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第十八話 洗濯屋、洗濯する

私は、ポチの背に乗り、飛び立った。


王都の上空。

鐘が鳴り続ける街は、逃げ惑う人で滲んでいる。


そして――門の前。


魔王の地上軍が、すでに現れていた。


黒い鎧。

歪んだ武器。

獣のような唸り声。


「来たぞ――!」


城壁の上で、号令が響く。


「迎撃準備!」

「隊列を崩すな!」


最前列に立つのは、騎士レオンだった。


凛とした立ち姿。

剣を構え、振り返る。


「――騎士団、前進!」


……へえ。


「ちゃんと騎士団長、してるじゃん」


この前、洗濯屋でくたびれた顔してたのに。

人って、鎧を着ると戻るんだな――って、変に感心した、その時。


地平線の向こう。


わらわらと現れた、小柄な影。


「ゴブリン……!?」

「まさか、魔王軍の援軍か!」


弓が引かれ、槍が上がる。


でも――


次の瞬間。


ゴブリンたちは、ぴたりと止まり――


くるり、と向きを変えた。


「……え?」


そして。


魔王軍へ、一直線。


「……行った?」

「……あれ、味方?」


――きらゴブたちだった。


黄色い目がきらきらしてる。

その整然とした並びは、あの“一列でぺこり”の礼儀正しさまでそのまま。


「ギギッ!」

「ギギギ!」


きらゴブたちは、魔王軍の足元に潜り込み、武器を奪い、転ばせ、隊列を乱す。

戦い方が、狡い。

いや、合理的だ。


その後ろから、きら狼たちが走り込む。

噛まない。

でも、逃がさない。


(……来てくれたんだ)


胸が、きゅっとなる。


次の瞬間。


ごおおおおおっ!!


空を裂く咆哮。


「上だ!」


空から降り注ぐ、炎。


狙いは――魔王軍。


「……飛竜?」

「違う……あれは……」


そう。きらドラたち。

空輸部隊の、飛竜たち。


炎が“道”を作り、魔王軍が混乱する。

そこへ――


「行くぞ! 続け!」


騎士レオンが剣を掲げる。

旗がはらみ、騎士団の突撃が始まった。


――いい連携だ。


生活圏の戦力、侮れない。



城壁の上。


勇者アレンは、マントをなびかせ、空を睨んでいた。


その先。

暗雲の中心に、魔王が浮かんでいる。


「ふはははは!」


魔王の声が、王都に響く。


「聖女のいない勇者など、敵ではないわ!」


雷が落ちる。

炎が走る。

建物が、崩れる。


「ほれ、ほれ!」


ずどぉぉぉん。


――その音で、我に返った。


「……え?」


振り返る。


洗濯屋きらりの隣の建物に、雷。


瓦礫が崩れ、

洗濯物が、舞った。


「……あ」


――それは。


私の、洗濯屋。マルタさん!?


一瞬、頭が真っ白になる。

きっと大丈夫。


だって、異世界人は――逞しい。


次の瞬間。

ポチのたてがみを握る手に、力が入る。


「ポチ!」


ポチが滑空したまま身を低くする。


「……私、聖女じゃないし」


ポチが、くーん、と鳴いた。


「でも」


空に浮かぶ魔王を、まっすぐ見る。


「……これ以上は、許さないから」


洗濯屋は、店を守る。

生活を守る。

そして、穢れを洗う。


それだけだ。


――行く。


私は、ポチの首を叩く。


「行くよ、ポチ!」


翼が広がる。


魔王が、嗤う。


「ほう? 追放された聖女が一人で何を――」


その瞬間。


「きらりちゃん!! やるぞ!!」


地上から、怒鳴り声。


振り返ると――


城門の前に、鎧の男が立っていた。


見慣れた無精ひげ。

でも立ち姿が、別物。


剣を抜く角度。

視線の置き方。

呼吸の深さ。


騎士団長の立ち方。


「……マイクさん!?」


「……今さらだ。行くぞ!」


そして、彼の前で騎士たちがざわめく。


「騎士団長、来てくれたんですね!」

「ああ、放っておけなくてな」


――その一言で、騎士団の背筋が揃った。


レオンが目を見開く。

そして、すぐに歯を食いしばって笑った。


「……っ。騎士団長!」


「指揮はお前が取れ。俺は――“穴”を塞ぐ」


マイクさんは地上軍の“ほころび”に飛び込む。

きらゴブときら狼の乱しを、騎士団の突撃に繋げる。


まるで、布の縫い目を一気に締めるみたいに。


(……さすがマイクさん。

 やっぱり、ただの村長じゃない!!)


