第六話 井戸端会議と、洗濯屋
翌朝。
小屋の小さな窓から差し込む光で、目が覚めた。
「……寒っ」
毛布は一枚。
ベッドは硬い。
だけど――
昨日までと違って、
追い出される心配がない。
それだけで、少し気が楽だった。
――問題は。
「……服、どうしよう」
毛布から出て、
マルタさんが貸してくれたローブを羽織る。
いつまでも借りておくわけにはいかない。
壁に掛けた白い衣に、視線を向けた。
王都を出たときの泥と雨水で、すっかり汚れている。
聖女の衣、だったらしいけど。
今の私には、ただの洗いにくそうな布だ。
小屋の中にあった籠に衣を詰め、
洗濯板を脇に抱えて、村の井戸へ向かう。
そこには、すでに何人かの村の女性たちが集まっていた。
――桶を引き上げ、
洗濯板に布を打ち付ける。
ぱしゃ、ぱしゃ、と水音が響く。
「まったくねえ……」
腰を伸ばしながら、マルタさんがぼやいた。
「洗濯の時間さえなければ、
もっと内職で稼げるのに」
「ほんとだよ」
「縫い物も溜まってるのにねえ」
次々に飛び出す、生活の愚痴。
私は自分の服を水に浸しながら、
思わず口を挟んだ。
「……やばくないですか?」
「ん?」
「これから炊事洗濯、
全部一人ですよね、私」
マルタさんは、きょとんとした顔で私を見て、
やがて、納得したように言った。
「……ああ、そうだよねえ。
きっと侍女さんがやってくれてたんだろうけど……。
私たちも手いっぱいでねえ。
やっていけそうかい?」
「あ、いえ……
そういう意味じゃなくて……」
確かに……。
私の見た目、完全に貴族令嬢だ。
「でも、もうあんたも村の一員だよ。
困ったら言いな。
なんでも教えてあげるからさ」
「あ、ありがとうございます」
マルタさんは、にこりと笑って、
また洗濯に戻った。
――改めて突きつけられる、現実。
(ちょっと異世界転生、
しんどすぎません?)
ぽろっと、心の中で本音が漏れた。
社畜時代も一人だったけど、
洗濯機があった。
水道も、ガスも、電気もあった。
ここでは――
全部、手作業。
私は洗濯板の前で、
深いため息をついた。
「……そうだ。
試しに……」
どうせ、ダメ元。
私は濡れた自分の衣を、
両手で持ち上げた。
「……きらきらりん☆」
一瞬。
淡い光が、布を包んだ。
次の瞬間――
「……え?」
泥が、消えていた。
汚れだけじゃない。
汗のにおいも、くすみも、全部。
含んでいた水分まで抜けて、
衣は新品みたいに、さらりとしている。
「……あ」
思わず、頬に当ててみる。
やわらかい。
いい匂い。
気持ちいい。
井戸端が、しんと静まり返った。
「……ちょっと、きらりちゃん」
マルタさんが、恐る恐る声をかける。
「今の、何したんだい?」
「え、ええと……」
私は、正直に答えた。
「……洗濯、です」
「いや、そうじゃなくて!」
マルタさんの目が、ぱっと輝いた。
「すごいね!
それが、あんたの魔法かい!?」
次の瞬間――
「それ、うちのもお願い!」
「このシミ、全然落ちなくて!」
「子供の服も、いける!?」
一気に、桶と布が差し出される。
私は半ば呆然としながら、
次々に唱えた。
「きらきらりん☆」
光る。
綺麗になる。
新品同然。
ほつれも、破れも、元通り。
「……すごい」
「洗濯いらずだよ」
「なんだい、これ……」
マルタさんが、ぽつりと言った。
「……これ、
商売になるんじゃない?」
空気が、変わった。
マルタさんが、にやりと笑う。
「仕事だけどさ……
洗濯屋、やりなよ」
「……え?」
私ははっとしてマルタさんを見た。
「村だけじゃないさ。
近くの村だって、
洗濯は大変なんだから」
胸の奥で、
何かが、ぱちんと弾けた。
洗濯。
掃除。
生活。
――ああ。
(……私のギフト、
戦闘用じゃなくて、生活特化なんですね。
雑女神様。使えばわかるって……。
ちゃんと言ってよ……)
「私の力……
生活特化みたいで……」
「そりゃ、いいじゃないか」
マルタさんは、あっさり言った。
「生きてくのに必要なのは、
そっちさ」
その日のうちに、
私の小屋には洗濯物が積み上がった。
まだ看板はない。
料金も、適当。
でも――
「……忙しい」
久しぶりに、
ちゃんと役に立っている感覚があった。
こうして。
転生聖女きらりの――
田舎の村での洗濯屋スローライフが、
静かに、始まったのです。




