冒険者と神父、そして半魔①
「……つけられてるな」
暗がりを往くリョウマ。その背後には、歩み寄る人の気配を感じていた。
距離は三十三尺(約十メートル)程度だろうか。つかず離れずについて来る。
その間、気配を散らして位置を容易く掴ませないのが、追跡者の技量の高さを窺い知れた。
リョウマには心当たりが一つ、あった。
(あの異端狩り、か。確か名をレイドウとかいったかね)
背後から感じるぬめりとした気配は、まさしく蛇。
ギルドで発していたものと同じ気配に、リョウマは薄気味悪さを感じていた。
「……やれやれ」
リョウマは編み笠に手をやり、傾ける。
影がリョウマの目元を黒く隠した。
そして歩を進める。
夜でもちらほらと見えていた人影は、徐々に少なくなっていきやがて消えた。
辿り着いたのは放置された荒れた家屋の立ち並ぶ郊外。
人っ子一人いない静寂の闇であった。
リョウマはそこで立ち止まると、月に向かって声を上げる。
「さて、この辺でいいかい?」
リョウマの声が辺りに響く。
ホウ、ホウと夜鳥の鳴く声が帰って来た。
それに混じって、わざとらしいまでの土を踏む音。
漆黒の闇の中からそれよりも深い黒装束の男――――レイドウが姿を現した。
「気づかれていたとは」
「バレてないと思われていたとは、俺もナメられたもんだぜ」
不機嫌そうにそう吐き捨てるリョウマ。
その指先には腰の刀、凩がかけられていた。
レイドウはそれを見て歩みを止め、恭しく頭を下げた。
それを見たリョウマは驚きに目を丸くした。
「どうやら勘違いをさせてしまったようだ。非礼を詫びよう」
「……随分とご丁寧だな」
「そういう性質でね。そういえば名乗ってすらいなかったか。私の名はレイドウ。聖堂教会の神父をしている」
「……はン、異端狩りの、が抜けてるぜ。生臭坊主」
その言葉に、レイドウはふむと頷いた。
何かに気づいたかのように口元を手で隠す。
「なるほどそうか、他の冒険者たちから異端狩りの事を聞いたのだね。それで異国人を狩りに来た、と思った」
「違うのかい?」
「それは勘違いというものだ。私は君と争うつもりはないよ。なにせ私も君と同じ異国人だ」
確かにレイドウの喋り方は、リョウマの故郷寄りの訛りがあった。
特徴的な黒髪に黒目もまた然り、である。
レイドウはおもむろに胸元に手を突っ込む。
警戒するリョウマに徐ろに取り出したのは、一本の串団子だった。
串団子は出来たて同然のように、白い煙を立てていた。
その理由にリョウマはすぐに思い当たる節を見つける。
(保存の巻物……!)
――――とは、時空魔術によって編まれた術式を紙面にしたためたもので、非常に高価な魔術道具だ。
容量が決まっているそれは、保管すればするほどその容量を削られ、最後には何も入らなくなる。
その上高価で、金等級以上の冒険者でも、常用には躊躇するような代物。
それを菓子の保管用に使うなど、なんとも贅沢だとリョウマは思った。
レイドウは美味そうなよもぎ餅が三つ刺さったそれを、リョウマに差し向ける。
「どうかね? お近づきの印に」
「生憎だが甘味は好きじゃないんでね」
「おや残念。毒などは入ってないのだが」
そう言ってレイドウは団子を一つ、齧る。
「これは以前里帰りした時、キョウの有名店から買い込んだ団子でね。ヨモギを練って団子にして、中に餡子を入れたという単純なものだ。自分で作ってみてもこう上手くはいかない。職人技というものを感じさせられるよ」
噛みしめるように、美味そうに団子を食べるレイドウ。
一つ目の団子を食べ終わったが、その間も微塵の隙も見せなかった。
一見上は礼儀正しく見えるレイドウだが、その中に仄見えるのは、獰猛な獣。
リョウマの青縞外套がビリリと小刻みに揺れた。
「御託はいンだよ、単刀直入に要件を言いな」
「ふむ、なるほどそういう類の人種か。あいわかった」
