第八話 スローライフのち。ちょっぴり野望
あの夜以来。
私の立場は、微妙に――
いや、かなり変わった。
「おはようございます、聖女様」
「今日もよろしくお願いします!」
……ほんと、やめてほしい。
小屋の前で、
ぴしっと背筋を伸ばす村人たちを見て、
私は心の中で、そっとため息をついた。
「きらりで、いいです。
ほんとに、ただの洗濯屋なので……」
「またまた」
「謙遜が過ぎますよ、聖女様」
――まったく通じない。
(てか、みんな妙に目がきらきらしてる。
きらゴブじゃないんだから……)
完全に、“聖女様”が定着してしまった。
そして――さらに、数か月が経ったころ。
洗濯屋は、
もはや私ひとりの仕事ではなくなっていた。
仕分け係。
運び係。
乾かし場の管理。
村人総出。
気づけば、カラル村は、
この地域一帯に広がる
洗濯屋ネットワークの、お膝元になっていた。
朝になると、
近隣の村から、荷車がやって来る。
「今日は三台か」
「増えたねえ」
洗濯物は、籠ごと私の前に運ばれ、
私はそれに向かって、ただ一言。
「……きらきらりん☆」
光る。
綺麗になる。
終わり。
「……」
……あれ?
「……私、
やること、なくない?」
私は、机に突っ伏した。
洗濯は一瞬。
仕分けも、配送も、全部、村の人がやってくれる。
「聖女様は、きらきらの時だけでいいですから」
「ゆっくりなさってください」
いや、申し訳ない。
申し訳ないけど――
「……これ、
私の望んだスローライフだったっけ?」
確かに、楽だ。
安全だ。
ご飯も、美味しい。
狼が襲来したときも、
「きらきらりん☆」一発で、
きら狼になってしまった。
ワンちゃんみたいに腰を押し付けてきて、可愛かったけど……。
でも。
何かが、足りない。
私は、ふと上を見上げた。
――飛竜。
あの街道で見た、
雲を切るように飛んでいた、黒い影。
「……もしかして」
胸の奥で、
小さな火が、ぽっと灯った。
「きらきら、って……
汚れとか、穢れとか……
そういうのを、祓うんだよね?」
ゴブリンが。
狼が。
穏やかになった。
じゃあ――
「……飛竜も?」
ペットにする。
一緒に空を飛ぶ。
もふもふする。
――いや、違う。
「……空を、飛べたら」
頭の中で、
歯車が、かちりと噛み合った。
近隣の村まで、半日。
王都までは、二日。
でも――
「空輸が、できたら……?」
洗濯物を、空から届ける。
日帰りで、王都。
範囲が、
一気に、広がる。
「……事業拡大だ」
そのときの私。
完全に、社畜脳だった。
私は、勢いよく立ち上がり、外に出る。
広場で指示を出している、
マイクさんを見つけた。
やばい。どきどきする。
彼に命を救われた……。
あれ以来、彼の目を見て話せない。
「……あの、マイクさん」
「ん?
どうした、きらりちゃん」
“聖女様”じゃなく、
ちゃんと名前で呼んでくれる、貴重な人。
でも――やっぱり顔を見れない。
「ちょっと……
出かけてきます」
私は目を逸らしたまま言った。
「は?」
「少し、森の方へ」
マイクさんが眉をひそめる気配。
「また、
危ねえこと考えてねえだろうな」
私は、にっこり笑った。
「……たぶん。大丈夫です」
「それが一番信用ならねえやつだ。
わかった。じゃあ、俺も行っていいかい?」
また心臓が一つ跳ねる。
私は思わず黙ってしまった。
沈黙。
「なあ……俺のこと、嫌いかい?」
(……え?)
私は顔の前でぶんぶんと手を振った。
「そんなっ……嫌いなわけ……」
久しぶりに彼の目を見た。
包み込んでくれるような、優しい眼差し。
やばい……心臓が痛い。
「そっか、なら良かった。
ちょっと避けられてる気がしてな」
マイクさんはにっと笑うと、鼻を掻いた。
「ちょっと待ってろ。支度してくるから」
私はほっと胸をなでおろす。
(……大丈夫、バレてない)
*
――マイクさんと一緒に村を出た。
彼は黙って隣を歩いてくれる。
空を見上げる。
青い。
遠くで、
何かが羽ばたいた気がした。
「……待っててね」
私が小さく呟くと――
「なるほどな……
いいだろう。
とことん、付き合ってやる!」
マイクさんは、にこりと笑って、
私の肩を、ぽんと叩いた。
ありがとう、マイクさん。
何もかも――あなたのおかげなんだ……。
そう思うと、心がほわっとする。
月明かりに照らされた、
彼の横顔をちらりと盗み見る。
無精ひげ。
短く刈り込まれた、栗色の髪。
腰に下げた使い込まれた剣。
……あれ?
やっぱり、かっこよくない……?
……いや。
おじさまだと思ってたけど。
考えてみたら、
転生前の私と、
年もそんなに変わらない。
思わず、頬が熱くなる。
え? 私……もしかして……。
いやいやいや。
私は心の中でぶんぶんと首を振る。
だめだめ。
集中、集中。
私は弾む心を抑えながら、
彼と並んで森へと向かった。




