反逆者は大怪我を負いながらも、その口元に笑みを浮かべる
瞬速、と表現する以外には表す言葉が無く、最早武道や流派の基本にして奥義とも呼ばれる『縮地』のソレにも近しい挙動を取って見せたシェイドの刃は、しかして目標であったサタニシスの身へと届く事は無く、その身に纏っていたドレスを僅かに切り裂いた以外は虚空を裂くのみとなってしまう。
ソレに若干ながらも自失に近しい状態に陥りながらも、即座に立て直したシェイドが翻って自身を省みれば、その腹部には細く柔らかな指が揃って突き立てられており、それなりの強度と厚みを持っている、と彼が密かに自信を抱いていた腹筋は意図も容易く貫かれ、その爪先は内側にて守られて然るべき重要な内臓にまで届いてしまっている様子であった。
…………自らの内側にて、自身以外のモノが確固たる意思と思惑を以てして蠢いている事への耐え難い不快感とおぞましさ、次いで激痛と火が着いたかの様な激痛が腹部から頭部へと駆け登って行き、シェイドは思わずその場に崩れ落ちそうになってしまう。
「…………か、はっ……!?」
苦鳴とも、喘ぎとも取れない無意味な言葉が、真っ赤な鮮血である吐血と共に口から溢れ落ち、大半が荒野と化した乾いた地面を潤す事無く汚して行く。
が、その残りの半分近くは、彼自身の程近くに在り、血で汚れたとしてもなお色褪せる事無く輝き続けている美貌が、残りの半分を受け止めていた。
しかし、その美貌の持ち主であるサタニシスは、彼から浴びせ掛けられる事となった鮮血に対して表情を歪ませる事も、眉を潜める事もせず、寧ろその『汚れ』こそが『愛しくて仕方の無い相手からの贈り物』であるかの様に、恍惚とした表情を浮かべながら慈しむ様な手つきにて、空いている方の手で撫で擦ってすらもいた。
そんな彼女の様子に、まるで得体の知れないモノを目の当たりにした、と言わんばかりの驚愕を瞳に浮かべる事となってしまったシェイドであったが、その胸中に於いては驚く程に冷静であり、かつ予想通りの展開になりつつある事に満足しながら萎えそうになっている足をどうにか奮い起たせると、自らサタニシスの肩を抱く形で掴まり、腹部を内側から握り絞められる事で発生する激痛と灼熱感を少しでも軽減させながら、喘鳴と共に目の前の彼女に向けて言葉を吐き出す。
「…………ぐっ……!?
よぅ……仮にも、恋人相手に…………内臓まで指、突っ込んで……なに恍惚と、してくれて、やがる……んだ、おい……?
そんな、特殊過ぎる程に……特殊な趣味が、在った……だなんて、初めて、知った……ぞっ?」
「…………ふふっ!それは、そうでしょうね。
私だって、君の、愛する人の内臓に触れて、壊さない様に優しく愛でる事が、こんなに愛しくて、こんなにも興奮をもたらす事だなんて、初めて知ったのだもの。
凄いわよ?コレ。圧倒的な幸福感と同時に、相手に対する溺れそうな程の庇護感も湧いてくるの。
もしかしたら、私、コレ癖になっちゃうかも知れないわね」
「…………はっ!そいつは、結構な……話、だな……!
だが……もし次が、在ったとして、も……それは、俺以外にして……欲しいモノ、だよ……!」
「あらあら、連れないわねぇ……。
そんな、堂々と『浮気しても良い』みたいな事を言われてしまうと、流石のお姉さんも少し傷付いちゃうんだけどなぁ……?」
「今のやり取りの、どこら辺に……そんな、色っぽい話題が……在ったんだ?おい……」
「えぇ~?そんな要素しか無かったと思うんだけど?
それに、コレこそ下手な『男女の交わり』よりも余程深く、強く相手と繋がる為の手段と方法なんじゃ無いかしら?
