監視者は本来の己へと立ち返る
眩い光に目を焼かれ、一時的に、とは言え奪われていた視界が回復した時には、既に目の前にいたハズの最愛はその姿を消してしまっていた。
…………その、覆し様の無い事実に、思わず足から力が抜けて行き、薄汚い路地裏にへたり込みそうになってしまうサタニシス。
しかし、寸での処で歯を食い縛り、どうにか膝を突く程度で堪える事に成功する。
「…………そう、よね。
帰って来る、って言ってくれたんだから、私も確りとしないと、ね……」
ギリギリの処で踏み留まる事に成功したサタニシスは、端から見ている限りでは平素の冷静さを取り戻し、彼の帰還を待つ方向性へと思考を切り替えて行く。
そうして、表面上では普段の様子を取り戻した様にも見えていたが、その胸中はとてもでは無いが『平静』とは言い難い状況となってしまっていた。
…………しかし、それも無理は無い話である、と言えるだろう。
何せ、ここ数ヵ月程行動を常に共にし、その間で想いを寄せて焦がれる事となった相手と、漸くその想いを通じ合わせて結ばれる事となったのだ。
未だに、昨日に交わした愛の言葉は耳に残っているし、夜通し互いにぶつけ合った想いの丈は、まだ名残として彼女の胎内に熱く残されてすらもいるのだ。
そんな相手が、そこまで求めていた存在が、唐突に自分の目の前から、自分の隣から姿を掻き消されてしまったのだ。
例えそれが、当の本人に心当たりがあり、かつ事を済ませさえすれば二度と起き無い上に、直ぐに自分の元へと帰ってくる、と約束されていたとしても、到底許せる事でも我慢できる事でも無い、と言うのは、元来情の深い彼女でなくても言える事ではないだろうか?
そもそも、本来の気質として、彼には未だに披露していないがサタニシスは独占欲と嫉妬心がかなり強い方だ。所謂、重い女、と呼ばれるヤツだ。
流石に、自分以外の異性と話す事すらも嫌だ、と言う程では無いが、それでも自身と関係を持ち、ソレを続けている間に他の女と触れ合ったりするのはもっての他だし、婚姻に関しても他の女も、だなんて事は断固として拒否したい、と言うのが正直な処。
…………勿論、この生存その物が厳しい世界に於いて、彼ほどに力を持つ相手を独占したい、と考える事が異端である事は理解しているし、男性とは、雄とは自身の周囲に異性を侍らせておきたい生き物なのだ、と言う事はこれまでの人生に於いても理解している。
寧ろ、彼ほどに強大な力を持つ者であれば、多数の異性を嫁として迎え、その結果として資質を受け継がせた沢山の子供を作る事こそが求められている事なのだ、と言う事は、人間側であろうと魔族側であろうと実質的な問題として直面している事への対策、として当たり前の事である、と言う事も理解はしている。しては、いるのだ。
だが、そうであったとしても、彼に触れられるのは自分だけであって欲しい。彼と熱を交わし、子を育むのは自分だけの特権であるべきだ。彼と愛を語らい、それに溺れる事は自分にのみ許された事であるハズだ。
そんな想いが、彼女の胸の内から拭い去る事が出来ずに、想いを抱いた時と変わらずに彼女の胸の内を焦がし、燻り続けている。
…………いっそうの事、彼には未だに話してはいない自身について、本来の地位と職務について洗いざらい話してしまい、余計な干渉の出来ない場所にて彼と二人きりで命尽きるまで愛を語らい合う、と言う事も良いのでは無いだろうか?と言う若干(?)病んだ思考すら彼女の脳裏を過る程であった。
「………………まぁ、先走ってそんな事しちゃえば、確実に彼に嫌われちゃう事になるから、そんな事はしないけど、ねぇ~……。
取り敢えず、拠点の確保はしないとね。シェイド君は『帰ってくる』って言ってくれていたけど、流石に一時間程度で、って訳にも行かないだろうから、自分の為にも彼の為にも、仮であったとしても拠点は必要になるだろうから、確保するだけはしておかないとね」
とは言え、自身の思考が常識から逸脱し始めている事は把握していた彼女は、まるで自身に言い聞かせる為であるかの様に、故意的に考えや今後の行動予定を口に出して行く。
それにより、彼は必ず自分の元へと帰ってくる、と言う『事実』を確認すると同時に、直近で『やらなくてはならない事』を再認識する事にも成功したので、取り敢えずソレの元に行動を開始するべく、その場から立ち上がり路地裏を後にしようとする。
その際に、自らの胎内に収まったままである彼の名残がドロリと蠢き、思わず溢れそうになるのを魔力やら筋力やらを駆使して瞬時に留めると、まるで愛しいモノが既に宿っているかの様に、慈愛に満ちた手つきにて下腹部を撫で擦る。
彼が残してくれた証を、愛情の最たるモノを一滴たりとも溢してなるものか、愛の結晶となりうるモノを逃してなるものか、との想いが湧き起こり慈愛の微笑みが自然と浮かび上がって行く。
が、それと共に、まだまだ彼との愛情の迸りを交わし合いたい、彼ともっと深く強く繋がり合いたい、寧ろ常に繋がっていたい、と言う肉欲の波が彼女の腰から脳天へと駆け抜けて行き、昨晩の交わりを反射的に思い出してしまったが為に先程とは別の理由にて腰が抜けそうになってしまう。
「…………あっ♥️ふぅん……♥️
…………全く、初夜からして激しすぎるんだから、シェイド君もいけない人だよね♪
久し振りな女に、アレだけ激しく『女』を思い出させる様な事してくれちゃったら、暫く余韻だけで腰抜けそうになるのだなんて、分かりきってたハズなのに♪」
危うく下着を汚す処であったが、寸での処で再び諸々の力を動員して堪える事に成功したサタニシスは、今度こそ彼から任せられた(と自認している)事を行う為に路地裏から一歩踏み出そうとしたのだが、その前に、と言わんばかりの気軽さにてその場から振り返ると、より奥の方へと言葉を投げ掛けて行く。
「…………処で、なんで今君がここに居るのかな?
