第三話 雨上がり、荷馬車のおじさまと出会う
私は兵士たちに、ぽいっと石畳の上へ投げ出された。
「すまぬな、王の命なれば……」
そう言い残すと、
尻もちをついた私の背後で、
あっけないほど簡単に城の扉が閉まる。
振り返っても、誰も追ってこない。
呼び止める声も、ため息すらもない。
「……ほんとに、追放されたんだ」
立ち上がり、服についた泥を払う。
うう……雨上がりで、湿っぽい。
門前に立ち尽くして、ようやく実感が湧いた。
聖女。
女神の使徒。
世界を救う存在。
――全部、一時間も経たないうちに終わり。
手元にあるのは、
身に着けている薄手の白い衣だけ。
「……お金、ないよね」
ポケットを探るまでもない。
異世界に小銭なんて、持って来てない。
王都の外へと続く通りを、私は歩き始めた。
ひそひそ、と声が漏れ聞こえる。
「今日、聖女様が召喚されたって……」
「……え? あの子?」
「……偽物だったのかしら……」
いいですよ。
好きなように言ってください。
何もできなかったのは、本当だし……。
ぼんやりと前だけを見て歩く。
やがて、王都の門をくぐった。
兵士たちが、じっとこちらを見送っている。
でも、何も言わない。
きっともう、
私が“偽聖女”だって噂が回っているんだろう。
……ここに、居場所はない。
どこか、居場所を探さなきゃ……。
街道はまだぬかるんでいる。
靴底が、ぐちゅ、と嫌な音を立てた。
――そのとき。
がらがら、と後ろから音がする。
振り向いた瞬間――
ばしゃっ。
「うわっ!?」
通り過ぎた馬車の車輪が、
見事に水たまりを跳ね上げた。
泥水が、白い衣に容赦なく飛び散る。
「……あー……」
言葉が、出なかった。
聖衣とか、
たぶん高級だったんだろうけど。
今はもう、ただの汚れた布切れだ。
足も、まだ数分しか歩いてないのに、もう痛い。
アスファルトなんてない。
舗装されていない道を、
薄い靴底の、サンダルみたいな靴で、ひたすら歩く。
「……歩かなくていい分、
社畜のほうがマシだったのでは」
立ち止まり、空を見上げて思わずぼやく。
ほんのちょっぴり、目尻が熱くなる。
残業も、パワハラも、休日出勤もきつかったけど。
少なくとも――
裸同然で放り出されることは、なかった。
立ち尽くしたまま、
そんなことを考えていると――
「どうした、嬢ちゃん」
低くて、少しだけしゃがれた声がして――
顔を向けると、心臓が跳ねた。
横に並んでいたのは一台の荷馬車。
そして――御者台には、おじさまが座ってる。
赤銅色に焼けた顔、胸元に覗く筋肉、白い歯――。
正直――どストライクだった。
さすが異世界。モブでも無駄にかっこいい……。
いや、あれ私、別にオジ専とかじゃなかったよね……?
……やばい、それでもかっこいい……。
思わず見とれていると――
「ひとりで街道を歩くにゃ、随分軽装だな。
いい生地だろうに。台無しだ」
(なんかこの人、モブなのにやさしい……)
「……いいんです。
いわゆる――わけあり。ですから」
鼻をすすりながら、正直に答えた。
「……わけあり……か」
おじさまは、私を上から下まで眺める。
「なるほどな。
あんたみてえな綺麗なお嬢さんが、
こんなとこを、うろうろしてちゃ危ねえ。
まあ、人さらいなんてひでぇことする奴らもいるからな」
ぶるっと、背筋が震えた。
人さらい……?
怖っ。でも、異世界だしね……。
……それに。私が――綺麗?
思わず、足元の水たまりを見る。
そこに映っていたのは――
「え……誰?」
金色の髪。
碧い瞳。
雨に濡れて、少し困った顔をした少女。
年のころは――十七、八ぐらい?
「……わお」
それはそれは、
見事な美少女だった。
「……あの雑女神。
これはグッジョブ」
思わず、小声で呟く。
おじさまは、苦笑いした。
「行くとこがないなら、
いい村、知ってるぜ」
「……村?」
「まあ、俺の村だがな」
少し誇らしげに言う。
「派手さはねえが、腹は満たせる。
人も、悪くねえ」
私は、思わず胸が、じん、として――
おじさまをじっと見つめた。
……正直。
今の私に、
断る理由は、なかった。
だって、そこにあるのは、笑顔と、少し粗野だけど誠実な言葉。
簡素な荷馬車。
さっきまでいた玉座の間とは正反対だったから。




