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土岐頼藝公の事其壱
正室の樹里の父親である斎藤山城守道三は元は山城の国の西岡(現在の京都府乙訓郡)の松波某という者でありました。
一年程諸国を流浪して美濃の国の長井藤左衛門を頼り、そこで扶持を受け、与力も付けられるようになりました。
やがて恩を仇で返す形で藤左衛門を殺害し、その姓を奪って長井新九郎と名乗りました。
その動きに触発されたのか、長井一族は互いに相争うようになりました。
その最中、大桑(現在の岐阜県山県市)に在城していた守護の土岐頼藝に長井新九郎が力を貸してくれるように頼んだところ、断わる事なくあっさりと加勢してくれました。
そのお陰で新九郎は思った通りに事を進められました。
頼藝の息子に次郎と八郎という兄弟がおりました。
新九郎は勿体無くも次郎を娘婿に迎え、友好関係を結んでいましたが、折を見て毒を盛って殺してしまいました。
更に後家となった娘を次に八郎に押し付け、妻にさせました。
さすが美濃の蝮だと思う地の文です。




