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御徒町樹里の信長公記(四百文字小説)  作者: 神村 律子
巻一 永禄十一年戊辰以来織田弾正忠左京公の御在世、且これを記す
169/2152

左京入洛十余日の内に五畿内隣国仰付けられ、征夷将軍に備へらるるの事其肆

 四人の武将は力を合わせて敵陣に突っ込み、敵の首を五十余挙げ、東福寺にて左京が首実検をしました。


 同日、義昭は清水寺に移りました。


 二十九日、左京は青竜寺へと馬を出し、寺戸(現在の京都府向日市)の寂照院に布陣しました。


 これを知った敵将の石成主税頭友通は降参しました。


 三十日、山崎(現在の京都府乙訓郡大山崎町)に到着し、陣を敷きました。


 先発していた部隊は、天神の馬場(現在の大阪府高槻市)に布陣しました。


 芥川(同じく高槻市)に細川六郎昭元、三好日向守長逸が立て籠もっていましたが、夜になると、逃げ出しました。


 篠原右京亮長房の居城である越水、滝山も、退城しました。


 この隙に左京がお供をして、義昭は芥川城に移りました。


(恐ろしいまでにうまくいっている。天が俺に味方しているのだ)


 左京は逆上せていましたが、樹里の采配と三人のくノ一の活躍なのは内緒です。


「内緒にしとけ!」


 何でもバラしてしまう地の文に切れる左京です。

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