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61 Burn the pain

「まず俺からだぁ~」


 バスの男が俺の頭を平手で張る。拳で殴らなかったのは俺が子供だから手加減したのかと思いきや、そんな甘い考えは即座に吹き飛んだ。


 俺の頭の中に、大量の記憶と感情が一気に流れ込んできた。バスの男が体験した記憶と、バスの男が感じた痛み。それらがペインになって俺に降りかかる。


『お前、何の取り得もない、いっちばん下の子だよな。頭も悪い、運動もだめ、背も低い、顔も不細工、びくびくして性格も悪いと。この先どうするの? やべーなー。でも一つだけいい所があるぞ。お前を見て、お前以外の皆は、お前みたいにならなくて良かったとほっとする所だ。まだ自分より下がいるとな』


 子供の頃のバスの男の思い出。教室で一人立たせて馬鹿にされて、罵倒する教師。クラスの全員が大笑いする。何だ、この糞教師は……。いや、俺だってアホな教師は沢山見たが、ここまで露骨に子供をいびる教師なんか見たことないし、想像もできんぞ。

 しかも馬鹿にする内容からして反吐が出る。教室の連中も何だ、これは。信じられない。一人残らず糞同級生ばかりか。


 こりゃたまらん。想像をはるかに超えるキツさだ。ただ他人の記憶を覗くという話ではない。他人の体験がまるで自分の体験のように、心に焼き付けられるんだ。しかも時間圧縮されて焼き付けられるもんだから、さらにキツい。


「あひゃひゃひゃ、いい顔してるぜ~。堪えるだろぉ~。さあ、お前の番だ」

「いや、いい……」


 必死で動揺と混乱を抑え、俺はかぶりを振る。


「ああん?」

「来い。次だ」


 バスの男を睨み上げ、予定通りの台詞を吐く。


「大したもんじゃねーよ。そんなんじゃ眠気も覚めねーわ。もっとキツいのやってみろ」


 強がる俺。実際は相当大したことあるぞ。ここまでダイレクトに心の芯に響くとは思わなかった。加えて俺にとっては未知の痛みだったせいもある。


「強がりやがって! じゃあ次はこれだ!」


 俺の腹部を蹴るバスの男。肉体的な痛みは大したことはない。あえて肉体的な痛みは与えまいと力を抑えているに違いない。あくまで攻撃に乗せた想いをメインにするつもりなのだろう。まあそうでないと、子供の体の俺が不利すぎるしな。


 次の記憶がまた強烈だった。また子供の頃の記憶。イジメを受けてじっと耐えているバスの男。給食の中にゴキブリや犬の糞を混ぜられて食べさせられている。その様子を笑いものにされている。おい、やめてくれ。その味も全部俺に伝わってくるじゃねーか。アリアの逆襲を思い出す。だがそんな辛さより、イジメを受けるという体験そのものがキツい。

 俺は子供の頃、イジメなんてされたことないし、それどころか周囲でそんなことしている奴を見たことすらない。ネトゲ内ではちょっと見かけたが、それにしても自分には全く関係の無い遠い世界のもんとして、俺は受け取っていた。先程と同様に、自分が味わったことのない痛みという時点で、耐性が無いので、余計に痛みが響く。


「ふぁっく……まだまだ。どんどん来いよ」


 ぽろぽろと涙をこぼしながらも、無理して笑ってみせ、俺は奴を睨みつけた。


「ああん? 何で反撃しないんだあっ」

「まずはお前の気持ちを全部受け取ってからだ。その後で食らわせてやるよ」


 俺の言葉に、バスの男の顔色が変わる。怒りとも困惑ともつかない表情。


「何もできないまま、先にお前が死ぬぞ?」

「死なねーよ。遠慮せず全部ぶつけてこいよ。お前の痛み、苦しみ、絶望、全部味わってやる。食らいつくしてやる」


 言い放つ俺に、バスの男の表情がさらに変化した。恐れのようなものが浮かんでいる。いや、それだけじゃない。目が潤んでいるぞ、こいつ。俺の台詞に感動して喜んでやがるのか?


