腐れ領主と冒険者②
「ん……?」
気配を感じとった見張りが、辺りを見渡す。
が、何もない。
虫が鳴いていくらいなものである。
やはり気のせいかと、そう思った兵はまた前を向き通常監視に戻る。
大きなあくびを一つしたその隙間を、闇に紛れたリョウマが音もなく駆ける。
如何に兵たちにやる気がないとはいえ、近くに来た人を見落とすなど本来であればあり得ない。
暗闇の中とはいえ、音が、気配が、様々な情報が人からは発せられているのだ。
闇に紛れたからと言って、そうやすやすと監視の目を誤魔化せるはずがない。
それを成したのはエリザの操魔術。
草鞋を編む草を柔らかくし、風を吹かせ、纏わせた木の葉と砂埃がリョウマの足音を殺し、姿を隠しているのだ。
余程近づかねばリョウマの姿は一陣の風にしか見えぬであろう。
城壁のすぐ下まで来たリョウマは、近くにあった手頃な岩に乗る。
遅れて駆けてきたエリザが岩に魔力を込め、ぐんと上昇させた。
岩と共に飛び上がったリョウマは城壁の上へと飛び移る。
(行ってくる)
(武運を)
そう視線で会話し、二人は別れた。
エリザはここまでだ。
如何に手練れとはいえ、子供の割には――――である。
これ以上は足手まといにしかならぬ。それはエリザ本人もわかっていた。
「……私もいつか、リョウマの隣に並んでみせる」
唇をかみしめ、エリザはリョウマを見送るのだった。
城壁に乗ったリョウマはすぐに身を屈めると、辺りを素早く見渡した。
遠くに影が二つ、気づかれる距離ではないと判断したリョウマはすぐに壁の内部へと飛び降りた。
侵入成功。
さしものリョウマとて、これだけの兵を相手取れ苦戦は必至。
それに騒ぎを大きくすると、シュナイゼルを取り逃がす恐れもある。
どんな事があろうが確実に、殺す。
リョウマはそう決意していた。
暗闇に紛れ、リョウマは近くの茂みへと駆ける。
まずはここから様子を伺う。
リョウマは滑るようにして、茂みに潜り込んだ。
「ん……あっ、やっ……」
途端、リョウマの耳に飛び込んで来たのは女の嬌声。
なんと茂みの中で、男女が情事を行なっていたのだ。
三人ともいきなりの展開について行けず、固まる。
「――――ッ!?」
女が叫び声を上げようとした瞬間、リョウマの縞外套の中から金色の軟体が飛び出す。
ジュエ郎だ。
ジュエ郎は男女の頭を包み込み、口を塞いだ。
「ふぅ、助かったぜジュエ郎」
「ぴぎ!」
すぐに我に返ったリョウマはジュエ郎の頭を撫でる。
呼吸を封じられた男女は、白目を向いていた。
とはいえ何も殺すことはない。
ジュエ郎に命じ、拘束を解いた。
「すぐには目を覚まさんだろうがな」
万が一ということもある。
縄で手足を縛り、猿轡をかませて地面に転がせた。
改めてリョウマは茂みから様子を伺う。
ハチェから受け取った見取り図によれば、シュナイゼルの執務室は砦の北部にあるらしい。
外から見る限り、砦内部に見張りは見えない。
とにかく潜り込んで見るべきか。
そう考えたリョウマは風と共に砦内部へと潜り込む。
中は石畳、松明の仄かな明かりがぽつぽつと廊下を照らしている。
リョウマの身体を纏っていた風の外套は気づけば剥がれ落ちていた。
エリザの操魔術の効果範囲から出たのだ。
ここからはより、注意深く進まねばならない。
壁を背に、耳を澄ます。
――――周囲に動くものなし。そう確認したリョウマは壁伝いに廊下を進んでいく。
時折通り過ぎる扉の奥からは、男たちの寝息が聞こえてきた。
