第20話 クレイジー・フォー・ユー
このままだと確実におバカになってしまう。今はまだ理性が残っているからいいけれど、このままアマンダと共に過ごして行けば頭の中がアマンダでいっぱいになってまともな思考が出来なくなる。
自分の家の台所で母さんが出すご飯を見ながらぼんやりと考えていた。今日のご飯は白米に豆腐の味噌汁、そして、母さん手作りの煮込みハンバーグ。普段に比べてちょっとだけ豪華な夕食だった。
「はい、ちゃんとしっかり食べなさいよ」
「分かってるよ。いただきます」
母さんと向かい合うように手を合わせ、二人でいただきますの挨拶をする。それからしばらくの間会話は無かったけれど、ふとした時に母さんが尋ねてきた。
「そう言えば、彼女さん、どうなの?」
「どうって……」
「泣かせてはいないでしょうね。女を泣かせると怖いからね」
何やら説教じみた物が始まったので半分ほど受け流しながら適当に返す。
母さんもそれを分かっているのだろう、特に俺の態度に何か物申すことは無い。
「しかし、あんたに彼女が出来るなんて思わなかったわ。それに、外国人の彼女でしょ?」
「俺もびっくりしてるんだけどな」
「お父さんが知ったらさぞ喜んだと思ったんだけどね」
「……そうだな」
近くの本棚に乗っている父さんの顔写真をちらと見る。まだ若い時の笑顔の表情だ。
俺の父さんは、確か俺が小学生低学年くらいの時にこの世を去っていた。
「あの人は昔、本当にかっこよくてね。頼りになるって言うか」
「父さんの話をする時、すっごく楽しそうだね」
そう聞くと、母さんはとても優しい表情になって答えた。
「当たり前じゃない。好きな人のことなんだから」
「好きな人か……やっぱり、周りとか見えなくなるか?」
「そうそう。そのせいでみんなにはいろいろ迷惑かけちゃったけど」
母さんの昔話が再開する。それを聞きながら頭の中ではアマンダの事を考えていた。俺も、アマンダの事になれば周りの事が見えなくなってしまう。その時間はとても幸せで、後から恥ずかしさを感じることはあるけれど後悔は全く残らない。
「……ということがあってね。あの時は私たちもまだ若かったから」
「もしかしたら」
「どうしたの?」
父さんの昔の写真をもう一度見る。確かあれは新婚旅行の時の物だと聞いた。
「もしかしたら、俺も、父さんと同じように恋愛するのかな」
「父さんと同じって、早死にだけはしちゃ駄目よ。一人じゃ寂しいんだから」
「分かってるよ。まだ、やり足りないことが沢山あるんだ」
アマンダと付き合って一か月。彼女のおかげで、俺は人を好きになる幸せを知ることが出来た。その幸せをまだ味わい尽くしていないし、アマンダにお返しもあんまり出来ていない。
ふと、何かを閃いた。それをすぐさま頭の中で形にして、目の前の母さんに提案する。
「……明日、映画研究部の活動があるんだ。その後、アマンダを家に呼んでいいかな?」
「家に? 勿論大丈夫よ。彼女さん、初めて見ることになるわね」
「多分お姉さんも付いてくると思うけど……大丈夫かな? 出来ることなら、四人で晩御飯を食べたいんだ」
結構無茶を言っているのは分かってる。いきなり家にウォーカー姉妹を呼ぶのだ。いつも作ってくれている夕食も量が増えるし片付けもしないといけないだろう。
「いいじゃない。その代わり、寝る前に少しは部屋を片づけておくのよ」
「それは分かってる……その、ありがとう」
こういう話をするのは何だか照れくさいような気もする。一応お礼を言うと、母さんは口を大きく開けて笑い出した。
「あはは……今日のあんた、珍しく素直だね。彼女さんに何か言われた?」
「いや、その……別に……」
その後、しばらく俺は母さんにアマンダの事について話をした。
あんまり彼女馬鹿にならないよう気を付けたけど、母さん、ニヤニヤしてたような。
※
