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堂洞取出攻めらるるの事其肆
左京は太田又助(信長公記の筆者)の弓を手放しで喜び、三度も使いの者を寄越した程でした。
そして、最終的には知行を増やしました。
だから、記録に残したのだと思う地の文です。
「某はそこまで小さい男ではない!」
筆者の又助が嘘八百を並べる地の文に抗議しました。
午の刻(正午頃)に砦に取り付き、酉の刻まで攻め、夕暮れ時になりました。
河尻与兵衛秀隆が天守に突入し、丹羽五郎左衛門長秀がそれに負けじと続きました。
敵の岸勘解由左衛門、多治見一党の戦働きもすさまじく、敵味方が入り乱れての合戦になりました。
敵も味方もわからなくなる程の大乱戦です。
やがて戦況が動き、敵方の大将格の者達は討ち取られました。
その夜、左京は加治田城へ赴き、佐藤紀伊守と右近右衛門父子と対面しました。
左京は右近右衛門のところに泊まりました。
二人は感激の涙を流していましたが、
(くノ一は来ておらんのか。残念無念だ)
そんな事を考えているスケベ父子です。