「でも覚悟しろよ? それを全て俺が受け取った後は、それで俺が生きていたら、俺の不幸を全てお前が受け取る事になるんだからな」

「ぐぬぬ」


 バスの男が呻き、拳を振る。

 俺の頬に拳が打ちつけられると同時に、また奴のろくでもない記憶が俺の頭に流れ込んでくる。まるで自分が奴になったかの如く、記憶が焼き付けられる。


 中学にあがる前に、引きこもりになったバスの男。


『恥さらしだなあ。親族の中からこんなろくでなしが出るなんて。お前の教育がしっかりしてなかったせいだろう。ええ?』


 部屋の外でそれをやじる奴の親戚。あ……デジャヴが。これは似たような経験が俺にもあるんだ。


『見ろ! お前のせいで恥をかいたじゃないか! お前のせいだぞ! わかっているのか!? 俺は何も悪いことをしていなのに、ただ出来損ないのお前がいたせいで!』


 親戚が帰った後で、父親が部屋にのりこんできて、がなりながらバスの男を殴り続ける。子供相手にほとんど手加減していない。その後病院に運ばれた。


『通り魔に襲われたということにしなさい! いい!? もし父さんに殴られたとか言ったら、私が殺してやる!』


 病院で母親から本当に殺気に満ちた形相でそう凄まれた。そしてこの世に誰も味方がいないと心底理解し、絶望するバスの男。まだ小学六年生の子が、こんな想いを抱くなんて……ひどすぎる。


 ペインを味わいながら、ふと俺は昔のことを思い出す。

 今は絶縁したふぁっきん親戚が、うちに遊びにきやがった時の話だ。俺がいつまでも職にも就かずに絵描いていた事を、これみよがしに俺の両親の前でディスった時、親父がキレた。


『それの何が悪いんだ? うちの子は一度しかない自分の人生を精一杯生きている。私はそれを全力で応援する。それの何が悪い』


 憤怒の形相で静かに言い放つ父を見て、親戚の馬鹿はみっともなくたじろいでいた。


『ま、うちの子がお前の所に生まれなかったのはよかったよ。そうしたら絶対に不幸になっていたからな。お前はもう二度とうちに来るな。けがらわしい』


 本当に汚いものでも見下すかのような視線と口調で、親父は糞親戚にそう告げた。

 親父に限った話じゃないが、俺の周囲の人間は皆大きく、深く、温かく、強く、優しかった。俺はそういうのを見て、そういうのに触れて育ってきたから、少なくともその馬鹿親戚のようなつまらない人間にはならなかったし、何より人を傷つけてその自覚も無いカスにはならなかった。そうならないように心がけた。


 しかしこいつは違う。最初に直感した通りだ。こいつはまるで俺とは逆の環境にいた。

 俺がこれまでの人生で味わったことのない苦痛。孤独の痛み。守られない痛み。理解されない痛み。愛されない痛み。生きることに希望を失くした痛み。


 バスの男よりも、こいつの周囲の人間こそが真の悪ではないかと思えてならない。何故こいつの周囲の人間は、もう少しこいつに優しくしてやれなかったんだ? 何故こんなに辛くあたって、いたぶることができるんだ? 俺には全く理解できない。

 こいつは辛かったのに、苦しかったのに、泣いていたのに、何でそれを余計に叩くような真似をするんだ? そんなことができるんだ? 悪魔かこいつらは……

 人の痛みがわからない、人を容易に見下してなじれる人間ばかりが、こいつの周囲に集まってしまったんだな。それがこいつを苦しめ、捻じ曲げた結果、あちらでは俺を殺して俺の周囲を悲しませた。こちらでは罪の無い子供を殺させた。こいつの周囲の屑共こそ、本当の意味での地獄に叩き落してやりたいわっ。


 うちは違った。俺が落ち込んでいる時、いつも優しく慰めてくれて励ましてくれて……俺の親は、俺を叱ったことはあっても、感情任せになじったことなんて一度もなかったぞ。だから俺には信じられない。

 こいつに比べれば、ある意味俺はとても恵まれていたことを実感する。いや、幸せな環境にいたと断言できる。愛情だけはたっぷりもらったからな。親戚の中には、躓いた事を頭からこきおろすような、そんな心無い人間も確かにいた。

