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「待たせたな」
声がした方に振り向くと、そこには左右に従者を連れた少女が立っていた。
少女は自分と同じくらいの年頃だろうか。豪奢なドレスに身を包み、幾重にも巻いた長い金髪は美しい螺旋を描いている。閉じた扇子で口元を隠す振る舞い一つをとっても、一目で高貴な生まれだとわかる。
だが何よりも彼女を端的に表しているのが、頭に載せられたティアラだ。王冠を模したそれは、王族しか身に着けることが許されない代物だ。
「わらわはクリスティアナ=ヴァン=カントじゃ。クリスと呼ぶが良い」
あまりに予想外の出来事に、シャーロットは反応が遅れた。
クリスティアナ。それはカント王家第一王女の名前で間違いない。上に兄が二人いるので王位継承権はほぼ無いといってもよいが、それでも持つ権力と政治的影響力は貴族の比ではない。
それよりも、自分を呼び出したのが二人の王子のうちどちらかではなかったことの方が驚きだ。
いや、冷静に考えてみれば、その方が自然だったのかもしれない。
リリアーネの講習を受けた貴族女性たちには、彼女のことは口外しないようにと注意してある。
特に男性には決して話さないようにと。
だが世の中、悲しいかな約束を守れる人だけではない。どうしても、口が軽い者は存在する。
また、決して口が軽いわけではないが、うっかり話してしまうのがヒトというものだ。
『口外してはならない。特に男性には』
この二つの条件なら、男性でなければ口外してもまだ罪が軽いのではなかろうか。そう考える者がいてもおかしくはない。
そうやって誰かの僅かな気の緩みが情報の漏洩を生み、今回の事態を招いたのだろう。
「ティターニア=リュシェ=シャーロットと申します。お呼びによりまかり越しました」
どうにか平静を装い貴族式の挨拶をすることができたが、内心はまだ混乱したままだ。
「お主がティターニア家の息女シャーロットか。今日はわらわの急な呼び出しによく応じてくれた。礼を言う」
「ありがたきお言葉」
「さて」そう言ってクリスティアナが手を叩くと、どこに隠れていたのか侍女がわらわらと集まって来る。皆それぞれが持つ盆に皿やカップなどお茶の用意が載っており、あっという間にテーブルにお茶会の準備をしてしまった。
「まずは茶でも一杯どうじゃ。話はそれからでも構わんだろう」
「喜んでいただきます」
シャーロットが承諾すると、侍女たちはてきぱきとお茶を淹れる。高さをつけたポットから注がれる紅茶の湯気が、シャーロットの鼻孔をくすぐる。
いい茶葉だ。それもとびきりの。
この一杯だけで、庶民の一世帯ひと月分の食費を軽く超えるだろう。それを何と易々と、まるで水でも出すかの如く振る舞うのだろう。
きっと彼女はこの茶葉の値段を知らないだろうし、これから先も知ることはないだろう。産まれてから死ぬまで食べるものや着るものの値段を一切気にしなくていい。彼女はそういう人種なのだ。
と思ったところで、シャーロットは自分も家が凋落しなければ似たようなものだったことに気づき、軽く苦笑する。
するとクリスティアナがそれに気づく。
「どうした? 口に合わぬか?」
「いえ、滅相もない。大変美味しゅうございます」
「そうか。なら良かった」
満足そうに笑うと、クリスティアナは再び「さて」と切り出す。
「最近、貴族の若い女どもがやたら色気づいておってな。皆こぞってコルセットを外し、毎日奇態な運動をしておるそうじゃ」
「まあ、そのようなことが?」
「そう言えば、お主もコルセットをしておらんようじゃのう」
「あれは体に悪うございますから、最近は着けておりません」
しれっと言いながら、シャーロットはカップに口をつける。美味い。幸いにも紅茶のおかげで緊張がほぐれ、自分でも驚くくらい落ち着いている。
「それにその奇態な運動には講師がおるらしくての、皆その講師に熱を上げておるらしい」
「それはそれは」
「それにその講師の肖像画を集めるために、躍起になっておるそうな」
「左様でございますか」
伝聞を装ってはいるが、その実は『お前のことはここまで調べているんだぞ』と暗に言っている。だが剣先でつつくようなクリスティアナの尋問を、シャーロットはのらりくらりと躱す。
やがて埒が明かないと悟ったのか、クリスティアナはシャーロットをじろりと睨みつけるとぱちんと音を立てて扇子を閉じる。
「単刀直入に言うぞ。わらわもその講師に会わせろ」
一気に間合いを詰め、斬り込んでくるクリスティアナ。
だがシャーロットはそれを弾く。
あたかも分厚い盾のように。
「お断りします」
「何じゃと?」
よもや断るとは思ってもみなかったのか、クリスティアナはきょとんとした顔でシャーロットを見つめる。
「……一応、理由を訊いておこうか」
「簡単な話でございます。『彼女が望んでいない』。ただそれだけです」
「王女のわらわに会わせたくない、ということか?」
クリスティアナの言葉に、シャーロットは静かに首を横に振る。
「誰であろうと――たとえ神であっても答えは同じです」
「ほう……」
クリスティアナは僅かに眉を吊り上げるが、一度カップに口をつけると落ち着きを取り戻したのか穏やかな表情になる。
「貴様にそこまで言わせるとは、ますます興味が湧いてきたぞ」
「何と言われようと、彼女が望まないことをわたくしはするつもりはありません。なのでこの話はここでおしまいです」
「どうしてそう頑なになる。ティターニア家とて、カント王国の貴族の中の一つに過ぎん。むしろここでわらわに恩を売って、貴族の位を一つでも上げようとは思わんのか?」
悪魔の囁きのようなクリスティアナの言葉に、シャーロットは毅然とした態度で言い放つ。
「彼女は我がティターニア家の恩人です。貴族の位欲しさに恩を仇で返すような恥知らずになるぐらいなら、そんなもの捨てた方がマシというものです」
次の瞬間、テーブルの上のカップとソーサーが砕け散った。クリスティアナが勢いよく叩きつけたのである。
「よう吠えた。ならば貴様の望み通りにしてやろう!」
次回更新は活動報告にて告知します。




