13 二つの忠誠
もしディーグルにその気があれば、詰みだ。俺に何もできない。スケッチブックを呼び出す間さえもなく殺される。多少のペインには耐えられる自信があるが、ディーグルの攻撃には無駄な気がする。
にも関わらず、俺は自分でも驚くほど冷静だった。恐怖すべき場面なのに全く恐怖していない。
現実味がわかない? いや、そうではない。信じてしまっている。ディーグルのことを。
先程の神殿での会話で、俺は一瞬ディーグルを疑ったものの、ディーグルはすぐに否定した。こいつの性格を考えると、ディーグルの言葉が俺の解釈通りの意味であったら、あの場で俺を落ち着かせるために取り繕ったりしない。本当に俺の解釈が誤解だったから、言い方を改めたのだ。
それにさ、たとえディーグルが俺を殺しても、文句を言う気にも怨む気にもなれない。こいつに殺されるなら仕方ないと諦められるわ。
一方で命じられたディーグルの方はというと、俺の方に視線を向けて、いつもの超然たる雰囲気が揺らいでいた。動揺している? 戸惑っている? いや、違う。
こいつ、俺の反応を伺っているみたいだ。
「お断りします。どこの世界に主に手をかける者がいましょうか」
市長ではなく俺の方を見たまま、ディーグルは木村の命を拒んだ。おいおい……断るならあっち見て断れよ。どうしたんだ? さっきからこいつ微妙におかしい。
「何を言っている……ディーグル。君の雇い主は私……いや、葉隠市だぞ」
苛立ちと動揺がないまぜになった声をあげる木村。
「諦めてください。私は断ると言いました。一度口にした言葉が覆るわけもありませんね?」
今度は木村の方を向いて、冷たい口調できっぱりと断った。
「そんな……どうしたんだ? 君が憎む乱す者であり、邪神の下僕だというのに」
「勘違いされていたようで甚だ不快ですが、私は相手の立場やら所属一つを見て、その者に評価と裁断を下すような、狭量な心など持ち合わせていませんよ? 私の目から見れば、彼は乱す者と二度に渡って戦った者としか映りません。ここに来た時も含めれば三度ですか」
おーおー、言ってくれる。頑張れディーグル。
「所詮、神聖騎士は神の下僕だぞ! 主たる神の一言で、昨日までの味方は敵となるかもしれんのだぞ!」
「そうなってから討ち取ればよい話ではないですか?」
ムキになって喚く木村に、ディーグルの冷静な一言。
木村はその一言で平静を取り戻したようで、大きく息を吐いた。
「そうですな。君の言う通りです。そのために君がいるのですし」
木村が敬語に戻っている。いつも感情を現さなかったこいつが、ここまで狼狽えるのはある意味見物だったが、逆に言うと、そこまでディーグルを信じていたことになる。
「これまたおかしいことを仰られます。私のその役目を期待しているのなら、諦めてください。私は言いました。どこの世に主に手をかける者がいるのかと」
落ち着いたはずの木村が再び顔色を変える。
「つい今しがたまで、私は正直な気持ちを己に問うていました。私にとって太郎さんは、私が心から仕える者となっていたのです。この子に仕え、この子を守り、その先を見てみたい。そう思わせる感情が私の中に確固としてあります」
毅然たる口調で放ったディーグルの台詞に、流石の俺もじーんとくるものがあった。なんつーか嬉しくて恥ずかしくて感動して、ヤバい。また涙腺がヤバい。
「わかった……私の読み違いだった。二人とも退室してください」
市長は諦めたように背を向ける。
「待てよ。あんたは危険だからという理由だけで、そいつを平然と排除する、そういう奴なんだな?」
それまで黙っていた俺が、ようやく口を開く。市長が振り返る。
「なら、俺も同じ理由で自分にとって危険な存在を排除しようと、文句は言わないな?」
スケッチブックと鉛筆を呼び出す。市長は一見悠然と佇んでいるが、口元がわずかに引きつっているのを俺は見逃さなかった。あははは、無理してる、無理してる。
「あんたみたいなろくでもないのが市長だと、この先似たような理由で何人も殺しそうだし、そんな危険人物も排除した方がいいよな。うん」
「ディ―グル……やはりこいつは殺すべきだ!」
顔色を変えて叫ぶ。命乞いの代わりに上から目線で「××すべきだー」なんて絶叫とかダセえ。まだ命乞いのが可愛げがあるぜ。
「馬鹿が。ディーグルが拒否した時点で、てめーの命運は尽きたんだよ。死ね」
