか? 何だかこいつ、嘘ついている気がする。しかしあえてそういうことにしておくか。
「何だ、たったあれだけか? あの程度か?」
煽る俺。別に見下してはいないが、ここはあえて煽っておく。
「全部受けとめてやったってわけだな。お前のためにな。この決闘だって、お前のために受けてやったんだ。わかってるだろ?」
にやつきながら俺が声をかけるが、バスの男は答えない。ただ、視線はちゃんと受けとめている。
「お前の痛みはさ、確かにしんどかったが、自分、自分、自分、結局どこまでいっても自分のことばかりだ。まあそれも仕方ないな。お前はこっちに来るまでは、自分にとって大事と思える人と全く巡り会えなかったんだから」
ゆっくりとバスの男に歩み寄る。ここからは一方的に俺のターンだ。
「俺は逆だぞ? 俺のせいで俺の大事な人間に迷惑をかけ、苦しませ、奪ってしまった、そういう痛みだ。疫病神みたいな俺。でも好きで疫病神していたわけじゃねえ」
それを思い出すだけで涙が出そうになる。これって自分のトラウマもほじくり返しつつ、敵にぶつけるわけだから、攻撃する際に自分もペインを食らわねーか?
「大した痛みじゃねーよ、こんなのよ。全部とは言わないが、お前の痛みの多くは、辛いことから逃げ回った結果のうえでの、チキン野郎の痛みだ」
流石に大したことないってのは嘘だけどな。強がってるだけだ。実際はかなり効いた。しかしここはうそぶいて煽っておく場面だ。俺と奴は所詮敵同士。否定しあう間柄だからな。俺はバスの男の苦しみを理解しつつ、同情しつつも、同時に断固として否定する。
「俺は逆だぞ? 常に戦っていた。戦ったうえでの痛みだ。戦って戦って戦って、全部負けた痛み、失敗した痛み、叶わなかった痛みだ。お前がこれまで斃した相手とは全く逆。負けて負けて負け続けた、負け犬の中の負け犬、それが俺だ!」
威張ることじゃないし威張れることでもないが、あえて威張ってみると何となくかっこいい。バスの男も俺の言葉と雰囲気に気圧され、ひるんでいやがるのがおかしい。実際は引きこもってたニートと、引きこもってなかったニート程度の違いなんだけどね。
「戦って負けることを恐れて、敗北の苦しさと辛さと痛みと悔しさを恐れて、逃げていただけのお前が受けた痛みなんかより、俺が味わった痛みの方が格段に痛いわ! その痛みをこれからお前に食らわせてやるっ! 全部耐えられるもんなら耐えてみろ!」
叫ぶなり、バスの男の腹めがけて殴りかかる俺。顔殴ってやりたくても届かないしー。
「がっ……!」
俺のペインもちゃんと伝わっているようで、バスの男の形相が変わる。
手始めにお見舞いしてやったのは、友人達に頼んで人を集め、借金までして開いた初の個展前に、絵を全部無くしてしまって何もかも台無しにしたあの絶望だ。はははっ、人との繋がりがあるかこそのこの絶望感、バスの男にしてみればさぞ新鮮だったことだろうな。
「効いただろう。俺も思い出しながら泣きそうだわ。じゃあ、次いくぞ」
お次は共同個展に出展した際に、俺の絵を包んだ袋の中に麻薬が混じっていて、共同個展が台無しなった時の思い出だ。友人も何人か失って、マジ最悪だったな。うん。警察のお世話にもなっちゃったから、家族や叔父夫婦にもすげー心配かけちまってさあ……
バスの男の顔色があからさまに変化する。俺が受けた痛み。それは俺自身の辛さではない。俺が周囲に対して与えた迷惑に対する痛みだ。
「自分が傷つくよりも、自分のせいで大事な人を傷つけてしまうことの方が、よほど辛い。両方味わって、わかっただろ」
静かな口調で俺が言い、三発目をお見舞いする。
道で売っていた俺の絵が風で飛ばされ、その絵がバイクで走っている人の顔に張り付いて、事故らせてしまい、そのうえ下半身付随にまでしてしまった記憶。不幸な事故と言ってしまえばそれまでだが、俺に責任は確かにある。
俺はその人とその人の家族に散々罵倒され、慰謝料も支払った。当然、ろくに働いてもいない俺に慰謝料を出せるわけもなく、親に迷惑をかけることとなった。それも申し訳ないと思っているし、俺のせいで一生を狂わされた人にも、罪悪感でいっぱいだ。
今改めて思い起こすが、何で俺ってこんな、疫病神みたいに周囲に迷惑かけてばかりだったんだ。まるで呪われているかのようにさ。ディーグルもネムレスも、単に運が悪いだけと言ってたけど……俺はずっと脅えている。自分の疫病神っぷりに。
こっちに来てから、俺が不幸を撒き散らしたことといえば、バスの男のあてつけで殺された子供か。でも、今のところそれだけだ。
しかしそのおかげで、俺はバスの男との不幸バトルで、勝てそうではあるがな。そんなわけでどんどんいくぜーっ。俺が付き合った二人目の彼女を傷つけまくった思い出―っと。
バスの男が跪く。しかしまだ耐えている。こいつも散々痛い目に合って、ペインへの耐性は中々強い。
この空間のこの不幸バトルの厄介な所は、痛みが短期間で一気にぶちこまれる所だ。何日も、何ヶ月も経てば、トラウマ級の痛みにも人は耐えられるが、それが数秒だか数十秒単位で続けて食らえば、確かに発狂もんだわ。心のペインでも人は死に至る世界とあらば、バスの男が今までこの戦いに勝ち続けてきたのも頷ける。
「大事な人が傷つくなら、痛みを負わせるくらいなら、自分が痛みを引き受けた方がいい。お前もそう感じたから、わざわざ死ににきたんだろう?」
自分の命と引き換えに、テロ起こした馬鹿な仲間を解放しにきた今のこいつには、俺の痛みがより共感できるはずだ。
「望み通り殺してやるよ。俺の手で」
そう言い放ち、俺はトドメを食らわせてやるつもりで、あの思い出を思い出す。
最愛の者を死に至らしめた思い出。殺した思い出。そう……あれは間違いなく俺が殺した。法律では裁かれなくても、例え彼女の両親が俺を恨まず感謝していたとしても、俺の中では、俺は立派な殺人犯だ。
あいつはいつも強気な発言をしていたし、まさか俺が夢を諦めたことを告げたら、突然泣き出すなんて俺は思ってなかったし、ショックでその直後に容態が悪化するなんて考えもしなかった。
あいつが死んだ後、あいつの隣室の患者――友人から聞いた。あいつが俺の夢を支えにして生きていたと、俺が夢を諦めない限りは自分も生き続ける望みを捨てないと、日頃から言っていたと。
俺の諦めが、ぎりぎりで繋ぎ止めていたあいつの心を折り、それはあいつのか弱い心臓の動きすら止めてしまった。
この罪……どうやって償えばいい? どうやって裁かれればいい? この罪深さは、どんな罰を与えられれば許されるってんだ? この痛みはどうやったら消えるんだ?
