39 モンゴリアンチョップ
ラクチャが何で俺を一目でネムレスの神聖騎士と見抜いたのか。それは神々には、真実を見透かす神の目という能力がデフォで備わっているからだ。
バスの男も、下界とは全く姿の違う俺を見て、一目で俺の正体を見抜いてきた。つまり……そういうことだったからか。
信者が増えて力が増したという台詞の時点で、察するべきだったか。神にとっては信仰こそが糧であり、信仰が強まるほどにその力も増す。
「あっちで不幸だった分、俺はこっちでついてたわー。生誕したその近くに、解放の塔があったからな。奇跡の絵描き、お前には感謝してもいいかもなぁ。お前のおかげで俺は地獄から解放されて、こっちで神になれたんだから」
俺を見て、清々しい表情でバスの男が言う。
神は基本的に、元々は人の身である。一定の場所に留まらず、世界を移り歩く解放の塔なるものに辿り着き、塔の試練を乗り越えた者が神になるという話だ。
「か、神と言ってもピンキリだけどね。人に敗れる神もいるし。へ下手な神をも圧倒的に上回る神聖騎士や巫女もいるんだよ。だ、だだからイメージによる先入観はやめよう」
俺を落ち着かせるかのように言うシリン。流石に神殺しが口にすると説得力があるな。
「そうは言うが、神には神にしかできないことがあるって、知ってるだろう? 叛逆の神殺しシリンさんよおっ!」
にやついたまま叫ぶと、バスの男の右拳が上空めがけてロケットパンチの如く発射された。何をする気だ?
俺とシリンの数メートルほど頭の上まで飛んだところで、バスの男の拳がいきなり巨大化した。人を数人くらいまとめて叩き潰せる程に。
俺動けないぞ。ヤバい。
巨大拳が落下してくる。ただの自然落下ではないようで、かなりの速度だ。だがシリンはそれ以上の速度で、俺を抱えて横に素早く移動して回避する。
「ふぁっく……。これで……絵も描けるな」
痛みに顔をしかめながら、切断された右手の先を見て俺が呟く。シリンは俺を抱えて回避するだけではなく、巫女の力で地面に繋ぎとめられていた俺の右手を切断していた。こいつはコンマ数秒の間に、どれだけ忙しいことやってんだよ。
俺の右腕が復元されている最中、巨大拳が破裂し、無数の血肉がそこら中に飛び散った。
飛び散った肉片はそのまま消失はせず、太い肉紐となって伸び上がっていく。その数は……とても数え切れないほど。
シリンが翼をはためかせて飛ぶ。そこら中から何十本もの肉紐が、猛スピードでシリンと俺めがけて、あらゆる角度から襲いかかってくる。
どうもバスの男の奇跡の力は、自分の肉体を自由自在に変形できるものらしい。とはいえ、奴の能力がそれだけであるはずがない。
神聖騎士や巫女は、神の力を譲り受けて奇跡を起こすため、大体が似たような力の一発屋であるが、神ともなると話が違ってくる。神々はイメージしたものを自由に奇跡として発現できるのだ。
もちろんできることに限界はあるがな。神聖騎士や巫女が実行できる奇跡は、神々には実行不可能なものが多いというし。
無数の肉紐を巧みにかわすシリンに、俺は舌を巻く。つーか、こんなに速く動いていると、絵描くことなんて出来ないぜ。
そのシリンが突然、地面に急降下した。不自然な動き。シリンの意思で降りているのではなく、何か別の力によって地面に引っ張られているかのような動きだった。
地面に着地し、うずくまって右足を押さえるシリン。
俺がドワーフの少女の方を見ると、今度は自分の右足をナイフで貫いて、地面に繋ぎとめていた。随分とエグく、恐ろしい能力だ。自分で自分に与えた痛みや状態異常を、そのまま相手にも被せられるとはね。
シリンが己の右足を手刀で切断したが、肉紐群はシリンの動きが封じられた一瞬を狙い済まし、あらゆる方角から隙間無く襲いかかってきた。
絶体絶命と思った刹那、肉紐群は俺達二人に届く事無く、先端から腐れ落ちていった。
夜だから暗くて気がつかなかったが、シリンが最初に出した腐蝕の黒雲が、黒い霧となって周囲に立ち込めていた。辺りを埋め尽くしていた肉紐は、見る見るうちに腐れおち、ぼろぼろになって地面へと落ちていた。
バスの男が渋面になる。バスの男の己の肉体を変化及び増殖する力は、シリンの腐蝕魔法とは相性が悪いようだ。シリンの腐蝕魔法も、効果を発揮するのに少し時間がかかるようではあるが、一旦広範囲に広がれば恐ろしい威力を発揮する。