 だがそれ以上に、俺に力をくれた人々がいて、俺はそちらの方をずっと見ていた。常に光が射していたから、光の方を見ていた。両親然り、叔父夫婦然り、友人達然り、リザレ然り。


 でもバスの男にはそれが一切無かった。延々と続く孤独の闇だけ。無明の世界。

 こいつが冥界で狂気や憎悪から解き放たれて、人が変わってしまった理由もわかった。孤独ではなくなり、自分を理解し、慕ってくれる者達を得てしまったからだ。こいつには、それだけでよかったんだ。


 しかしだからといって、俺はバスの男を認めることもできない。確かにこいつは運が悪かった。だがな……


***


 その後もさらにバスの男は、痛みに満ちた記憶を俺に叩きつけた。


 引きこもる前の、子供の頃の奴の辛い経験の数々。


 引きこもった後の、家族からの虐待の数々。


 成人してから一念発起して、ヒキから脱出したバスの男。働きに出たものの、バイトの面接でうまいこと会話もロクにできず、小馬鹿にされてあしらわれた。そして帰ってからまた両親に頭ごなしに罵声を浴びせられる。


 それでも心折れることなく、また働きに出てみたら、子供の頃に自分をいじめていた奴と鉢合わせした。

 そいつは女連れでいかにも高そうな車に乗っていたので、みじめな気持ちでいっぱいになったが、本当にみじめな想いをするのはその後だった。

 かつてのいじめっ子は、女の見ている前でバスの男に向かって土下座し、子供の頃にいじめていたことを謝罪しだしたのだ。その行為によって、恨みの矛先を一つ失ってしまったと同時に、自分をいじめていた糞野郎が、リア充になったうえに性格までいい奴になってしまったという事実に絶望しきってしまった。

 正直、そのいじめっ子が反省して謝罪した件に対しての、バスの男の反応は、俺には理解しづらい面もある。それで気持ちが救われず、さらに絶望するとか、どんだけ歪んでるんだよ……。


 他にもいろいろあったが省略。大半は家族親族絡みか、小学生時代のイジメの経験だわ。前者が特にキツいが。


 奴の人生経験が、奴が感じた想いが、まるで自分の記憶として、想いとして、痛みとして、俺の中に焼き付けられていく。

 こいつの人生は正に負の奇跡だなあ……。俺の人生だって、相当に理不尽な不幸の連続ではあったが、それとはまるで性質が違う。


 不幸に不幸が重なったうえで、バスの男にもとうとう限界が来て、全てを呪い、底辺である自分にもできるたった一つの行為へと走ろうとした。通り魔という名の、世界で最もチンケな破壊と殺戮。

 一人の人間がそこまで追い込まれるには、それなりの理由ってもんがある。俺はこいつをただ頭ごなしに非難もできなくなっちまった。こいつの体験をもろに味合わされちまったしなあ……。


 俺がバスの男に生まれたとしたら、バスの男と同じ環境であれば、バスの男と同様にドロップアウトし、最後は通り魔になろうとしていたんだろうか?

 ネムレスが語るには、記憶を失って地獄に受肉しても、全ての人格を失うわけではないとのことだがな。前世の人格や記憶も多少は残って影響があるとか。

 いや、そんなこと考えても意味ねーよ。俺は俺、こいつはこいつだし。


 しかしキツいな……。この勝負でこいつに何人も敗れてきた理由もわかる。抑圧を続け様に受ける事に、人は耐えられない。心のダメージも、回復する期間が必要なんだ。そいつをろくに与えられずに、慣れていない痛みをダイレクトに受け続ければ、そりゃたまらんわ。