冷たく言い放ち、スケッチブックに鉛筆を走らす。
木村の頭上に巨大なハンマーが現れ、振り下ろされる。
「うわあああっ!」
泣きだし、恐怖の悲鳴をあげる木村。市長としての威厳も矜持も無い無様な姿。あー、楽しい。
ウレタン製のハンマーに押し潰され、木村は床に這いつくばった。
ふぁっく、奴の恐怖が激しすぎてペインが生じてるようで、俺に疲労が生じているわ。
「ちょっとスッとした」
泣き顔の木村に向かっていやらしく笑ってみせる俺。ま、これで勘弁してやるさ。
もう一度絵を描いてハンマーを消し、踵を返す。だがその時――
「お待ちください。甘いですよ」
ディーグルの発言で、退室しようとした俺の足が止まった。彼の手が刀にかかっていた。
「私は……主にとって危険であると感じた存在を生かしておくつもりなど、毛頭ありません」
振り返るとすでに終わっていた。木村の体が縦に五枚におろされていた。壮絶な斬り方だ。真ん中とかすげー薄く切断されているぞ。
「後顧の憂いは断たせていただきます。彼は間違いなく、諦めずに刺客を手配したでしょうからね」
木村の体が透けて消え、バラバラになった服が床に落ちる。
なるほどなあ……。これがディーグルという人物の本質か。木村はディーグルのこの冷徹さを知っていたんだ。んで、この冷徹さを俺の方に向けると思っていたわけか。
正直この木村という男、俺はそれほど嫌いではなかった。ウザくはあったがな。
葉隠市を守るという信念をもっていた人物であったし、ならば俺を殺そうとすると選択肢も、わからんでもない。できれば殺したくもなかったんだが、ディーグルが殺しちゃったからしゃーないねー。
「憂いを断つのはいいけど、市長殺してお尋ね者になっちゃうのはどう対処するんだ? まあ、誰も見てないから黙ってりゃわかりゃしないかもしれねーけど」
「問題ありません。新市長が上手に処理してくださるでしょう」
「新市長?」
今日の明日でいきなり新しい市長が就任するってのか? 民主的に投票して政治屋を決めるわけじゃないのかよ。
「明日になればわかりますよ。それまでのお楽しみです」
何が楽しみだというのか……。もしかしてディーグルは、新市長とやらと通じていて、最初からこうする予定だったのか? ……いや、まさかな。
「ディーグル、すまんこ。俺のために人殺しさせちゃって。そしてありがとさままま」
「忠誠を誓った主を守るため、従者として当然のことをしたまでです。しかし、本心を言わせていただければ……」
そこでディーグルの顔に笑みが浮かぶ。
「市長が私に君を殺せと命じた際、もう少し怖がってくれた方が、可愛げがあったんですけどね。私に殺されるかもしれないとびくびくして、泣きそうな顔ですがるように私を見上げる太郎さんを期待していたのに、実に残念です。非常に残念です。心底残念です」
口調こそ冗談めかしているが、本人が言うように本心なんだろうなー。ドSだし。それにこいつ、俺の反応を伺っていたしな。
「それこそ諦めれ。でも腑に落ちない点があるな。市長はお前が自分の言うことを聞くと信じて疑っていなかった。命令を拒否すると全く考えてなかった」
「考え過ぎです。私は葉隠市で長いこと、乱す者と戦っていましたからね。木村市長は私を誤解していた。乱す者との戦いなら――都市を守るためなら、いくらでも非情になれると。そう信じて疑わなかったのが彼の運のつきでした。正直、危険だからという理由だけで、私が子供さえも平然と手をかけるような冷血漢だと思われていたのは、先程も申したように心外ですよ」
この市長は馬鹿じゃなかったと思うが……人を見誤ってしまったということか。それが命取りになったと。
「俺もお前を信じて疑わなかったからこそ、市長がお前に俺を殺せと言われても平然としていられたんだぜ」
クサいことを臆面も無く言ってやる。
「神殿では私を疑っていたではありませんか」
「神殿の件はお前の言い方がおかしかったし、誤解以上にムカつく言い方だったからな」
「人をそう簡単に信じるものではありませんよ。私は特に気まぐれですから、信じない方がよいでしょう」
「いいんだよ。俺が勝手に信じているんだから。例え裏切られても、自分が信じた相手ならその裏切りも受け入れる。信じるってのはそういうことだ」
俺の言葉に、ディーグルは笑みを消して真顔になったかと思うと、いきなりその場で床に正座して、腰に差していた大小を外して床に置き、両膝の上に手を乗せ、ぴしっと背を伸ばす。
