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もりべ合戦の事其参
前田又左衛門利家は、左京に叱責され、未だに出仕を許されていませんでした。
今川義元との桶狭間の合戦の時も、朝の戦で首を一つ、義元勢が総崩れになった時にも、首を二つ獲りました。
それだけの活躍をすれば、お館様もお許しになるだろうと利家は踏んでいましたが、それでも出仕は許されませんでした。
利家は、左京お抱えの同胞衆の拾阿弥と諍いを起こし、斬り捨てた上、出奔してしまったのです。
本来であれば、切腹ものですが、柴田勝家らの取りなしで、出仕を禁じられるに留まりました。
左京の執念深さが窺える逸話です。
「違う!」
正当な評価をしたはずの地の文に切れる左京です。
拾阿弥は傲慢な男で、たびたび利家を侮辱するような言動をとっていたのです。
「又左衛門の気持ちはわかりますが、只許しては他の者に示しがつきませぬ」
樹里の助言により、利家は浪人生活を送る事になったのでした。
そして森辺の戦での手柄により、ようやく許されたのでした。




