番外編⑤ 洗濯屋、源泉で不意打ちされる
源泉は、森を抜けた先の山深い場所にあった。
硫黄の匂いが鼻をくすぐり、水音が次第に近づいてくる。
騎士レオンに続いてひたすら山道を登ると、
やがて視界が開け、私たち四人は、白い湯気に包まれた源泉へとたどり着いた。
……なのに。
マイクさんは、終始無言だった。
源泉へと近づいた、そのとき。
彼は一瞬だけ――私の方を見る。
(……なに?)
視線が合う前に、すぐ逸らされた。
……やっぱり、何かある。
(ほんと……私、何しちゃったの?)
だめだ。
考え始めると、集中が切れる。
私は軽く頬を叩き、気持ちを切り替えた。
「どうやら、ここが源泉のようですね」
騎士レオンの言葉に、皆が頷く。
湯気に煙る池の周囲には、隣国の兵士たちが整列していた。
その中央、ひときわ立派な鎧を纏った青年が、にこやかに一歩前へ出る。
――鎧の継ぎ目は、金と紅の組紐。
どこか、和風だ。
これは、なかなかに渋い……。
和風の旅館といい、
この国、さりげなく私の心をくすぐってくる。
「勇者殿、それに聖女殿。
私は警備隊長のカイルと申します」
……例にもれず、イケメン。
異世界って、
騎士の資格に容姿も含まれているんだろうか。
「アレンだ。こちらは――」
勇者の紹介を受け、私も一歩前に出る。
「――きらりです」
片足を引き、聖衣の裾を軽く摘まんで挨拶する。
これでいいはず。
一瞬、カイルの瞳が大きく見開かれた。
続いてレオン、マイクさんも名乗ると、
カイルは感極まったように息を呑む。
「……こちらの方が魔王を滅ぼしたという――聖女様。
なんと可憐でお美しい!
気品と清らかさが溢れていらっしゃる……」
そう言うなり、
彼は私の前に膝をついた。
(……え?)
そして――
ためらいもなく、私の手を取り、甲に口づけを落とす。
不意打ちだった。
手を引く暇もない。
彼の柔らかい唇の感覚に、思わず頬が熱くなる。
そして――私を見上げる瞳は誠実そのもの。
悪気ゼロ。
嫌な気分では、ない。
……ないけど。
なんだか、すごく申し訳ない。
だって、私。
どちらかというと、
「気品と清らかさ」よりも、
「気合と社畜魂」に溢れていると思っていたので……。
――ぎし。
突然、足元で小石が一つ、転がった。
ゴゴゴゴゴ――ッ。
何この圧?
……マイクさん?
源泉の湯気が、ほんの一瞬だけ乱れた気がした。
(……え。今の、私の魔力じゃないよね?)
振り向けば、勇者と騎士は肩をすくめている。
けれど――マイクさんの顔は真っ赤だ。
これは。
(……もしや、嫉妬?)
カイルは何事もなかったかのように立ち上がり、
涼しい顔で、にこりと笑った。
……この人もなかなか強い。
「――それでは早速ですが、聖女殿――」
私は、即座に訂正する。
「いえ、洗濯屋です」
カイルが一瞬だけ瞬きをする。
勇者アレンが、くすくすと笑った。
……笑い事じゃない。
私にとっては、大事なことだ。
わずかな沈黙の後、
カイルは咳払いをして言い直す。
「……失礼。洗濯屋殿、でしたね。
この度は、我が国の国難に助力いただけるとのこと。
心より感謝いたします」
「いえいえ。困った時はお互い様ですから」
そう。
決して、支店の許可だけが目的じゃない。
温泉がなくなったら、楽しみが減る。
元社畜としても、これは断じて見過ごせない案件だ。
「それでは、こちらをご覧ください」
カイルが指し示した先には――
白い湯気を吐く岩場。
岩壁に空いた無数の穴から、温かな水が湧き出ている。
……けれど。
勢いよく湧く穴は、ごくわずか。
ちょろちょろとしか出ていない穴。
まったく湧いていない穴も、いくつもあった。
「確かに……詰まってますね」
「そうですね」
私の言葉に、アレンも頷く。
岩壁の下には池があり、
溜まった温水が、池べりの樋を通じて配水されているようだ。
「元々は、すべての穴から
勢いよく湧いていたのですが……
今は、この通りでして」
「なるほど。状況はわかりました」
私は小さく頷き、続ける。
「経緯は伺っています。
まず、試させて頂いても?」
カイルが頷くのを確認し、
私は池べりへと歩を進めた。
……慣れたとはいえ、
初対面の人たちの前で、あの言葉を言うのは――
やっぱり、少し恥ずかしい。
兵士たちの視線が、一斉に集まっているのが分かる。
一瞬だけ、雑女神様を恨む。
もう少し、詠唱とか魔法陣とか。
かっこいいのにして欲しかった……。
でも――
(……やるしかないよね)
私は深く息を吸い込み、
両手を広げて、はっきりと宣言した。
「きらきらりん☆」
魔力は控えめ。
洗濯的には軽くすすぎ洗い、といったところ。
それでも、身体を光が包み、両の手から淡い光がふわりと溢れ――
岩壁全体を、やさしく包み込んだ。
「おお……」
「これが、聖女様――いや、洗濯屋様の御業……」
感嘆の声が上がる中、
私はそっと様子を見守る。
すると――
一つの穴から、きらきらと宝石のように輝く魔物が姿を現した。
そして。
ぽとっ。
陽光に反射して瞬く、
一匹の透明なスライムが、岩壁から零れ落ち、
そのまま池へと沈んでいく。
そのスライムが出た穴から、
勢いよく温水が湧き出し――
兵士たちの間で、歓声が上がった。
「おお……!」
「湧いたぞ!」
「これで解決だ……!」
――けれど。
(――一匹だけ……?)
私は、眉をひそめる。
(……違う)
喜ぶ声を背に、
私は源泉全体から、目を離さなかった。
(――まだ、終わってない)
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番外編⑥に続きます。




