第30話 カインド・レディ
あれから俺は六花さんと別れ、一人で家に帰った。方向は同じだけど一人になりたかったから彼女とは時間をずらして帰った。そうして家に入ったが、まだ母さんは仕事から帰って来ていないのだろう、中は静かでさっくりとした冷たい雰囲気に包まれていた。
自分の部屋に逃げ込んで、アマンダへのプレゼントを机に放り投げてベッドの布団に潜り込む。スマートフォンには通知が何通か入っていたけれど見る気にはなれなかった。
(俺、最低だ)
目を閉じると、脳裏には六花さんと二人で入ったプリクラの筐体内の出来事が思い起こされてしまう。彼女の身体の感触も舌の暖かさも身体に染みついて離れてくれない。あろうことか、もう一度六花さんとああいう事をしてしまいたいと思っている自分さえいる。
枕元に置いていたスマートフォンが振動を始めた。きっとアマンダからだろう。出る気にもなれず、俺はそれに背を向けるようにして丸まった。
(アマンダに、どういう顔で会えばいいんだろう)
俺は六花さんのように何もなかったような振る舞いなんてできない。アマンダの前でいつも通りに彼女と接することは出来るかもしれないけれど、六花さんに会えばあの時の事を思い出してしまう。
アマンダがそれを知ったら、彼女を酷く悲しませることになるだろう。かと言って、それを今、俺の口から伝えるのはどうか? 彼女がどんな反応をするのか全く分からないけど、きっといい反応は示してくれないだろう。最悪このまま別れ話を切り出されても文句は言えない。
スマートフォンの振動はまだ止まらない。流石に煩い為画面を見ると、そこには渡辺の文字が出ていた。ベッドの上を転がりながら渋々それに応じる。
「なんだよ」
〈うんにゃ、ちょっと用事があったんだけどな。今、家の中入っていいか?〉
「……ええと、一人にさせてくれないかな」
〈困るなぁ、ほんの少しだけでいいからさ。な?〉
普段なら俺が都合で会いたくないと言えば下がってくれるが、どうやら今回は違うようだ。この調子だと追い払おうとしても無駄だろう。
「ったく、分かったよ」
〈家の前で待ってるからな〉
渋々布団から這い出た俺は玄関に向かって鍵を開けた。
渡辺ならいいか、と思ってドアを開けた先には、彼とエミリアさんの姿があった。
「え……」
「よう、そのなんだ、不意打ち喰らわせる形で申し訳ないが……」
「Hello, 大和」
アマンダがいないかと戦慄した俺は慌てて周囲を確認するが、二人の他には誰もいないようだ。とりあえず家の中に入ってもらい、台所のテーブルに座ってもらう。
「用事って何だよ」
「ああ、これを渡そうと思ってな。バイトで何枚か貰ったんだけど俺は一枚でいいから」
渡辺は財布の中から長方形状の紙を3枚取り出すとそれを全てこちらに渡してきた。電車で少し行った所にある動物園の割引券だった。期限はゴールデンウィーク中だ。
「3枚も?」
「俺も誰か連れて行く相手がいたらよかったんだけどねぇ……」
「大和、いい友達持ったね」
エミリアさんがそう言うと渡辺は口元で笑いながら視線を天井へ逃がす。
俺がもう少しまともな精神状態だったら嬉しかったんだけど、今は。
「……一応、貰ってはおくよ」
「なんだ、嬉しくなかったか?」
「いや、その、ちょっといろいろあって」
エミリアさんはもしかしたら俺に何があったのかを分かっているのかもしれない。だが、ここは渡辺に言う事はしなくてもいいだろう。俺と六花さんの関係を一から説明するのも面倒くさい。
渡辺は俺がさっきから浮かない顔をしているのを見て何かを察したのか、椅子から立ち上がると玄関に向かう。
「お、そう言えばまだ宿題やってなかったなぁ……早めに片付けとけよ」
「もう帰るのか」
「渡すものは渡したからな。あんまり野郎の家にいてもしょうがないし、俺は帰るよ」
玄関から出た後、渡辺は隙間から顔だけを覗き込ませながら付け加えるように言った。
「何があったかは聞かないが、せっかくの連休だからな。早いとこ元気になれ」
「……分かった」
玄関の扉が閉まる。家には俺とエミリアさんの二人が残された。