次の日、いつも通りにウォーカー家に姉妹を迎えに行き、二人で並んで学校に向かう。ゴールデンウィーク前の為か道中すれ違う学生も顔色が良く、隣で笑うアマンダ、エミリアさんも少し浮かれているようであった。
「えへへー、今日行けばお休みです」
「楽しそうだな、アマンダ」
「今日は部活もありますからね! みんなで映画見るです!」
「映画か……今日は何を見るか決めてるのか?」
そう聞くと、アマンダはぽかーんと口を開けて俺の顔を覗き込んできた。
「あ……部活が楽しみ過ぎて決まってないです!」
「アマンダ、大和の事で頭いっぱい」
「むー、エミリア、やめてくださいです……」
してやったりという顔のエミリアさんから痛い所をつつかれてアマンダがモジモジとしてしまう。どうやら、好きな人の事しか考えられなかったのは同じみたいだ。そう考えるとなんだか俺も照れくさくなって、つい、視線を別の方に向けていた。
ああでもない、こうでもない、と考えながら坂を上っていると校門が見えてくる。そして、校門の前には雪乃先生が立っていた。いつも通りに灰色のポニーテールをしていて、教壇に立つときのような白ブラウスと黒のペンシルスカートに身を包んでいる。そしてやっぱり胸が大きい。俺は渡辺じゃないからここから先は考えないようにするけど。
「先生、おはようございます」
「おはようございまーす!」
「おはようです」
「皆さん、おはようございます。アマンダさんは今日も元気ですね」
もはや俺がウォーカー姉妹と学校に来るのは日常になっているのか、特に雪乃先生はそこをいじるようなことはしてこない。軽く言葉を交わした所で立ち去ろうとした時、ふと、雪乃先生が映画研究部の顧問に就いていたことを思い出した。
「アマンダ、それ聞いてみたらどうだ?」
「Oh, ダーリン、名案です!」
「どうしたんですか?」
状況を飲み込めていない雪乃先生にアマンダがきらきらした目で質問をぶつけた。
「雪乃先生、先生の好きな映画を教えて欲しいです!」
「え、映画? どうしたの?」
「映画研究部の活動でみんなと見たいです!」
雪乃先生はアマンダの言葉に少し気圧されているようだったけれど、口元に指をあてて考えること数秒、ぽつりと先生は答えてくれた。
「私が学生の時の映画なら幾らか紹介できるけど、もう何年も前の作品だから……」
「大丈夫です! いい作品は何年経ってもいい作品なんです!」
「そう? それだったら、青春映画って興味ある?」
「青春……是非とも教えてください!」
それから先生が話してくれたのは、とある高校を舞台にしたら男子学生たちのシンクロナイズドスイミングを描いた映画だった。俺も記憶の片隅に残っていたような気はしたが、先生に提案されるまではおそらく考えても出てこなかっただろう。
「おおっ、それいいです! 早速見てみます!」
「あ、そうそうアマンダさん、映画研究部は部室ないけど、ちゃんと活動出来てる?」
「はい! 全員で集まってちゃんと映画を見てるです!」
「そう。何か学校を使いたかったら教えてね。私も出来ることはしたいから」
雪乃先生はそう言ってアマンダへにこやかに微笑みかける。こう言ったら何だけど、雪乃先生も普通に美人だから今の今まで独身であることが不思議である。もっとも、この独身と言う話も渡辺が情報源だからどこまで信用していい物か。
もしかしたら、俺も毎日彼女の姿を見て惚れ惚れとしている雪乃先生ファンクラブの会員になっていた未来があったかもしれない。そんな事を考えていると、俺はいつの間にか雪乃先生の事をぼんやり見ていたらしく、エミリアさんが後ろからガシガシと肘で小突いてきた。
「いてっ」
「大和……」
エミリアさんは少し低い声になると俺の耳元でそっと囁く。
「アマンダ泣かせたら許さないよ」
「ひっ」
「ダーリン、早くみんなに伝えるです! 今日は青春しますよー!」
悪魔のような笑みを浮かべて先に歩いていくエミリアさん。その少し先にいたアマンダを追いかけるように急いで歩き出した。




