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観世大夫・金春大夫御能仕るの事其壱
「このたび、粉骨砕身で力を尽くした者達に見物させなさい」
足利義昭の計らいで、観世大夫に能を演じるように命じました。
能の組は、脇能の「弓八幡」などで、目録には十三の演目が書かれていました。
元猿なので、字が読めない左京は目録を読んだふりをし、
「まだこれからも近隣の国を平定しなければならないので、弓矢をしまい込んでいる場合ではない」
如何にもそれらしい事を告げ、演目を五番に縮めさせました。
「いろいろうるさい!」
いろいろおちょくっている地の文に切れる左京です。
能は細川邸で行われました。
最初のお酌は、細川典厩藤賢がしました。
この時、左京に、久我通俊、細川兵部大輔藤孝、和田伊賀守惟政を使者として、再三義昭の考えが伝えられました。
左京を副将軍か管領に任じようとの事でした。
ところが左京は、
「受けてはなりませぬ」
樹里に言われていたので、
「ご辞退致します」
断りました。
大変珍しい事だと、都の人々は皆感心しました。