そして――


城壁の上で、勇者アレンが叫ぶ。


「きらりさん!! 上だ!!」


アレンが剣を振り上げる。

光――じゃない。

“勇者の気配”が、魔王の注意を引き寄せる。


魔王が目を細め、アレンへ向けて雷の槍を構える。


その瞬間。


「今だ!!」


アレンが身を投げ出すように跳ぶ。

雷が外れ、城壁の端が砕け散る。


(……囮になってくれた)


こういう時、躊躇しないで行動できる――

アレンさん、見た目だけじゃない。

ちゃんと勇者してる。


魔王の視線がアレンに固定された――その一拍で、


私は、魔王の真正面に出た。


魔王が嗤う。


「……聖女か?」


背筋が凍るほどの圧。

光の気配すら潰されそうな闇と穢れ。


私は、息を吸って、言い切った。


「いいえ、洗濯屋です」


一瞬。


魔王が、きょとんとした。


(今、きょとんとしたよね?)


「……洗濯屋?」


「はい」


私は胸を張る。


「世界の汚れを落とすプロです」


空気が、歪む。


魔王が、怒りに口角を上げる。


「ならば洗ってみせよ。

 我が”絶望”を! 我が“怨嗟”を!」


暗雲が渦を巻き、黒い靄が私に伸びる。


ポチが唸り、翼で私を守ろうとする。


でも、私は。


ポチの首を撫でて――目を閉じた。


(……洗濯屋の仕事は、洗うこと)


汗と血と埃。

疲労と後悔。

責任と絶望。


それは、世界の“穢れ”そのものだ。

異世界にだって、私のいた世界にだってある――

世界の”汚れ”。


でも、汚れなら。


落とせる。


私は声の限り叫んだ。


「……きらきらりん!!」


今までで、一番大きく。

今までで、一番強く。


あ。


うっかり、「☆きゅいん」をつけ忘れた。


やばっ。


でも、光が――弾けた。


街を。

空を。

雲を。


黒い靄が、泡みたいにほどけていく。


「な――」


魔王の声が、途切れる。


「これは……!」


魔王の身体が揺らぐ。

黒い鎧のようなものが、ぱりぱりと剥がれ落ちる。


その下にあるのは――


怒りだけじゃない。

憎しみだけでもない。


「……穢れ?」


私が呟いた瞬間、分かった。


“穢れ”の中には、

疲れがある。


痛みがある。

捨てられた悲しみがある。


(……これ、洗える)


私は、息を吸って言った。


「私はプロの洗濯屋。

 だから、きっちりと、全ての汚れを落とします!」


魔王が、呻く。


「やめ……ろ……」


まだ、やれる。

魔力は残ってる。


転生したばかりの頃とは違う。

伊達に一年間、毎日洗濯してなかったんだからね?


全ての魔力を込め、もう一度!


「きらきらりん!!」


また☆きゅいん、つけてないけど……。

もういい! ☆なんて知らない!


それでも、最後の光が、弾ける。


黒い雲が裂け、

青空が覗く。


黒は、煤みたいに指先から落ちて――風に溶けた。


香る、洗い上がりの匂い。


そして、魔王は――


目をきらきらとさせた青年の姿に――。

私を見つめる彼の口元が小さく動く。


「ありがとう」


そして――静かに、消えた。


そっか。


“魔王”とは、世界が溜め込んだ穢れの塊だったんだ……。


嵐が止む。

空が、青に戻る。


街に、沈黙が落ちる。


次の瞬間。


地上から叫び声。


「せ、聖女殿、来てくれたんですね!」


振り向くと、騎士団の誰かが泣きそうな顔で叫んでいる。


私は即答した。


「違います。私は洗濯屋です」


沈黙――。


「……洗濯屋殿、ありがとう!」


けど、その言い直しが、妙に真っすぐで。


なんか、笑ってしまった。


私は呟く。


「結局、☆きゅいん要らなかったってこと?

 恥かしい思いして損したじゃん。

 もうっ、雑女神様っ……!」


ほんの一瞬、ふわりと光がまたたく。

絶対今、女神様「てへぺろ☆」って言ったよね!?



足元を確かめながら地上に降りると、

マイクさんが血の付いた剣を振り払い、鞘に収めていた。

隣には騎士レオンが黒髪をなびかせ、微笑んでいる。


勇者アレンもふらふらとこちらへ来る。

鎧の焦げ跡。

でも目は、生きている。


「聖女殿……!」


アレンは、思い切り頭を下げた。


「助かりました。魔王を斃してくれてありがとう……!」


私は、胸の前で手を振る。


「いいえ。洗濯屋なんで。

 洗っただけです」


「……でも、それが、すごいんです!」


アレンが顔を上げる。

真っ赤な目で笑う。


そして、マイクさんが私の頭をぐしゃっと撫でた。


「きらりちゃん。よくやった」


その声に、胸が熱くなる。


私は、鼻をすすって、笑った。


「……でしょ?」


――洗濯屋は、今日も洗った。


ただ、“穢れ”を世界から洗い流しただけ……。


(マイクさん。今日のお洗濯。

 褒めてくれるかな?)


マイクさんに微笑みかけようとした――けれど。


あれ?

視界がぐるぐる回ってる?


足に力が入らない。


(何……これ?)


「きらりちゃん――っ!」

「聖女殿!」

「――聖女様!」


(ちょ、私――洗濯屋ですけど……)


洗い上がりの匂いが、急に遠くなる。


世界が傾く――私の世界が暗転した。


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