「では改めて誓いましょう。私ウィンド・デッド・ルヴァディーグルは、これより新居太郎殿を真の主とし、この命尽きるまで剣を振るう所存です」
宣言と共に、両手を揃えて床につき、頭も床につくほど下げるディーグル。
「うむ。よきにはからえ」
両手を組んでふんぞり返り、偉そうにそんなことを言ってやる俺。
「ここ、ふざける場面ではないんですけどね……」
「俺だってふざけたつもりはないんだけど……。うまい言葉が咄嗟に出なかっただけなんですがー」
頭を上げて苦笑するディーグルに、俺もつられて苦笑する。
「ふざけるってのはなー、お前が頭下げた後に、靴を出して『さあ、誓いのキスを』とか、頭の上にちんちん乗せて『ほーれ、誓いのちょんまげじゃー』とか、そういうのがふざけるって言うの」
「すみません、やっぱり今の誓いは取り消しで。そもそもちょんまげと呼べるほどのサイズも無いでしょう」
あうう……まあ、何だ。お互い照れまくりなのであった。
***
市長の死は、その日に葉隠市全体で知られる事は無いようであった。ディーグルと俺がお縄にかかるようなことも無かった。
あの後、ディーグルは職員の一人に市長を殺したと堂々と告げ、何者かにそれを伝えるよう告げて、市庁舎を後にした。そいつの名前は長すぎて、覚えていない。
ディーグルの行動が何を意味するか、全く意味不明。聞いても『明日になればわかるので、それまでのお楽しみ』という答え。
買い物を済ませて家に着いた時には、もう真っ暗になっていた。
「ディーグル、お主……人を殺したな?」
帰宅するなり、リビングで腕立て伏せをしていたゴージンが運動を中断して、ディーグルの顔を見て言った。
筋肉の形が浮き彫りになった肌を汗がしたたり落ちているのが、妙に艶めかしく感じて、胸がときめいていしまう。でも俺の天使の下半身は無反応。ふぁっく。
「人を殺したらお腹がすいちゃいました。御主人様、早く私のために夕飯を作ってくださいな」
何食わぬ顔でディーグルはそう言うと、ソファーに腰を下ろす。俺は無言で、帰りに買った食材を持って台所へと向かう。
「太郎、無事で何よリだが、何があったか教えロ」
ゴージンが俺の隣に来て、真顔で問う。やっぱりゴージンも俺の身が危ないことを薄々感じていたか。そのうえでディーグルを信じて一任したのだろう。
「市長がディーグルに俺を殺せと命じたら、ディーグルが尻出して『ヤデスー、アッカンベー。おなら爆弾を食らえ!』ばっふ~ん。市長『ギャーっ! これは臭すぎるうぅぅ! イクーッ!』市長溶けて死亡」
大根を切りながら、市長室であったことを語る俺。よく覚えてないけど、確かこうだったはず。
「私のキャラを例え想像上でも、歪めて貶めるのはやめてください。それに、おならなのに何で爆弾なんですか」
「ディーグルの尻は見てみたいが、この世界におなラは無いゾ。加えて言うなラ、真にディーグルが毒ガス攻撃をしたのであレば、太郎とてディーグルの悪臭で死んでいルであロう」
ディーグルとゴージンが続け様に突っ込む。つーか尻を見たいって……
「しかしやはり然様な展開になったであルか」
ゴージンがディーグルの方を向く。俺は料理に集中しているので、彼女がどんな表情しているかはわからない。
「ゴージンさんもよく私を信じる気になりましたね。主の身を危ぶんでいたのであれば、信じてはいけませんよ。私に帰るよう言われても、残って監視すべきでした」
「お主が我の立場なラ、そうしたのであルか。我はお主を信じた。信じルことは悪しきに非ず」
ディーグルとゴージンの考えの相違。果たしてどちらが正しいのか。いや、俺がゴージンの立場なら果たしてどうしたか……。
***
「人一人に心酔され、忠誠を誓われるというのはどんな気分だ? いや、言わなくてもわかるぞ。心地好いものだろう?」
黒髪ロングの美少女がからかうように言う。いや、美少女ではない。美少年だ。今日は顔つきこそ大して変わらないが、男として現れた。服装はどっかの民族衣装のような、カラフルな貫頭衣だ。裾は短く、生脚が大きく露出している。野郎だから嬉しくない。
そういや気分次第で男の時もあれば、女にもなるっていう話だったな。
「ネムレス――か。名前くらい教えてくれりゃよかったのに」
「知るまでの醍醐味を奪ってしまっても味気無かろう。君にはせいぜい過程を楽しんでもらいたいからね」