「くひひひひっ、あっちにいた時の、俺の願望だった。自分の体を自由に変えるってのは」
静かな口調でバスの男が語りだす。俺もこっちに来てからせめて股間だけでも自由に変えたいって願望があるよっ。
「虚弱体質で、餓鬼の頃にはスポーツができないってだけで、いじめられていたからな。何度も夢想したもんさ。ムキムキになって奴等を殺してやる事を」
バスの男が俺らに向けて手をかざす。何か飛び道具か、魔法系の攻撃をしてくると見てとり、シリンが俺を抱えて再度飛翔する。
いやー、もう俺を抱えてくれるなよ。せっかくもう少しだったのに。
俺の手にはスケッチブックと鉛筆があった。すでに絵の七割くらいは描いている。かなり大急ぎでシンプルな内容ではあるが、この場を凌げるはず。
「シリン、俺は奴の攻撃のペインを多少食らってもいいから、俺を放してくれっ。絵を完成させるっ」
俺がそう叫んだ直後、シリンと俺の周囲が闇に包まれる。
完全無明な暗黒かと思いきや、自分とシリンの姿だけははっきりと見える。しかしそれ以外は何も無い。闇だけが広がっている。
これは何だ? バスの男が何かしたのはわかるが。
「べ、別の空間だよ、ここは。あいつは……ただ肉片を撒き散らすだけじゃなく、トラップを――おそらくはそこら中に仕掛けていたんだ。特定の場所に僕が移動した際に、この空間に引きずりこむように」
シリンが動きを止めて言う。その隙に俺は絵を仕上げる。発動はまだ後だ。今は状況を把握しないと。
「まくーくーかんにひきずりこ……いや、何でもない。つまり閉じ込められたっぽい?」
「そうかもしれないけど、ぼぼ、ぼ、僕の勘では、ただ閉じ込めただけではなくて、他に何か狙いがあると思う」
そりゃそうだろうなあ。ただ閉じ込めるだけでは芸が無いし。いや、芸の有る無しは関係ねーな……閉じ込められるだけでも深刻だ。
「魔王様だったらこれくらい余裕で脱出できそうだよねえ?」
「む、無茶言わないで。転移の魔法は覚えてないし。僕よりも、き、君の力のほうに期待したいよ」
シリンの言うとおり、元の空間に俺らがいる絵を描けば、簡単に脱出できるな。
俺がさっさと絵を描き終え、ページを光らせたその時だった。
「ん?」
バスの男が暗黒空間の中へと入ってきて、俺が絵の奇跡を発動させているのを見て、怪訝な表情になる。
「んん?」
何故か自らもこっちに入ってきたバスの男に、俺も訝る。
通常空間に戻る俺とシリン。ドワーフの少女はいるが、バスの男の姿は無い。
「何で戻るんだァ。せっかくこれから面白いことしようと思ったのによっ」
何も無かった空間に真っ黒い塊が出現したかと思うと、そこからバスの男が飛び出してきて抗議した。そんなの知るかよ……
バスの男の姿が確認できたので、もう一枚の絵を発動させる。スケッチブックからページが破れ、光り輝く。
「させるかっ!」
それが何を意味するかバスの男にもわかっていたので、右手の手首を付け根から切り離し、発射させてきた。またロケットパンチかよ。
シリンの腐蝕の黒霧がまだあったようで、空中の手が途中で腐ってバラバラになって地面に落ちる。まあ、例え奴の攻撃が届いたとして、もう遅い。
絵の効果が発動し、バスの男が空中で、巨大な球状のガラスケース二つに閉じ込められた。バスの男のいる内側のケースは狭く小さいが、二重のケースの外側はかなり容量がデカい。シリンの屋敷よりもデカい。そして外側のケースは液体が満たされている。
「壊さない方がいいぞ。外側のケースは強酸だ。神ならそんくらい平気か?」
神だろうとペインで痛めつけられれば死ぬ。もし奴が内側のケースを破壊すれば、途方も無い量の酸によって体を溶かされる。再生したり肉体を膨張させたりしても、その分、酸で溶かされる量によってペインも強まるという寸法だ。
「シリン、念のために腐蝕の霧をあのガラス玉の周囲にも集めてくれ」
「わ、わかった。でもあいつ……亜空間を作るくらいだから、て転移もできるんじゃないかなあ……」
「あ……」
シリンの推測は当たっていた。バスの男が黒い塊に包まれたかと思うと、巨大ガラス球の外に黒い塊が現れて、そこからバスの男が這い出てくる。
「ちっ」
バスの男が舌打ちした。その視線は上空を向いている。
奴の視線の先を見ると、こちらに向かってくるレンティスの姿があった。背にはもちろん、ディーグルとゴージンが乗っている。いいタイミングで来たなー。
