冒険者と神父
風が吹いていた。
少し暖かい風には花と草、そして土の香りが混じっていた。
港では漁船が沢山の魚を獲って来て、それを買う商人と高いだの安いだの、言い争いをしていた。
その最中にも積み込まれていく魚、魚、魚。
時折落ちた魚を、野良猫がすごい速さで盗んでいく。
猫は追いかけようとする漁師を馬鹿にするように、ニャーと鳴いた。
港町ベルトヘルン。
本日は全員が袖まくりをしているような、暑い日だった。
一隻の船が港に着いた。
上が白塗り、下が黒塗りで、ところどころに黄色いラインの入った綺麗な船だった。
船乗りの男たちも、どことなく上品な感じだった。
桟橋がかけられ、男が降りてくる。
男は彫りの深い顔立ちで、年の頃は30前後に見えた。
太い眉は実直そうな顔であるが、その表情に感情は感じられなかった。
深く沈んだ黒い瞳に短い髪。
長いカソックコートもそれに合わせたように黒だった。
「ここがベルトヘルン、か」
男は低く、抑揚のない声でそう呟きながら桟橋から降りて、ふらりとよろめいた。
どうやら船酔いのようで、少し青い顔をしていた。
よろめいて、男は通りすがりの漁師とぶつかった。
「おいテメェどこ見てんだ!? コラ!」
振り返った漁師は顔を真っ赤にしており、左手には酒瓶を持っていた。
漁師は男に詰め寄ると、胸ぐらを掴んだ。
「ったくフラフラしやがってよぉ! ふざけてんじゃねぇぞ!?」
「……申し訳ない」
「謝って済むと思ってんのか!? あぁコラ!?」
男は謝るが、漁師はますます語気を強める。
漁師は船乗りの中では有名な荒くれで、周りの人間はみな、見て見ぬふりをしていた。
男を睨み付けていた漁師だったが、ふとあることに気付いた。
「なんだ、あんたもしかして神父か? なぁおい?」
「そういう仕事もしている」
男の答えに、漁師は下卑た笑みを浮かべた。
「へぇえ、神父サマが酔っぱらいかよ。いいご身分だなぁ? 昼間っから酒なんか飲んでよぉ」
「別に、戒律で酒は禁じられてはいない。とはいえこれは船酔いだ。飲んでいるわけではない」
「はァ? どう見ても酔っぱらいだろ? 足元ふらついてんぞオラァ!」
漁師は男の脚を払い転ばせようと蹴りを繰り出した。
掬うように足元を狙った蹴りは、しかし男の脚をすり抜けた。
突然の浮遊感にバランスを崩し転びそうになる漁師。
その背中にとん、と男の手が押し当てられ、漁師はそれで倒れずに済んだ。
「――――大丈夫かね? 随分ふらついていたようだが」
背中を支える男の手は、まるで鋭い刃のように固く、鋭く感じられた。
漁師の顔からは、ぶわっと脂汗が吹き出ていた。
「さて、私はこれで征かせてもらうが、構わんかね?」
男の言葉は先刻より更に低く、凍えるような声だった。
男はぶるりと背筋を震わせると、こくこくと何度も頷く。
「わかってくれて幸いだ。……君に主の加護があらん事を」
そう言って男は首元で十字を切ると、漁師に背を向けその場を立ち去るのだった。
男の胸元で逆十字のロザリオが、ちゃりんと揺れた。
へなへなと崩れ落ちる漁師を、仲間らしき者たちが支えた。
「おいおい大丈夫かよ。全く」
「ダッセェな。やっちまうか? あのクソ神父」
「……いや、やめとけ」
煽るような仲間の言葉に、漁師は震え声で返した。
すっかり酔いは醒めている様子だった。
普段であれば、船団の人間を集めてでも報復をするであろうこの男の言動に、仲間たちは不思議そうな顔で尋ねる
「なんだよ、らしくねぇな」
「逆十字のロザリオ……ありゃ、異端狩りだ。俺たちの手に負える相手じゃねぇ」
――――異端狩り。
神に変わって「悪」を討つ、教会秘蔵の断罪装置である。
無慈悲に、そして確実に敵を追い詰め、あらゆる手段を用いて断罪する。
そこには一切の感情はなく、対象をただ破壊せしめる存在。
彼らの身につけた逆十字のロザリオは、異端の者にとっては畏怖の対象であった。
それを聞いた仲間たちは、息を飲んだ。
「あれが噂の……!」「異端狩り、か」
船乗りという人種は職業柄、様々な噂話を聞く機会がある。
例えば勇者や名も無き者。それが相手をするような大魔族や古竜……それに並んで恐れられるのが、異端狩りだった。
「あぁ、奴らが通った後は草一本生えないと聞く。恐ろしい連中さ」
「……しばらくこの港町には来ない方がいいかもな。くわばらくわばら」
漁師たちの声は男の耳に入ってはいたが、別段気にする様子もなく地図を広げる。
そしてふむと頷くと、目当ての場所へ足を向けるのだった。
男は街道をまっすぐ進み、一本裏路地へ入る。
中心からやや外れた道には、ぽつりと教会が建っていた。
男が扉を開けると、ぎしりと重々しい音が鳴った。
祭壇の前では、一人の老神父が立っていた。
「これはこれは、遠いところをはるばるよくぞお越しいただきました。レイドウ神父」
「えぇ、世話になります」
レイドウと呼ばれた男は老神父にそう言うと、まっすぐに歩む。
そして祭壇に跪き、祈りを捧げる。
ひとしきり祈り終えると、立ち上がって老神父に向き直った。
「では、仕事の話を聞きましょう」
「到着早々、真面目な方だ。まずは酒でも飲みながら、どうです?」
老神父の勧めに、レイドウは首を振って返した。
「生憎ですが、酒は飲めないので」
「なるほど。では早速……と言いたいところなのですが……」
「?」
口ごもる老神父だったが、やがて意を決したように頭を下げた。
「申し訳ない! 実は冒険者ギルドに依頼を出したままなのを忘れておりまして。死霊術師キュベレイは、先日倒されたのです」
老紳士の言葉に、レイドウは初めて驚いた顔を見せた。
「なんと……死霊術師を倒せる者が現れたのですか? 街一つを潰してしまうような大魔族でしょう?」
「えぇ、勇者殿がいらして、あっさりと」
「……なるほど。そう言う事でしたら、納得です。頭を上げてください。あなたに責はない」
「おお、ありがとうございます。レイドウ神父」
「ですが……そうですね。そのつもりで来たので少々手持ち無沙汰になってしまいました。次の船が来る前、ここで一仕事していこうと思います。どうやらこの街には、未だ獣の気配が感じられる……」
レイドウの冷たい目が、じっと窓の外を見た。
老紳士も同様に窓の外を見るが、別段変わった様子はなかった。
「そうなのですか? いつも通り平和に見えますが……」
「いえ、確実に存在する。異端狩りの鼻はよく利きますからね。……そういうわけですので、ねぐらをお借りしてもよろしいでしょうか?」
「それはもう! 是非お使いください」
「助かります」
「さぁ、それでは中へ」
レイドウは一礼をすると、老神父に従い教会の奥へと入っていく。
――――ふと、一陣の風が吹いた。
頑丈なつくりの教会に吹き抜ける風。
レイドウは立ち上がり堂内を見るが、別段変わったところは見受けられなかった。
「何をしているのです? レイドウ神父」
「……すぐに行きます」
レイドウはすぐに向き直ると、老紳士の後ろをついて行くのだった。