 たとえ他人の痛みに鈍感な人間だろうと、己の痛みという感覚として降りかかってくる。たとえサイコパスでも関係無い。逃れようが無い。


 こいつの提示したルール通り、交互に攻撃しあうのであれば、ほんの少しではあるがインターバルも入るんだが、格好つけて拒否しちまったからな。やれやれ……

 何度か奴の記憶のペインを食らった所で、俺は最早立っている事ができず、手と膝をついてしまう。


 それでも気力を振り絞り、立ち上がって奴を睨みあげる俺。

 まだまだいける。奴の人生も確かにしんどいが、俺が死ぬ前に受けた痛み程じゃねーよ。


「そろそろキツいか? そりゃそうだよな。交互にペインのぶつけあいでもキツいのに、一方的にやられっぱなしとかよ」


 ニヤニヤと笑いながらバスの男が言う。


「くひひひひっ、お前も奴等と同じだ、みっともなく泣いてやがる。でもここまで耐えた奴は初めてだぜ。それだけは褒めてやるわ」


 さっきからずっと泣きっぱなしだった俺だが、それを指摘して揶揄するバスの男。


「アホかてめーはっ! 俺が辛くて泣いてるんじゃねえっ! お前が可哀想で泣いてるんだよっ! 馬鹿! トンマ! インキンっ! 包茎!」


 自らの心を奮い立たせるニュアンスも越え、俺はバスの男に向かって怒鳴った。


「孤独の中でのたうちまわり、ネットで煽ることくらいでしか人とコミュニケーションが取れない、人の心とまともに触れ合えない、そんなお前が哀れすぎて、同情して泣いてんだよ……」


 それから声のトーンを少し下げ、鼻をすする。


「て、てめえ……」


 バスの男が唸ったものの、二の句が告げない状態で、俺を睨んでいる。


「お前には絶対負けちゃいけない気がしてた。ずっと……」


 俺は思っていたことを口にした。


「俺がお前の味わった痛みに屈するってことは、お前の望みでもないだろう」

「あひゃひゃひゃ、何でそうなるんだっ。おかしいんじゃねーか?」


 必死に余裕ぶって笑おうとしているが、明らかにうろたえた表情。つくづく嘘のつけない奴だ。引きこもっているとこうなるという見本だな。


「お前だって誰かに見てほしかったんだろう? 自分の味わった痛みと想いを見て知って感じてほしいから、こんな決闘方法を作り上げて、味あわせてきた。そうじゃないのか?」


 努めて真摯な口調で問う俺に、バスの男の作り笑いが消え、俺から視線を外す。


「全て受け止めたうえで、お前と同じ気持ちを味わったうえで、お前は別の答えがほしいんじゃないか? 別の未来の可能性が見たいんじゃないのか? 絶望して、世界に復讐するために暴れて殺して、そんな哀しい自分を否定してほしいんじゃないのか? お前が受けた苦痛も乗り越えることができるという証明をして欲しいんじゃないか?」


 奴は目を逸らしたまま、何も答えようとしない。俺はさらに言葉を続ける。


「さもなきゃ、お前が味わった以上に辛く苦しい人生を味わっている奴を、見てみたいんじゃねーか?」

「はっ、妄想乙!」


 やっと口を開いたと思ったら、その程度の反論。先程こいつの記憶をぶつけられて知ったが、こいつはネット上でも、煽りスキルもスルー耐性も相当低いからなあ……。語彙貧困という事もあるが。


「違うっていうのなら、何でこんな決闘方式にしたんだ? わざわざこんな形にする必要も無い。公正さもへったくれもなく、一方的に相手に苦痛を食らわせて嬲ればいいだけだろ」

「相手により屈辱を味あわせるための公正な勝負だよぉ。この勝負形式なら、どうせ俺に勝てる奴なんていないからな。俺に最も有利な勝負を公正にするだけの話だっつーの! あひゃひゃあひゃ」


 まだ強がるか……本当馬鹿だな、こいつは。


「お前の辛い記憶や気持ちを俺に伝えたのは、他ならぬお前だろ。妄想じゃねーよ。俺はお前の気持ちがわかってしまうんだよ」


 その言葉に、奴の虚勢はとうとう崩された。呆けたような顔になり、ぺたんと尻餅をつく。


「休憩だ」


 奴がぽつりと告げる。正直ありがたい。俺もここでまた強がる余裕は無い。俺も腰を降ろした。

 時間さえもらえば、ペインの回復も少しはできる。本当に少しだけど、この少しが超大事。

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