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御徒町樹里の信長公記(四百文字小説)  作者: 神村 律子
首巻 是は左京御入洛なき以前の双紙なり
125/2152

今川義元討死の事其拾弐

 世は末世だという事ですが、未だに日も月も天上にあり、今川義元は山口左馬助教継のいたところに来て、鳴海において四万五千の大軍を率いましたが、それも用をなさず、その二十分の一の数の左京の軍勢に叩き伏せられ、逃げる事も叶わず、討たれて命を落としました。


 浅ましい程の因果応報、善悪二つの道理は明らかで、天道から外れた事をするとこうなるという見本のような末路でした。


 山田新右衛門という者は駿河の生まれです。義元が特に目をかけ、手取り足取り、お笑いの基本を叩き込んでいました。


「その吉本じゃねえよ!」


 清洲に運ばれている途中の義元の首が地の文に切れました。


 新右衛門は義元討ち死にの知らせを聞き、馬を乗り帰して戦い、討ち死にしました。


「命は義を貫くためには軽くなるものである」


 新右衛門の討ち死にはまさにこれでした。


 二俣(現在の静岡県浜松市)の城主の松井五八郎宗信とその一門一党二百人は枕を並べて討ち死にしたそうです。

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