流石に形成不利と察し、バスの男は大きく息を吐いた。最早戦意も感じられない。逃げるつもりだろう。
「奇跡の絵描きぃ、いずれお前とは絶対に決着をつけてやる」
俺を見据えてそう宣言する奴の瞳は、ひどく澄んでいる。表情もさっぱりしている。俺に対する憎しみも嫌悪感も見受けられない。あるのはただの闘争心とこだわりだけか。
俺もこいつに対しての憎悪が消えてしまった。こいつがゲス野郎では無くなったせいか。
しかしこいつが例え改心しても、こいつが犯した罪は見過ごせない。こいつはただのあてつけで、俺の前で無関係な子供を殺してみせた。絶対にその償いはしてもらう。
「シリンを恨むのは筋違いだぜ。こいつはお前の信者を殺した奴を処罰したと、言っていただろ。言うならば、お前に対しても筋を通したんだ。そんな奴を狙うのはおかしいだろ」
俺の言葉に、シリンが驚いたように俺を見た。
「むう……」
バスの男がバツの悪そうな顔になって呻く。そんなバスの男の腕に、ドワーフの少女がそっと手を伸ばし、袖を掴んで見上げる。
「わかったよ……」
俺に言ったのか、シリンに言ったのか、少女に言ったのかわからないが、とにかくバスの男はそれだけ言い残して、亜空間の入り口である黒い塊を作り出し、ドワーフの少女と共にその中に姿を消した。
***
レンティスが庭に着地し、ディーグルとゴージンが飛び降りる。
「太郎、何故裸ゾ?」
「風呂の中にいた時、あいつにさらわれたんだよ」
尋ねるゴージンに、俺がシリンの方を向いて答えた。そしてシリンを見て俺は驚く。
シリンが炎上する屋敷を見て、ぼろぼろと涙をこぼして泣いている。
「この家には……い、いろんな思い出がいっぱいあったのに、全部焼けちゃったよ……」
「中に飛び込んで貴方も一緒に焼かれて、そのいろんな思い出と共に地獄へ旅立ってみてはいかがですか?」
ディーグルが柔らかい口調で、意地悪極まりない台詞を口にする。
「しゃーねーなー……」
俺が一言呟き、筆と画板と水彩紙を取り出す。
「え?」
自分の目から零れ落ちている涙が宙に浮かんでふわふわと漂っているのを見て、シリンが目を丸くした。シリンの涙は俺の筆の先へと吸い寄せられる。
シリンの涙で筆を濯ぎ、奴の想いと共に涙を吸収し、水彩紙に筆を走らせる。シリンの住んでいた豪華な屋敷が、勝手に描かれた。
紙が宙に浮かんで光り輝き、光と共に紙が消えると、屋敷の炎が瞬く間に消え、炎上する前のシリンの家に戻っていた。
「君は……どうして……」
俺の方を向いて何かを言おうとして、言葉に詰まるシリン。
「一応助けてもらったからな」
シリンに向かって微笑む俺。こいつのついでに襲われたとはいえ、シリンは俺のことをちゃんと守ってくれた。
さらにスケッチブックを取り出し、服の絵を描く俺。やっとフルチンでなくいられるわ。
「まだ……話したいことはあるんだけど、つ、次の機会にしようか。じゃ、邪魔も入っちゃったし」
ディーグルを横目で一瞥し、シリンが俺に告げる。
「ああ、俺も言いたいことや聞きたいことがまだあるが、何か頭痛くなってきたし、次にしようか」
服を着ながら俺が言った。こりゃ絶対風邪引いたわ。
「い、いろいろ……ごめんね。それと、あ、あ、ありがとう」
俺と視線を合わせて謝罪と礼を告げた所で、シリンは目を逸らした。人と目を合わすのが苦手なこいつなりに、精一杯頑張ったという所か。
***
「さて、どういうことかお聞かせ願いましょうか。大体はわかりますが」
宿に戻った所で、ディーグルが満面に笑みを張り付かせて訊ねてくる。こりゃ相当怒ってんなー。でも事情を話せばもっと怒るだろうけど。
心配させたし迷惑もかけたから、シリンに声をかけられていたことも、その誘いにのって話をするつもりでいたことも、全てディーグルとゴージンの前で話した。
「話は以上ですか?」
笑顔のまま確認を取るディーグルに、俺は神妙に頷く。
ディーグルが己の胸の前で両手を素早く交差させて開くと、勢い良く俺の首筋へと手刀を打ちつけた。
「いでえ……」
首を押さえて蹲る俺。やっぱり相当怒ってるぞ……これ。俺にはわかる。今のモンゴリアンチョップでこいつの怒りが伝わった。
「内緒にしていたのはすまんこ。でも言ったら絶対お前反対すると思ってさー」
