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深田松葉両城手かはりの事其弐
左京は松葉口、三本木口、清洲口方面へ兵を分けて攻めさせました。
そして、自らは川を渡って、叔父の光京と共に海津口まで押し出しました。
一方、敵である清洲の家老達は城から三十町(およそ三・三キロメートル)進軍してきて、海津村(現在の愛知県海部郡甚目寺町)までやってきました。
左京は、八月十六日の辰の刻(午前八時前後)、東に向かって攻めかかり、数刻激闘を繰り広げました。
(早く帰って樹里様の膝枕)
左京はそのエロパワーを全開にして、獅子奮迅の活躍をしました。
「えろぱわあとは何だよ!」
時代的に意味不明な左京は地の文に切れました。
今日は如意棒は持ってきていないようです。
「前々世の話はやめろと言っているだろう!」
どうしても西遊記が頭から離れない地の文に切れる左京です。
光京の家来で小姓から取り立てられた赤瀬清六は幾度も武功を立てた腕に覚えのある武将です。
清六は坂井甚介と渡り合い、長い戦いの末、討ち死にしました。




