番外編① 洗濯屋、異世界温泉を堪能する
夕方――日が沈みかけた頃。
隣国の王都が、眼下に広がってきた。
上空から見下ろす街は、ところどころ茜色の靄に煙り、
まるで絵本の挿絵みたいに幻想的だ。
人々を驚かせないよう、
街から少し離れた木陰に降りる。
翼を畳んだポチに
「いい子で待っててね」と声をかけてから、
私たちは王都の門へと向かった。
門衛は、徒歩で現れた勇者の
夕陽に輝く黄金の鎧に目を見張り、
差し出された親書を受け取ると――
一瞬で表情を引き締め、はっと息を呑む。
「ゆ、勇者殿……?」
「ということは、こちらの女性は……」
「……かの洗濯屋様の御一行か……!」
(勇者様御一行じゃないんだ……)
てへへ……。
どうやら私、ちょっとした有名人になったらしい。
なのに、なぜか勇者と騎士は誇らしげに胸を張り、
マイクさんは、いつものように困った顔で苦笑い。
そして衛兵たちは、
背筋をぴんと伸ばしてびしりと敬礼し、
私たちを城内へと通してくれた。
*
隣国の王都は、静かだった。
白い石畳。
美しく整えられた街路樹。
行き交う人々。
等間隔に並ぶ屋台。
――観光産業が盛ん、というのも頷ける。
けれど、行き交う人はまばらだ。
素敵な国なのに、観光客はそれほど多くない……?
なんでだろう。
「では、我々は王宮へ」
「外交ですから」
勇者――もとい王子アレンと、騎士レオンは、
きっちりとした表情でそう言い、
石畳を規則正しく歩き出した。
……うん。
さっきまで一緒に空を飛んでいたのが不思議なくらい、
すっかり“外交使節”の顔だ。さすが。
「じゃあ、宿でお待ちしてますね」
「はい!」
「もちろんです!」
即答。
(……ほんと、元気だなあ)
その背中を見送り、
残されたのは――私と、マイクさん。
少し高地にあるせいか、
夕方になると空気がひんやりしてくる。
「寒くないか?」
「うん、大丈夫」
マイクさんは、相変わらず優しい。
「宿、取ってある。ついて来い」
「はーい」
そうして案内された宿屋は、
古いけれどよく手入れされていて、
扉をくぐった瞬間、木の香りがふわりと鼻をくすぐった。
*
受付で、それぞれ部屋の鍵を受け取る。
「じゃあ、きらりちゃん。
夕食は宴会場で集合な」
「はい、マイクさん。後ほど」
そう言って別れ、
私は渡り廊下をくぐって、女性向けの建物へ向かった。
(男女で分かれてるんだ……ちゃんとしてる)
仲居さんに案内されて廊下を歩いていると――
「うちは温泉が売りでして」
何気ない調子で、仲居さんが言った。
「……え?」
温泉?
「この宿は、夜景の見える露天が自慢なんです」
ろ、露天!?
「この国は地下水が豊富なんです。
でも最近は、湧く水の量が減ってまして……
廃業する宿屋も多いんですよ。
うちは何とかやってますけどねぇ」
へえ……。
それで観光客が少なかったのか……と、納得する。
でも――
ま・さ・か・の。
(……温泉!)
思わず、目がきらりと輝いた。
「温泉……!」
「ええ。左手奥が浴場です。
混浴ですが、今夜は空いてますよ」
――混浴。
(なぜに風呂だけ混浴!?)
一瞬、思考が止まる。
(でも……異世界で……温泉……!?)
「……誰も、いないんですよね?」
「ええ。今日は宿泊客も少なくて」
……よし。
部屋に通された後、
用意されていた浴衣に目を落とす。
いやいや、これ……
浴衣そのものじゃん。
刺繍も「#」だし……。
それに、そういえば仲居さんの衣装も着物っぽかった。
(私以外にも、日本から来た転生者がいたのかも)
……けど、そんなことを考えている場合じゃない。
だって、異世界なのに――
「温泉! 温泉!」
私はさっさと浴衣に着替えると、
跳ねるようにして浴場へ向かった。
***
脱衣所のカーテンを開け、
鏡を見ながら身体に巻いたタオルを念入りに確認する。
誰もいないはずだけど……念には念を。
金糸の髪をきゅっとアップにまとめ、
真っ青な湖みたいな瞳。
まだ幼さの残る蕾のような唇に、ほどよい高さの小鼻。
真っ白なうなじに細い首。
そして――すらりと伸びた手足。
……うん。
我ながら、いつ見ても完璧美少女。
女神のセンスには感謝してる。
してるけど――
(未だに、自分の身体って感じしないんだよね……)
ぼんやりしかけて、はっとする。
おっと、そうじゃなくて。
チェック、チェック。
(大丈夫。ちゃんと隠れてる)
浴場に出ると、
幻想的に湯気に煙る湯舟が目に入った。
ああ……。
上空から見えていた靄って、これか。
ひんやりとした岩の感触を素足に感じながら進み、
そっと片足の指先だけ湯に浸す。
――あ。
じわり。
――これだ……やばい。
そのまま、すうっと肩まで沈む。
「……ふわああ……」
声が、勝手に漏れた。
身体の芯まで、じんわり温かい。
石の縁に身を預けて、夜景を見上げる。
王都の灯りが、
湯気越しにきらきら揺れている。
(極楽……)
湯に包まれながら、思考がゆっくりほどけていく。
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