泥棒と冒険者
――――その夜、老人は固いベッドから身を起こし畑へ行く。
リョウマの育てた成長の木の実を盗む為である。
キョロキョロと辺りを見渡し、誰もいないのを確認し、リョウマの畑へと足を踏み入れる。
木は獣除けの網に囲われているが、人間相手では分が悪い。
網はあっさりとかいくぐられ、老人の侵入を許してしまった。
「ひひひ、そんなに価値のある実とはのう」
老人は枝を引き寄せ、木の実を一つちぎり取ってじっと見る。
深く澄んだ青色の実は、宝石のようだ。
一反500万出すと言っていたが、男の口振りではそれ以上の価値がありそうだった。
上手くいけば1000万以上……そう考えると老人の笑みは止まらない。
「念の為、もう幾つか貰っておくかい」
全部取られてはバレてしまうだろうが、2、3個なら気づかれはしないだろう。
そう思った老人がもう一本の実に手を伸ばした瞬間である。
土が盛り上がり、中からギョロリと二つの光が輝いた。
「な……っ!?」
直後、老人に襲いかかる謎の影。
長く伸びる触手のようなものに絡みとられ、老人は身動きが取れなくなってしまった。
影は土の中から抜け出すと、ゆっくり近づいてくる。
「シュー……ルルルルル……」
「ぐ……くそっ! 離せっ!」
月明りの下、姿を見せたのは魔物――――マッドリザードである。
老人はその長い舌で絡みとられていたのだ。
懸命に暴れるが非力な老人の力ではビクともしない。
次第に対抗する力も弱くなり、老人が気を失おうとしていた。
「いやぁ、まさかお前さんだったとはね」
そこへ現れたのはリョウマである。
畑の世話をしていた何者かを突き止めようと張っていたリョウマだったが、まさかこんなところに出くわすとは思わなかった。
見覚えのある傷だらけのマッドリザードは、あの時助けた個体で間違いなかった。
「シュルル……」
「はは、恩返しに来たってか? ありがとな」
「シュー!」
元気よく鳴いた拍子に舌が締まり、老人の身体が軋み音を上げた。
「ぎぇぇぇぇええええっ! お、下ろしてくれぇぇぇぇ!」
「あーあー、大変そうだねぇ。じいさん」
「たのむ! 助けてくれ! 何でもする!」
「ジジイに何でもするとか言われてもね……」
リョウマの視線の先は老人の手に握られた、成長の実である。
見咎められ、焦った老人は必死に弁明を始めた。
「ち、違うんじゃ! これは……」
「何が違うんでぇ? この盗人が」
だが、返ってきたのは恐ろしく低い声。
昼間とは全く違う、リョウマの鋭い目つきに老人は息を飲む。
老人とて長い人生の間、多くのならず者と相対したことはある。
だがそれとは全く違う、人か獣かもわからぬような、異様の気配。
これが、冒険者。
老人は自分のした事の愚かさを激しく後悔した。
「……すまない。本当にすまない……っ! 魔が差したんじゃ……許してくれぇ……!」
「すまないで済んだら殺しは起きねぇよ。どう落とし前をつけてくれるんだい?」
涙を流して謝る老人にも、リョウマが殺意を緩める事はない。
返答を誤れば本当に殺される。
そう理解した老人の股下から液体がとめどなく溢れていた。
「こ、この実は返す! だから!」
「そいつは当然なだけだなぁ」
「道具も水も、家も、ここにある物なら何を使ってもいい!」
「んー……その程度かい?」
「あぎゃっ!? あぎっ!? あがががががっ!?」
リョウマの不満を察したかのように、マッドリザードは老人の身体を締め付けていく。
ミシミシと自身の身体から聞こえる骨の軋む音。
ひときわ大きな音が鳴った時、老人はついに骨が折れたと思った。
実際は関節が鳴っただけなのだが……ともあれ心の方は完全に折れていた。
「で、ではどうすれば……」
「この木の世話が結構手間かかって、面倒なんだよなぁ」
「この木の世話をさせていただきますぅーっ!」
「ほう」
険しかったリョウマの表情が緩む。
それを察したかのようにマッドリザードが舌を緩め老人を地面に落とした。
ようやくまともに呼吸が出来た老人は、生きている事に感謝しながら何度も息を吐いては吸う。
過呼吸でむせながらも、何とか青かった老人の顔に赤みがさした。
「それじゃあこの木の世話、任せようかねぇ。あぁ、分かっているとは思うがまた盗んだりしたら……」
「ゴホッ! と、当然そんな事はしませぬ。ゴホッゴホッ」
「いやぁ悪いな、こいつは手間がかかってよぉ。一応やり方は説明するが、絶対に枯らさないようにしてくれよな」
「は、はい……!」
リョウマの言葉に、老人はこくこくと頷く。
ともあれ助かったと安堵する老人。
だが心の奥底ではリョウマに舌を出していた。
(へっ、一旦解放されればあとはこっちのものじゃ! 約束など知った事か! 畑を失うのは痛いが、元々畳もうとは思っていたところじゃし、それにこいつから貰った金がある。ほとぼりが冷めたころに逃げだして、どこかで第二の人生を送るとするかい)
ただでさえ実入りの小さい農作稼業。
他人の為にやるなどまっぴらごめんである。
老人はリョウマとの約束を守るつもりなど、毛頭なかった。
「じゃあ頼むなじいさん。一緒にこの木を育てていってくれよ」
「へ? い、一緒に……?」
「シャー♪」
老人の隣には先刻自分を捉えたマッドリザードが座っていた。
リョウマとマッドリザードを交互に見る老人に、リョウマは頷く。
「このじいさんが逃げようとしたら……好きにしていいぞ」
「シャッ!」
「ひいっ!?」
元気のいいマッドリザードの返事に、老人は縮み上がった。
大きく開いた口は老人を軽く丸のみに出来そうだった。
そんな恐ろしい魔物の頭をリョウマは撫でる。
まるで犬と戯れているかのようだった。
「よぉしよし、いい子だ」
「シャー♪」
マッドリザードはそれに応えるように、リョウマに身体を擦り付け尻尾を振っている。
どうやらまた、懐かれてしまったようだ。
魔物ばかりに好かれ複雑な気持ちのリョウマであったが、不思議と嫌な気分はしない。
「そうだ、お前にも名前をつけてやろう。マッドリザードだから、まっどんでどうだ」
「シャ……?」
嬉しそうに振っていた尻尾の動きが、ぴたりと止まった。
そして硬直したままリョウマを悲しそうに見つめている。
「シュー……シュー……」
弱々しい鳴き声を上げるマッドリザード。
その名をお気に召さなかったのは老人でも理解できた。
だがリョウマはそれを気にする風もなく、快活に笑う。
「はは、気に入ったか? 可愛い奴め」
リョウマは上機嫌でマッドリザードの頭を撫でまわす。
その気持ちには、全く気付いていないようだった。
これはひどい、と老人は思った。
「これからよろしくな。まっどん」
「シュー……」
諦めたような顔のマッドリザードの顔を老人は忘れられそうになかった。




