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白兎と金烏  作者:
二幕 大地女神編
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終章、金のことほぎ

 白い花群れのあいまから、光が射している。目を眇めてそれを仰いだイチは、石の間から湧き出た清水を器用に渡り、後ろからついてくる少女を振り返った。

「そこ、水が湧いてるから、滑るなよ」

「見えておる! その当たり前のように転ぶだろって顔をやめい」

 むうと眉根を寄せて、かさねは足元に流れる湧水に目を落とした。

「おお、小魚が泳いでおるぞ、イチ。かように枯れかけた清水でえらいのう」

 目元を和らげ、うむうむとうなずいてから、開いた距離に気付いて小走り気味に歩き出す。イチは足こそ止めなかったが、少し歩調を緩めた。

 樹木老神・星和に話を聞いてからの帰り道である。ほんの一刻と話さず、星和は再び眠った。化生たちの話だと、今では起きているときのほうがずっと稀なのだという。次にいつ星和と話すことができるか、化生たちにすらわからぬようだった。聞いた話を報告するため、小鳥は天都へ戻ったが、かさねとイチは樹木老神への礼を尽くして、行きと同じように木道を使って帰路をたどっている。

「この調子だと、今日は野宿かの……」

「だろうな」

「イチ、そなた食料はきちんと持っておろうな。固餅も干し肉ももう飽きたわ」

「化生たちに分けてもらった実があったろ」

 そうであった、とかさねは手を打った。それで会話が途切れたので、また黙々と花影が落ちる山道を歩き出す。暇になったらしくかさねは歌を口ずさみ始めた。

「つづらかさねのー、かさねみちー。かさねてーかさねてー。――のう、イチ。知っているか? かさねの名前は『かさねみち』から取ったのだぞ。かさねてーかさねてーのかさねじゃ」

 イチが答えないでいると、かさねは瞬きをして、イチの袖を引っ張った。

「イチ? 聞いているのか」

「――だまれ」

 耐え切れなくなって、つい苛立った風な声が漏れた。

「だ、黙れとはなんだ……」

 案の定、気分を害した様子で、かさねは袖から手を下ろす。

「かさねがせっかく、」

「話したくないときは話さなくていいし、笑いたくないときは笑わなくていい」

 ぴしゃりと吐き捨てると、息をのむような気配があり、かさねは今度こそ口をつぐんだ。たぶん今、背にいる娘はみるみる目を潤ませて、悔しそうに唇を噛んでいる。苦い気持ちが胸に広がった。別にかさねを傷つけたいわけではないのに、イチは口を開くとこういう言い方になってしまう。もどかしさから視線をよそへ向けて言葉を探していると、とん、と背中にあたたかなものが当たった。背後から回された手がきゅっとイチの衣をつかむ。

「――……こわい」

 吐息とともにこぼされた声に、イチは瞬きをした。それはイチの知る少女の声ではなかったからだ。頼りなくて今にも消え入りそうな、か細い声。

「星和の話を聞いてから、……否、その前からずっと恐ろしくてたまらない。地に落ちたひよりは『ひと』ではなくなってしまった。く、腐り果てて、蛆が湧いて、かさねのことももう……。かさねも『そう』なってしまったらどうしよう。かさねはかさねであるのに、かさねではなくなってしまうのか」

 背中越しに小さな震えが伝わってくる。思い出したようにしゃくり上げる声も。

 以前、イチは案じた。もしもひよりの最期が凄惨なものだったら。この娘は自分のさだめに絶望し、くずおれてしまうのではないかと。今がそれだった。想像できなかったことじゃないのに、イチは痺れたように動けない。ただそこに立っていることしか。

 答えを探して、光がさんざめく天を仰いだ。

(俺はなんでこの娘に泣かれると不安でたまらなくなるんだろう)

 花が咲いた樹木から、ひらひらと白い花びらが風に吹かれて落ちてくる。ひとひらが額に触れて、イチは天幕で微笑む女のことを思い出した。

 ――好いているのですね

 ひよりは言った。

 ――そなたはあの娘を好いている

 閃くように胸の中のものをなぞられたとたん、何故か視界が揺らいだ。目を伏せると、頬にあたたかなものが伝った。泣いたことがイチはほとんどなかった。生まれたとき。壱烏が死ぬとき。それだけ。たったそれだけだった。どうして場違いに、泣いている娘を支えてやらなくてはならないこんなときに、自分のほうが泣き出してしまうのかイチはわからなかった。――けれど、わかったこともある。

「だまれ」

 涙を乱雑に拭うと、イチはかさねの手を取って振り返った。案の定、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしている少女が呆けた風にイチを見上げた。

「おまえは俺が見失わない。何があっても絶対に」

「……ほ、ほんとうに?」

 咽喉を鳴らしてしゃくり上げた少女の前髪を指でのけて、イチはあらわになった白い額にそっと口付けた。名前を与えたばかりの気持ちを噛み締めながら。

「約束する」

 

【大地女神編・完】



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