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勘十郎殿・林・柴田御敵の事其肆
対する左京方からは、飯尾定宗、その子の尚清、その他の諸勢を送り込み、守山城をしっかりと包囲させました。
織田三郎五郎広京という人は、左京の腹違いの兄です。その弟に安房守時京という頭のいい人がいました。
左京の家臣の佐久間信盛が事あるごとに言上していたので、守山城をこの時京に与える事になりました。
角田新五、坂井喜左衛門は守山城の家老です。この二人が時京を引っ張り、守山城の城主にしたのでした。
この時の忠節により、下飯田村(現在の名古屋市北区)の屋斎軒の旧領の知行百石が、時京から佐久間信盛に与えられました。
かかる折に、左京の一番家老の林佐渡守秀貞、その弟の林美作守及び柴田勝家が申し合わせ、
「三人で行京殿を守り立てよう」
そのような謀反の臭いがプンプンする噂が聞こえてきました。
(そう来たか)
左京は正室の樹里からの話ですでに三人の動きを掴んでいました。
「そうなんですか」
それでも樹里は笑顔全開で応じました。




