表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
白兎と金烏  作者:
二幕 大地女神編
64/164

五章、黄泉路(2)

「つまり、おふたりは千年前の金烏国を旅してらしたとそう仰るのですか?」

 信じられない、といった様子で小鳥少年はみずらを揺らした。

「黄泉に落ちてしもうてのう。千年前の花嫁にも会うてきたぞ」

「まことですか!」

「うむ、たいそうな美少女であった」

 おまえと同じ顔だろ、という眼差しをイチが向けてきたが、かさねは知らぬふりをする。第一かさねだって「たいそうな美少女」なのだから、間違いではない。小鳥少年の話では、かさねとイチが消えていた時間はほんの一刻にも満たなかったらしい。異界とこちらでは時間の流れ方がちがうから、というのはイチの言である。たった一刻のうちにぼろぼろのていで帰ってきたかさねたちを小鳥はいたく心配したが、イチが押し切ったこともあって、そのまま樹木神へ至る旅を続けている。

「そなた、手の怪我は大事ないか? まだ痛む?」

 大地将軍によって貫かれたイチの右手は、肉だけでなく骨の一部も砕かれていた。傷口は縫って添え木をあてていたけれど、当分の間はもとのように動かせまい。左手を使って水を飲んでいるイチの隣に座り、かさねは持ってきた干し肉を割いて渡してやった。包帯を巻いた手のひらに触れようとすると、額を手の甲で押しやられる。

「問題ない。それより、千年前の花嫁の顛末をあいつに言うんじゃないぞ」

 小川で水を汲んでいる小鳥少年へ一瞥をやって、イチは声を低くした。

「……何故」

「何でもだ」

 黄泉をめぐる旅の大筋や、大地将軍が女神の加護を受けた太刀を得たことなどは小鳥を通じて天都へ伝えられている。けれど、天帝の花嫁――ひよりが大地女神として地に落ちた真実だけは、イチは小鳥に話そうとしなかった。金と灰の眼差しの奥でイチが何を考えているのか、かさねもはかりきれないでいる。

「それにしても、おふたりのにおい、本当に取れませんねえ」

 竹筒に水を汲んで戻ってきた小鳥少年は、頬を歪めて鼻を覆い、かさねから少し離れた。

「黄泉はきたなきもの、くさきもののはびこる地。一度落ちると、禊ぎをしてもなかなか穢れが落ちない」

 ずた袋を怪我をしていないほうの手で肩にかけながら、イチが言った。かさね自身は鼻が利かなくなっているらしいが、小鳥少年からすると、見つけたときのかさねとイチは「この世の者とは思えないような」ひどいにおいを放っていたらしい。すぐに泉の水で清めたが、効果のほどはまだ薄いという。

「樹木老神に怒られてしまうだろうか……」

 アルキ巫女からもらった清めの匂い袋を手で揉んで、かさねはふうと息を吐く。山の奥深い道は、多様な植物がはびこり、濃い土と緑のにおいに包まれている。このあたりの森の樹は、数百年を生きた大樹ばかりだ。背の高い樹のおかげで、梢を通して降り注ぐ夏の陽はやさしく、あたりには澄んだ風が吹いている。

(星和はあのあとどうしたのだろうか)

 立ち並ぶ樹木の姿に重ねて、赤子を抱き締めた男の姿を脳裏に描いていると、

「……さま! かさねさま!」

 目の前でひらひらと手を振られた。それで我に返り、心配そうな顔でのぞきこんでくる小鳥少年を見返す。

「ああ、すまぬ。ぼうっとしておった」

「黄泉から戻られてから、少しおかしいですよ。平気ですか?」

「うむ。それで、何であったか」

「見えてきました」

 ひときわ高い岩にのぼった小鳥は青の眸を細めて、遠くを見渡すようにする。

「木道の最果て。樹木老神のおわする地です」


 *


 かさねたちを迎えたのは、樹木老神の子どもを名乗る化生たちだった。星和と似て、でこぼこと突き出た木膚を持つ青年や少年は、かさねを見るや目を細めて恭しくこうべを垂れた。

「お待ちしておりました、天帝の花嫁。奥に樹木老神がいらっしゃいます」

 木道の最果てには、ひとつの巨大な庵とみまごう大樹が根を張っていた。伸ばした枝は四方に伸びて、青々と葉を茂らせている。かさねの兄・いざりが守人を務めていたセワ塚も数百年を生きた大樹ばかりが棲んでいたが、それともまるで大きさがちがった。圧倒され、かさねは口を開くこともできずに大樹を仰ぐ。

「かさねさま。ご挨拶を」

「あ、ああ」

 小鳥に促され、かさねは大樹の前に進み出た。

「莵道かさねじゃ。莵道の継承者にして、天帝に次の花嫁として名指しを受けた。己のさだめを知るため、あなたのお知恵を借りたい」

 みどりの葉を揺らす風がひときわ強くなった気がした。激しく葉が舞い散り、かさねは顔の前に腕を掲げる。次の瞬間、大樹の前に降り立ったのは、ひとりの若い男であった。その顔には見覚えがある。樹皮を思わせる木膚、緑褐色のやさしげな眸。最後に聞いた泣き声――。

「星和……!」

「千年ぶりだな、かさねさま。いや、あなたにとっては数日ぶりなのかもしれないが……、俺にはそれなりに長い日々だった」

 歩み寄ろうとする星和を樹木の化生たちが腕を差し出して支える。見れば、以前と変わりないように思えた星和の身体は痩せ細り、腕や足は添え木がなされていた。

「座っていいか。もう前のようには歩けない」

「ああ。しかし星和、もしやそなたが――」

「樹木老神とそう呼ばれている。千年前、すでに老いた祖から俺が役目を引き継いだんだ」

 うなずき、星和は草で編んだ敷布の上に腰を下ろす。かさねと、イチや小鳥も対面に座した。木の化生の少年が甘い香のする茶を運んでくる。それを取って勧める星和の手も在り日より痩せていた。

「今では目を覚ましている時間すら、月に数度といった具合でな。募る話もあろうが、本題に入ろう。天帝の花嫁たる乙女のさだめについて、知りに来たんだろう」

 星和の目がかさねを捉える。そのやさしさの奥にあるかなしみに気付いたとき、かさねはおおかたのことを悟った。ずっと胸に渦巻いていた凝りが身体を芯から冷やしていく。

「実際に見てきたあなたがたにはおわかりだと思う。それで、相違ない。天帝の花嫁は大地への供物。みたび莵道をひらいたとき、あなたは異界のものとなり、この大地に落ちるさだめにある」

 そっと息を吐き出し、星和はかさねの手を取り上げた。

「黄泉を総べる女神――次の大地女神として」

 諦めないで、とひよりは言った。

 千年後の『わたし』よ。どうか、諦めないで。

 ――それがたとえ、小さなあなたを押し潰しかねないさだめでも。

 目を伏せて、すべてを噛み締めるようにかさねは大きく息を吐き出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