どうやら全員、寝入っているようだ。
若干拍子抜けしながらも、リョウマはあっさりと最初の棟を抜ける。
次の棟へ足を踏み入れたリョウマだが、やはり何も聞こえてこない。
起きているのは少数の見張りのみで、全員寝静まっているようだ。
(到着……と)
シュナイゼルの執務室のある最後の棟へと忍び込んだリョウマが目にしたのは、吹き抜けの塔――――であった。
見上げるも、天井には石の壁があるのみだ。
仄かに臭う魔力の痕跡。
この装置を見て、リョウマは思わず苦笑する。
(先刻俺が城壁を登る時に使ったのと同じモノ、か)
魔力を込めることで上下する石。
これに乗り、シュナイゼルは自室へと昇っていたのだろう。
なるほど、こうして使えば侵入者も阻めるし階段を上り下りする必要もない。
便利な仕掛けである。
(とはいえ俺を止められはしねぇがな)
取り出したのは鉤縄である。
ひゅんひゅんと回転させ充分に遠心力をつけたあと、階上の石壁を狙い、放つ。
かきん、と乾いた音が天井で鳴る。
引っかかったのを確認したリョウマは足場を確かめつつ、石壁をよじ登っていく。
(……む)
魔法陣の描かれた石床のすぐ傍に、部屋が一つ。
閉め忘れたのか半開きになった扉からは、魔術師の姿が見えた。
この浮遊する床の術者だろう。
魔術師は椅子の上でうたた寝をしていた。
舟をこいでいた魔術師だったが、不意にその身体ががくんと揺れた。
折悪しく、目を覚ました魔術師とリョウマの目が合う。
「ふがっ!? き、貴様は……!」
未だ、寝ぼけまなこの魔術師が声を上げた瞬間、リョウマは凩を抜いていた。
抜きざまに放った「つむじ風」が魔術師を捉える――――が、浅い。
魔術師が咄嗟に展開した障壁により、つむじ風はかき消されてしまう。
反撃を仕掛けようとした魔術師だったが、リョウマは既にその懐にまで飛び込んでいた。
一刀両断。
障壁ごと、断ち切ると壁向こうに鮮血が飛び散った。
魔術師の唱えかけた魔術が壁に当たり、外壁が吹き飛ぶ。
「なんだなんだ!?」
「一体何事だ!?」
塔の内部からは他にも数人の声が上がる。
シュナイゼルは襲撃に備え、幾人かの使い手を自らの塔に住まわせていたのである。
突然の爆音に跳び起きたのはシュナイゼルもだ。
着の身着のままで部屋から飛び出したシュナイゼルが見たのは血に濡れた魔術師を見下ろすリョウマの姿。
その様相、鬼の如く。
シュナイゼルは「ひっ」と短く悲鳴を上げた。
扉を閉めた瞬間、走る衝撃。
見ればざっくりと扉は割れていた。
リョウマの放った「つむじ風」によるものだ。
切り裂かれた扉の隙間からは、リョウマが駆けてくるのが見えた。
シュナイゼルの背筋に冷たいものが走る。
恐怖で肺が押しつぶされそうだ。それでもなんとか、振り絞る。
「で、であえーーーっ! であえーーーーっ!」
主の声に釣られてぞろぞろと、廊下の奥から戦士たちが出てくる。
各々が手にした武器は一般兵が持ちえぬ上物ばかり。
それもそのはず。彼らは騎士団の中でも選りすぐりの近衛兵。
シュナイゼルの身を守るべくゴリアテがあてがった使い手ぞろいだ。
「侵入者か。命知らずな男よ」
「ここまで来たのは褒めてやるが……終わりだ。覚悟するんだな」
ぞろりと並んだ近衛兵。
全員が黒鎧の男と同等の使い手だとリョウマは即座に悟った。
「……おもしれぇじゃねぇか」
それを見て、リョウマはぺろりと上唇を舐める。
抜き晒しの凩が、夜風に哭いた。




