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御徒町樹里の信長公記(四百文字小説)  作者: 神村 律子
巻一 永禄十一年戊辰以来織田弾正忠左京公の御在世、且これを記す
170/2152

左京入洛十余日の内に五畿内隣国仰付けられ、征夷将軍に備へらるるの事其伍

 十月二日、池田(現在の大阪府池田市)の城を攻めました。


 左京は兵を揃えて北の山で戦いの様子を見ました。


 水野金吾信元の家臣に梶川平左衛門高秀という名の知れた勇士がいました。


 そして、左京のお馬廻り衆の魚住隼人、山田半兵衛も名の通った武編者です。


 この人達が先を争って城の外郭に突き進み、しばらくの間、押しつ押されつして戦いました。


 高秀は、腰骨を突かれて後ろに下がり、討ち死にしました。


 魚住隼人もここで手傷を負い、後退しました。


 このように、非常に激しい戦いだったので、どちらにも討ち死にする者が数多く出ました。


 遂に城に火をかけ、町を焼き払いました。


 このたびの出陣に加わった者達は、末代までの高名と皆信じ、戦いました。


「戦う気力は日を追うごとに次々と湧きあがり、戦うに当たっては風が吹くかのように、攻めるに当たっては、まさに大河の堤が決壊するような勢いであった」


 まさにこの時の戦いを表現していると思う地の文です。

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