レイドウは初めてリョウマを正面から見据えた。
初めて見たレイドウの目は深く暗く沈み、夜の闇よりも、その黒装束よりも黒かった。
「君が街を支配していた魔族を狩ったのかね?」
レイドウの言葉にリョウマは頭の中の記憶を探る。
出てきた記憶は勇者アレスと共に戦った、死霊使いの魔族。
だがあれを倒したのはアレスであり、リョウマがしたのは贔屓目に見てもその補助くらいだ。
「あぁ? 気味の悪ィ死体術師のことか? あれは俺じゃねぇよ。勇者が倒したんだ」
「だが、君が倒したようなものだ、と聞いているが……」
「ないない、俺がしたのは道案内と露払いくれぇなもんさ」
今の会話でまたリョウマは思い出した。
別れ際にアレスが言った言葉を。
――――リョウマさんはすごいです! 本当に助かりました! 受付嬢さんによく言っておきますね! と。
社交辞令と思い、話半分に受けと言っていたのだが、むしろ盛って話していたようである。
(自分の手柄にしておけばいいのに、勇者ってのはお優しいね)
ため息を吐いてリョウマはレイドウに首を振った。
レイドウは二つ目の団子を食べて、言った。
「ふむ、まぁ真偽のほどはともかく、君が重要な役割をしたのは確かだろう?」
「それ自体どうだかなって感じではあるがな。参加したのは確かだよ。それで? そいつがどうかしたのかい?」
ぶっきらぼうにそう答えるリョウマを見て、レイドウはニコリと笑った。
柔らかな口調で言った。
「いや。礼を言いたくてね」
「礼、だと?」
「あぁ、下劣な魔族を倒してくれて、どうもありがとう」
「む……」
戸惑うリョウマに対し、レイドウは続ける。
「魔族というのは本当にどうしようもない存在だ。人を騙し、拐かし、奪い、殺す……人類の敵、特に件の輩は街一つを支配する程の大外道だった。生かしてはおけな存在なのだよ。君もそう思うだろう?」
「……かもな」
確かはあの時の魔族は邪悪そのものであった。
リョウマもそれを否定するつもりはない。
「で、あろう!? あぁそうとも!あの様な愚劣下劣をいかしてなるものか! その為に我ら異端狩りは刃を振るうのだから!」
熱く語るレイドウの目は、狂気と殺意に満ちていた。
ようやく見せた「異端狩り」の顔であった。
目を細めるリョウマに構いもせず、レイドウは続ける。
「実は私に奴を消すよう、命じられていてね。ここに着いた時には終わっていたというわけさ」
「そりゃ悪かったな。獲物を横取りしちまったよ」
リョウマの言葉にレイドウは首を振った。
いつの間にか、レイドウの顔は先刻までの紳士顔に戻っていた。
「……いいや、気にしないでくれ。魔の根絶が我が主の悲願。手段に拘るつもりはないよ。空いた手で他の魔を狩って帰るさ」
そう言って、レイドウは最後の団子を口にした。
しばし、場違いな咀嚼音が辺りに響く。
「リョウマ!」
不意に、闇夜に響いた子供の声。
声はエリザのものだった。
とてとてと小走りに駆けてくる音。
だがリョウマはエリザの方を向けなかった。
レイドウから目を離せなかったのだ。
その目は先刻の、異端狩りの目に戻っていた。
とて、と駆け寄るエリザとレイドウの距離が丁度七尺に達したその直後、レイドウの手元が残像を残し消える。
少し遅れてひょう、と風を切る音が鳴る。食べ終えた串が投げつけた。
串の先端はエリザの額を狙っていた。
きぃぃん! と響く金属音。
弾かれた串は弧を描くと、軽い音を当て地面に突き刺さる。
凩を抜いた姿勢のまま、リョウマはエリザの前に立ちふさがった。
「……どういうことだね?」
そう言って、レイドウは冷たい視線を送る。
凍るような視線だった。リョウマの青縞外套が、ふわりとなびく。
風は凪いでいたにも関わらずだ。
月が雲に隠れ、レイドウの姿は完全な黒に染まった。
不気味な眼光だけが暗闇から覗いていた。