悪戯っぽい笑みを張り付かせたまま、俺の主たる神――ネムレスは言った。
「で、僕という絶対的存在に忠誠を誓い、心の底から服従するのはどんな気分だ? いや、言わなくてもわかるぞ。その心地好さに屈しないよう、必死に耐えているのだろう? 本当はその膝を屈し、胸に手をあてて頭を垂れてみたいにも関わらずな。君は前世からそうだった。その誘惑を必死に堪える君の姿は、今も昔もたまらなく可愛いな」
「意識しないようにしているんだけどね。昔も今も、俺が何でお前にへつらわないようにしていたのか、その理由を本当にわかっているのか?」
俺の指摘に、ネムレスは満足げに笑った。
「知っているとも。容易く屈従するということは、思考停止も同じこと。心の中で忠誠心を抱きながらも、それに委ねすぎない。その辺のバランス取りが要だ。おそらくあのディーグルなる者も同じ気持ちであろう」
本心ではへつらいたいけど、必死に抗ってへつらわない。つまりあれだ……うん……あれだよ、あれ……
「ディーグルを知ってるのか?」
「面識は無いが、その名や逸話を知らぬはずがない。一体どれだけの数の神々と神聖騎士と巫女を屠ったか知れぬ。ある意味僕と同じだな。心失くした神々の天敵だ」
心失くした神々とな? ネムレスやディーグルが討伐しているというのは、悪神の類ということかねえ。
いや、ネムレスは善神ともかなり戦っているな。ラクチャのじっちゃんもだし、何より正義の神である弟神のユメミナを完全に滅ぼしている。
「英雄譚や神々の伝承等の逸話を見れば、彼のエピソードはそこら中で目につくはずだぞ。ウィンド・デッド・ルヴァディーグルは神殺しとも、妖刀の狂戦士とも言われて、何百年も前から語り継がれている、生ける伝説だ。君はちゃんと本を読んでこの世界を学習したまえよ」
狂戦士って何だよ。エルフでバーサーカーとかイメージ沸かなさすぎ。
「読んでるけど、ディーグルが出てくる所を見る度に読み飛ばしてたんだよ。あいつどういうわけか、俺が読書している際、自分が出てくる箇所を読むと凄い勢いで察知して覗きこんできて、ここは事実と違うとかこの時はあーだったこーだったと、うるさいんだぜ」
「中々愉快な男のようだな。まあ心強い味方が君についてくれているようなので、僕も安心だ」
ネムレスが姿を消そうとする。
「待った。せっかく出てきてくれたからもう一つ質問。俺がこんな子供なのもあんたの仕業か?」
「知らないな。生誕してからの見た目の変化は、地獄においてのお気に入りの年齢か、さもなければ精神年齢で決まる。君は後者なのだろう。見ていればわかるぞ」
誰からも同じこと言われるなあ……超ふぁっきんな気分。
「そもそも僕の仕業とか、そんな言い方はやめたまえ。疑うのもやめたまえ。僕は君の敵ではないし、運命を弄ぶ者でもないと言ったろう。いや……」
ネムレスが眉をひそめる。珍しく表情に陰りが出ている。
「君と彼女の魂に、ちょっとした仕掛けを施したのは事実だ。転生してもすぐに君がわかるように。僕のものであるように。君達はずっと僕のものであってほしいからな。僕の我侭だ。それだけだ」
彼女――巫女のことか。つまり……
「そう、リザレの事だよ」
俺の心を見抜いて先回りし、その名を口にする。
「彼女は前世と同じ名を名乗っているな」
「あっちでもそう名乗っていたよ。あまりいいエピソードでも無い」
「リザレに会いたいだろう? 前世でも君とリザレは恋人同士だった。たまに僕も交えて3Pもした。君は子供の体だから、今後、性的には僕が彼女を独占だな。残念なことだ」
「おい……」
ネムレスを睨むものの、不思議と腹も立たず、嫉妬心もわかない。
「ではそろそろお暇する。またちょくちょく会いに来る。次に会った時に君がどれだけ物を知ったか、また成長しているか、楽しみにしているよ。君も今後の過程を楽しみたまえ」
上から目線でエラそーに告げ、姿を消すネムレス。
他の奴だったら嫌いなタイプと断じて、一切相手にしないか100%喧嘩腰で臨むかどちらかなのに、こいつが相手だと、そう感じることができない。それどころか、それが自然な状態として安らいでしまう。
この気持ちは、神とその下僕という魂の絆から生じているものなのか? それとも前世の自分とこいつとの間にある、思い出すことかなわぬ思い出が、魂の奥底に沈んで残っているせいなのか?




