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大河内国司退城の事其肆
左京の本陣の警護には御馬廻り衆、御小姓衆、御弓の衆、鉄砲衆が当たりました。
九月八日、稲葉伊予守一鉄、池田勝三郎恒興、丹羽五郎左衛門長秀の三人が、左京の命で西の搦手口から夜攻めを申し付けられました。
実は樹里の采配なのは言うまでもないと思う地の文です。
「あれこれうるせえ!」
全部バラされてしまう左京は自棄になって地の文に切れました。
同日、夜になると、軍勢を三つに分けて攻めかかりました。
進軍すると同時に雨が降り出して、味方の鉄砲は役に立たなくなりました。
左京と一緒だと思う地の文です。
「更にうるせえ!」
泣きながら切れる左京です。
恒興の攻め口では御馬廻り衆の朝日孫八郎、波多野弥三らが討ち死にしました。
長秀の攻め口での討ち死にした者は、近松豊前守、神戸伯耆守、神戸市介、山田大兵衛、寺沢弥九郎、溝口富介、斎藤五八、古川久介、河野三吉、金松久左衛門、鈴村主馬を始めとした屈強の武士二十余名が討ち死にしました。




