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御徒町樹里の信長公記(四百文字小説)  作者: 神村 律子
巻一 永禄十一年戊辰以来織田弾正忠左京公の御在世、且これを記す
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左京入洛十余日の内に五畿内隣国仰付けられ、征夷将軍に備へらるるの事其壱

 永禄十一年九月七日、左京は義昭にいとまを告げ、


「近江を征伐し、お迎えを差し上げましょう」


 そう言って、尾張、美濃、伊勢、三河の四カ国の兵を率いて出陣し、平尾村(現在の岐阜県不破郡垂井町)に布陣しました。


 翌八日、近江の高宮(現在の滋賀県彦根市)に到着し、二日間逗留しました。


 十一日、愛智川付近に野陣を張り、くノ一の三人が付近を探りました。


 その結果、数カ所の敵城には兵を向かわせず、六角父子三人が立て籠もる観音寺(現在の滋賀県蒲生郡安土町)と箕作山みつくりやま(現在の滋賀県東近江市)へ十二日に駆け登らせる事にしました。


 佐久間右衛門信盛、木下馨、丹羽五郎左衛門長秀、浅井新八政澄に命じて箕作山の城を攻めさせました。


 申の刻(午後四時前後)にうちかかり、夜に入って落城させました。


(見ていろ。いつかお前にとって代わってやる)


 元馬の馨は左京を見て思いました。


「前々世の話はやめろ!」


 頻繁に過去を思い出させる地の文に切れる馨です。

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