定期連絡にしてもまだまだ先なハズだし、そもそも君がこうして直接接触してくるのはしない、って約束じゃなかった?私の記憶違いだったりするのかな?」
「…………無礼である事は、重々承知しております。
ですが、些か看過する事も出来ない事態が発生致しまして……」
「…………もしかして、その『看過出来ない事態』とやらを収める為に、私に帰って来い、だなんて言ってるつもりだったりするのかしら?
よりにもよって、この私に、このタイミングで?」
「………………御意……」
「…………ねぇ、ズィーマ君?貴方、私が誰だかちゃんと分かっていて、その物言いをしているんだ、って理解しているのよね?
向こうに残ってるハズの、長生きしてるだけの老害共が、人のヤる事成す事全てに文句を付ける事しかしない癖に、力だけは無駄に溢れさせてくれちゃってる連中が居るにも関わらず、結局私の方に回すしかどうにかなる見込みは殆ど無い、って案件だ、って認識で間違って無いのかしら?ねぇ??」
「…………大変申し訳ありません。
ですが、我らでは如何ともし難い事態となってしまっており……」
「……………………はぁ~。
まぁ、こうして私がこっちに出てこれているのは、皆に私の我が儘を聞いて貰っているから、って事は理解してるから、取り敢えず聞くだけは聞いてあげるわよ。
でも、老害連中が役に立たない、だなんて事は見越してこっち側に付いてくれてる連中の身内も側に置いておいたハズだし、何よりミズガルド翁が居るのだから軽挙妄動なんて起こしようが無いハズなんだけど……?」
「………………その、ミズガルド翁の危機にて、ございます」
「………………は?」
彼女の漏らしたその一言により、路地裏に突如として重苦しい空気が蔓延する。
ソレは、それまでシェイドの前では見せた事の無い程の重く強烈な圧力であり、かつて彼が本気を見せた時と同程度の重圧が周囲へと掛かって行く事となる。
不意を突かれる形にてソレを身に受ける事となってしまったズィーマだが、そう言う反応を彼女が取る、と言う事を察していたのか、小さく呻き声を漏らす程度に抑える事に成功し、変わらぬ様子にて路地裏に跪き続けて行く。
そんな様子を目の当たりにしたからか、それとも魔王軍の幹部級であるハズのズィーマを『君』呼び出来る程には親しい仲であるからか、は不明だが、溜め息を一つ吐いてから自身の放つ圧力を意図的に弛めると、身振りで彼に対して続ける様に促した。
「…………では、報告させて頂きます。
陛下の許可が降りた為に、我らはアルカンシェルへと向けての侵攻を開始致しました」
「…………知ってる。
で、どうせその中にミズガルド翁が参戦していた、って感じなんじゃないの?」
「…………ご明察、にございます。
ご存知の通りに、先日『クロスロード』と呼ばれる国を落とした我らは、準備を整えてアルカンシェルへと攻め込む段へと至っておりました。
ですが、それと時を同じくしてアルカンシェル側も、こちらへと攻め込んで来る事となったのです」
「その戦闘で、負傷でもした、って事?
あの、殺しても死ななさそうなじい様が、魔族の中でも最強級の力を持つあのじい様が?特級の戦力でも単独で相手にして、タコ殴りにでもされた訳?」
「…………そこは、某の口からはとても……ですが、危急の事態では在るのは間違いないかと。
某の見立てでは、ミズガルド翁が落命に至る、と言う可能性も決して小さくは無い、と見ております」
「…………そう。
君が、鋼の忠誠心を持つ君がそう言うのであれば、そこに偽りは存在しない。ならば、そう言う事なのだろうね。
なら、かつての恩師を、今の部下を救うは私の、『魔王』の役目。なれば、私が直々に出陣しても文句は無い、そうだろう?」
「…………はっ!
ご尽力、感謝致します」
「では、往こうか。
案内してくれるよね?その、戦場に」
「御随意に、我らが王たる『魔王』陛下のお望みのままに……」
その言葉と共に踵を返し、それまで視線を向けていた表通りから顔を背けるサタニシス。
そんな彼女が纏っている雰囲気は、それまでの明るく元気なソレでも、寸前まで放っていた殺気混じりな威圧感でも無く、まるで覇道を歩む王者であるかの様な覇気を纏っている様にも見えて来た。
しかし、その歩みはそれまでの彼との、シェイドとの明るく楽しかった生活を振り払う様な意図も何故か感じられるモノとなっており、ズィーマを伴として路地裏の奥へと消えて行くその背中には、何故か『哀愁』の様なモノが見えている様にも感じられたのであった……。
と言う訳で特に衝撃的でも無い事実公表
次回人物紹介を挟んで最終部の第四部へと突入します
物語の結末は、何処へと向かっているのか?
ご期待に添える様に努力致しますのでどうか最後までお付き合い頂ければ幸いですm(_ _)m