片や、相手に命すらも全て預けるだけの信頼感が無いと絶対に出来ない事だし、もう片方も絶対に相手を死なせず、その上で相手が痛みや出血で意識を失わない様に上手いこと調整しないとならないの。
ソコには、互いが互いに命を預けて信頼し合う必要が在るのよ。凄いとは思わないかしら?」
「思わないし、俺としては……痛いだけ、なんだかね……」
苦し気にそう告げるシェイドに対してサタニシスは、その顔に浮かべていた恍惚とした表情を更に深めて行く。
ソコには、確かに本人が口にした通りに『愛しさ』や『幸福感』だけでなく、相手を守り慈しむ事を目的とした『庇護欲』とでも呼ぶべきモノが含まれている様にも見えていた。
同時に、彼女は凄絶なまでの妖艶さを、元々持っていた絶世の美貌へと兼ね備えさせる事となり、遠目に見ているだけであり、かつ彼女の手によって重傷を負わされたハズのシモニワや、漸く意識を取り戻したらしいシュワルツ将軍も思わず生唾を呑み込む事となる程の存在となっていた。
…………が、ソレを間近で目の当たりにする羽目になってしまっていたシェイドとしては、その対象が自身である事、が最大の原因となり、あくまでも事の流れは自分の思惑の範疇に在る、と胸中で必死に言い聞かせたとしても、どうしても背筋から冷たいモノが去ってくれる感触が得られる事は無かった。
とは言え、今現在自らの内臓を掴まれてしまっているが、こうして至近距離に引き込めた事は幸運以外の何物でも無く、また今暫くの時間が必要でも在る事は事実であった為に、より一層彼女の肩に掛けた手に力を込め、そこから逃がすまい、として力強く抱き寄せようとする様に引き寄せて行く。
その行動の不審さに、思わず眉を潜めるサタニシス。
この場にも、状況にも、そして彼自身の気質から考えても、全く以て似付かないその行いに、一体何を考えてそんな事をしているのか、何を企んでこんな事をしているのか、と言った風にも思ったが、そこはやはりサタニシスと言うか、恋する乙女の桃色思考と言うのか何と言うか。
折角、珍しく自ら強く抱き寄せる、だなんて事を愛する相手であり、その熱を自身の肚に受け止め、かつ既に子供が出来ていたら良いなぁ♥️と密かに妄想する程度には惚れ込んでいる存在でもあるシェイドが行ってくれていた為に、取り敢えず何がしたいのかを見極めてからでも反撃は遅くは無いだろう、とそれまでの慎重路線かつ冷静沈着な思考力を完全放棄すると、それまで浮かべていた恍惚とした美貌に、何故かうっとりとした色まで追加で加えながら、彼の腹部に突き立てている方とは逆側の手を彼の頬へと添えて行く事となる。
…………そうして、自らが望んだ展開となっているハズの状態であるにも関わらず、絶えず背筋を冷たいモノによって撫で下ろされている様な心持ちとなっているシェイドであったが、その『冷たいモノ』は今すぐ戦闘の行方に作用する様な類いのモノでは無い…………ハズ!と彼の第六感が告げていた為に、背筋を走る『嫌な予感(未来)』を無理矢理無視すると、その口元に浮かべていた笑みをより深いものへと変化させ、外部から見てもソレと分かる表情として表してしまう。
そんな彼の態度により、流石に表情へと訝しむ様な色を浮かべながら問い掛けるサタニシス。
「…………ねぇ、シェイド君?
君は、一体何を狙っているのかな?」
「…………何を、狙っている……だっ、て?」
「そう、君の狙いだよ。
さっきしていたみたいな、重力の方向操作はこの距離だと座標指定だから自分も巻き込まれて使えない。
かと言って、以前使っていたみたいな異常重力を発生させる、みたいな事をしたいのなら、やっぱりこの距離だと君も巻き込まれるから『狙い』としてはやっぱり無理が在る。
でも、だからと言って普通の闇属性の術式だと、私が横から干渉する事も出来ちゃうし、そもそも使われても私自身が魔力の出力差によって無理矢理どうにかする事も不可能じゃ無いだろう、って事位は君も理解しているでしょう?」
「………………」
「かと言って、ここまで密着しているにも等しい距離に入られたとしても、私の腕を振り払おうとする素振りすら見せず、寧ろこの状態を維持しようとしている、とも取れる態度を垣間見せている訳なのだから、必然的に『こうなることを望んでいた』かもしくは『こうする事を狙っていた』かのどちらかだ、って事はそこまで深く考えなくても分かるハズよね?
違っていたかしら?」
「そこまで、分かってて……こうして、至近距離に……居続ける、だなんて、事……普通、は……しないんだが、な……」
「それは、当然でしょう?
何が起きるのかは予想できないけど、言い換えれば私が想像も付かない事をしてくれる、少なくともそのつもりである、って事でしょう?しかも、少なくとも私を打倒出来るだけの可能性が在る、と君が践める程度には、見込みの在る方法が。
なら、先んじて潰すなんて以ての他だし、介入や相殺、術式の途中破壊だなんて不粋な真似は出来ないでしょう?他ならぬ君が、シェイド君がソレを見せてくれようとしている訳なのだし、ね?」
「………そう、かい……じゃあ、精々、ご期待に……応えら、れる様に……努力、させて貰うと、しようか……ね!」
そこまで言い切ったシェイドの身体から、突如として魔力が迸る。
それまで彼の身体から発せられていたモノとは異なり、その上で彼に対する『監視者』として行動を共にしていたサタニシスとしては、幾度か目の当たりにする事となっていた規模、強度のモノであった。
が、そうであっても驚愕によって目を見開く事となってしまうサタニシス。
何故ならソレは、既に枯渇し、警戒するには値しない、とばかり認識していた、彼の持つ貯蓄魔力が解放され、行使される、と言う事に他ならない何よりの証拠であったのだから……。