「ええ、もちろん反対しますよ。しかしね、私の主は太郎さん、君ですよ? どんなに反対しても最終決定権は君にあるのですから、私は君の決定に従います。ですが私が重要なことを知らないままであれば、今回のように太郎さんを危険に晒してしまう事態にもなりえます。私と太郎さんとゴージンさんは、運命共同体です。今回のようなことは二度とないようにしてください」
笑みを消し、真剣な口調と眼差しで訴えるディーグルに、俺はものすごく申し訳ない気分になった。胸がチクチクどころではない。ディーグルのことを信じなかったうえに、そのせいで俺一人さらわれて、ディーグルを心配させてしまったのだ。
「すまんこ……」
立ち上がって再度謝り、深く頭を下げたはずみにぽろぽろと涙がこぼれ落ちたことに、俺は仰天した。
な、何を泣いてるんだ俺はっ。これしきのことで泣くとかどんだけ涙もろいんだよ、このおこさまぼでぃーはよおぉぉっ。
「どうなされました?」
いつまでも頭を下げたままの俺をディーグルが訝る。
「相当反省していルということであロうゾ」
ゴージンがいいこと言ってくれた。よし、反省して頭下げっぱなしだから、お前ら消えろ。あっち向け。
「それにしては様子がおかしいですよ。何かあるのかもしれません」
気遣うディーグルのありがた迷惑なことよ。何もねーからっ。
「何泣いているんですか……これしきのことで」
覗きこんできてあっさりバレた。しかも露骨に呆れ顔してる。こ、この野郎……
「うるさいなっ。前にも言っただろっ。この体は子供の体だからすげー涙腺モロくて、ちょっとのことですぐ泣くってさ! うぐっ……うぐぐぐ……」
泣き顔を上げ、嗚咽を漏らす俺。
「ディーグルよ、そういう時はちゃんと抱きしめて、尻……もとい頭を撫でてやルものゾ」
いやいやいや、ゴージンちゃん……こいつに抱きしめられたあげく、尻撫でられて慰められたらたまらんわ。構図的にもヤベーし。
「えー……嫌ですよ、私は。そういうのはゴージンさんがしてあげれば、太郎さんも喜びますよ」
すげえ嫌そうな顔と口調で言うディーグルであったが、いいこと言ってくれた。
「い、いいのかっ? よいであラば、我がその役得に預かラん」
ゴージンが興奮気味の声で確認するなり、俺のことをギュッと強く抱きしめる。
おおお……頭部を胸の合間に挟まれて柔らかい感触でいっぱい。呪いの時はただ楽になったというだけで、ゴージンに抱かれていてもエロい気分には全くなれなかったが、今度は違うぞーっ。
まあいくらエロい気分になっても、股間の天使は座天使のままなんだけどね。
「太郎は泣き虫であルな。よしよし」
俺を抱きしめながら頭を撫で、優しい声で俺をあやす。おっぱいは嬉しいけど、何か複雑な気分だな……。ゴージンにとって、俺は一人の男性ではなく、あくまで子供っぽいからなあ。しかも妹の代わりとか。
***
翌朝、俺はズルパパニに別れと礼を告げに行った。
「いろいろ楽しかったよー。また遊びに来てくれよな。行ってない所とかあるし」
愛想よく朗らかな笑顔でズルパパニ。
「ズルパパニも綺羅星の店の全て知っているわけじゃねーんだろ。エロい店とかヤバい店発掘しといてくれ。また俺が来た時のために」
鼻声で俺が要求する。予想通りすっかり風邪をひいてしまった。
「ちょっとそれは勘弁してほしい。ああいう店入ったのも俺初めてだし、後ろめたいから……。あんたらのガイドで、いろいろ貴重な経験しちゃったわ」
照れくさそうにズルパパニが言った。
帰りの飛空船の操縦も風邪ひいた状態でしなくてはならなかった。まあ大した労力じゃねーんだけど。
「今回の収穫といえば、太郎さんが風邪を引いたことですね。看病が楽しみです。休暇が終わるまでに治らず、休暇終了で丁度治るようにきっちりと看病してさしあげねば」
ディーグルがわけのわからんことをほざいている。
「ディーグルは何故看病が楽しみなのだ?」
ゴージンが不思議そうに尋ねた。
「何故と言われても私のサガですからね。とても惹かれるんです。弱りきった人の面倒を看るという行為に。献身、愛情だけではなく、何故か支配欲のようなものも満たされるのです」
ディーグルが何か戯言をぬかしていたようだったが、俺の頭の中は別なことでいっぱいで、反応する気力が無かった。
シリンが口にした停まり人の真実。人が変わってしまったバスの男。この二つは俺にとってかなり衝撃的だった。特に後者が。