俺が台所の椅子にエミリアさんと向かい合うように座ると、彼女はさっきの一連の会話を思い出すように話し出す。
「結構イイ奴だね、渡辺って」
「ちょっと迷惑に思う時もありますが」
「そういう友達は大切ー。大和はもっとカンシャしなきゃ」
「はい……ところで、なんでエミリアさんもここに?」
一番にその事を彼女に尋ねる。
どうしてアマンダではなくエミリアさんが来たのだろうか。それに、エミリアさんが来るのであれば妹のアマンダが付いてこない理由も気になってくる。
「んーとね、アマンダが行ってこいって言ったんだ。姉使い荒いねー」
「アマンダが?」
「Yeah. 大和の様子、おかしいから見て来いって。多分自分じゃ相手にされないからって」
「そこまで……」
確かに俺はアマンダとの電話を途中で切ってしまった。そして、おそらく彼女から来ていたであろうメールやSNSの通知を完全に無視してしまった。それがアマンダを悲しませてしまった事を想像するのは難しくない。
エミリアさんはそこまで言うと、暗い道を一歩ずつ歩くように慎重に尋ね始めた。
「Ah...大和、今日何か悲しい事あった?」
「悲しい事は……ないんですけど」
「プレゼント、買えなかった?」
「いや、それは大丈夫だったんですが」
正直、エミリアさんと一緒にいるのも辛い。
ウォーカー姉妹は受ける印象はどちらも違うけど、それでもお互い金髪だったり蒼眼だったりと共通点も多い。だから、エミリアさんと一緒にいるだけでアマンダと一緒にいるような気分になってしまう。
アマンダはこの件に関しては全く悪くないんだけど、今、俺は彼女に会いたくない。
「……それじゃあ、六花の事だね」
エミリアさんの言葉に俺は何も返すことが出来なかった。
しばらくしてから彼女も少し難しい顔になって息を吐く。
「んー、沈黙は肯定だよ、大和。それは大変だ」
「……はい」
「その様子だと、キスまで、しちゃったんだね?」
エミリアさんには嘘をついても仕方ないだろうし、貫き通せる気がしない。
こっくりと、油が切れた機械のように俺は首を縦に振った。エミリアさんは既にそれを予測していたのだろう、特に驚くようなことも無く視線を天井に向ける。
「そっか。それでアマンダに会いたくないんだ」
「なんだか、会わせる顔が無くて」
「真面目だね、大和」
確かに真面目だから俺はここまでアマンダの事をクヨクヨ悩んでしまうのかもしれない。でも、どうしたらいいかが全く分からない。アマンダに出会う時も、この罪悪感と常に葛藤し続けなければいけないのだ。
六花さんが悪いとか、そう言う事を言うつもりはない。ただ自分が弱い事に、道化になれないことに深い悲しみを覚えていた。そしてそれが俺の心を蝕んで止まない。
「大和のその……『ツミ』って言うのかな? それ薄める方法なら知ってるよ」
「エミリアさん……?」
「誰かと半分こしちゃえば、楽になれる」
エミリアさんはすっと立ち上がると、そのまま反対側に座っている俺の隣の席に座り直した。いつも通りのキャラクター物のTシャツとジーパン姿。だけど、今日はやけにそれが大きく見えてしまう。
「だから……Look at me, Yamato」
「えっ?」
反射的にエミリアさんの方を向く。
エミリアさんはその瞬間を狙って、俺と口づけを交わしてしまった。
「っ……!?」
「んっ……」
最初は弱っている獲物を狙う肉食動物のような獰猛さを感じたがそれは間違いで、傷ついた仲間を舐めて癒すような優しさだった。決して激しすぎるキスをすることは無く、俺の様子を見ながらそれにエミリアさんの方から合わせてくれる。
こんな自分でも受け入れてもらえるのが嬉しくて、俺はエミリアさんにすがるように抱き着いてしまった。彼女は何も言わず、俺が向かって来るのを待っていたかのように優しく抱き留めてくれた。
「エミリアさん……俺、こんな……」
「大丈夫。これで、私と大和、キョウハンだね」
しばらく、エミリアさんの胸の中で俺は泣かせてもらった。
誰かの胸の中で泣くだなんて、父さんが死んで以来だった。