トドメのつもりでのとっておきのペインを――俺が夢を諦めたせいで、俺なんかの夢を信じて期待していた、俺が一番愛した女を死なせたこの心の痛みを思い出し、俺は泣きながら、膝をついているバスの男の頬に拳を叩き込む。
バスの男の双眸から涙があふれ、うつ伏せに突っ伏す。今のこいつには酷だったな。こいつも最愛の存在を失ったばかりだってのに、同じ痛みをさらに与えるとか、全くもって残酷だ。
しかし、バスの男はそれでも死ななかった。それでもなお、持ちこたえていた。ペインによる消滅を起こさず、存在を保っていた。
「まだ生きているか。流石だな。でもな……まだ……まだとっておきがあるんだ……。さらにとんでもなく不幸極まりない、俺の人生で最悪の超絶嫌な想い出がな。これが……正真正銘最後のトドメだ」
「ひっ……ひぃっ!」
これ以上のものがまだあるのかよといった感じで、引きつった表情の顔を上げ、うわずった悲鳴をあげるバスの男。くっくっくっ……あるんだよ……あるんだよおっ! すっげー奴がなあっ!
「できればこいつは永久に俺の記憶の底で封印しておきたかったが、止むを得ないな。今こそ
禁断の封印を解かん!」
高らかに叫び、俺の人生で最も忌まわしい記憶を脳裏に克明に思い浮かべながら、バスの男の背後へと回りこみ、両手を握って人差し指だけを立て、奴の尻に照準を絞る。
「食らえええっ! 子供の頃に変質者に拉致監禁されて、助け出されるまでの一週間、ありとあらゆる変態プレイで嬲られ続けたトラウマをおおおぉっーっっ!!」
「アアァッーーーー!!!!」
痛恨の一撃がズブリと突き刺さる確かな感触が、俺の両手の人差し指にダイレクトに伝わる。それと同時に、バスの男の断末魔の絶叫が、暗黒空間に響き渡った。
「お前……ただひたすら不幸なだけであって、戦ってた云々……あまり関係なくね?」
バスの男が掠れ声で言う。その体が透けだした。
「いいや、お前みたいに引きこもってたら、苦しい思いもしなかったぞ」
俺の双眸からあふれる涙の理由は、俺のあの忌まわしい記憶によるものではない。
「それに……最後のは、他人を傷つけた痛みじゃなくて……お前自身のじゃねーかよ……」
裏返って仰向けになり、俺の顔を見て半笑いを浮かべながらバスの男は言った。そーいえばそうだな……
「何……泣いてんだよ……」
消滅しかけているバスの男が、笑いながら涙をあふれさせ、からかうように言う。
「お前も泣いてるだろ」
とめどなくあふれる涙をぬぐい、俺が言い返す。
何で俺は泣いているんだ……?
いや、理由なんてわかっている。でもそいつを言葉にするのは無粋すぎる。
***
奴が消滅すると同時に暗黒空間も消え、俺は通常空間へと戻った。
「太郎っ! 信じていたゾ!」
ゴージンが喜悦の声と共に俺に飛びつこうとしてきたが、直前でそれを留まった。俺が泣きじゃくっているのを見たせいだろう。
ディーグルが俺の方に歩み寄り、微笑みながら無言で俺の頭に手を伸ばす。
「ディーグル、俺が泣いているのはな……」
「子供の体だから涙腺がゆるいからでしょう? わかってますよ」
優しい声音で言い、ディーグルが俺の頭を撫でる。
「泣きたい時に思いきり泣けるのは子供の特権なのですから、堪えずに好きなだけ泣くといいですよ」
「見た目はガキでも中身はおっさんだし、泣き喚くよりも前にやることがある」
振り返り、バスの男とどつきあっていた暗黒空間の入り口があった場所に向かって、俺は両手を合わせる。
また苦行に満ちた地獄へと落ちる魂に、せめて来世ではもう少しマシな人生に恵まれるようにと、俺は祈った。




