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白兎と金烏  作者:
一幕 六海龍神編
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四章、婚礼と贄と(2)

 龍神のお告げがあった日から三日後。贄を供する新月の夜はやってきた。

「花嫁衣装はこちらで用意をさせていただいた」

 上善に案内された一室では、げに見事な白の打掛が衣桁にかかっていた。六海の地らしく白糸で波紋の縫い取りがなされ、龍の姿が描かれている。

「おお……さすが美しいな」

「衣装から足袋に至るまで、すべては龍神に供するものになるゆえ」

 重々しくうなずく上善の隣に並び、かさねは打掛を見上げる。衣装だけでなく、髪に挿す鼈甲簪や守り刀などの装飾品も揃えられていた。それに、貝紅や白粉などの化粧道具。故郷の亜子のことを思い出して、かさねは目を細めた。

「上善どの。ひとつ気にかかっていたことがあるのだが、よいか」

「なんなりと」

「紗弓どのを連れてきたというそなたの奥方はどこにおる? まだお見かけしたことがないが……」

「俺の妻は……紗雪サユは……」

 そこで一度言い澱み、上善は目を伏せた。悪いことを聞いてしまっただろうかとかさねは手を振る。

「いや、よい。言いにくいことであれば、今話さずとも」

「紗雪は十八年前の贄だ。記録に残る最後の」

「なんだと?」

「あのときも、今と同じように龍神から贄の指名があった。それが我が妻、紗雪よ。大岩の祠に供されて失踪した。その一年後のことだ。赤子の紗弓を抱いて、紗雪が俺の前に現れた。紗弓を我が娘として育てるようにとだけ頼んで、またいずこかへ消えてしまったが……。以来、紗雪は見ていない」

「左様であったか」

 最初、上善の話では、十八年前の贄――紗雪が逃げ出したことで、龍神が怒り、六海の海が荒れるようになったということだった。だが。

(真相はちがうのやもしれぬ)

 むう、と顎に手をあてて、かさねは沈思する。

「かさねどの。そろそろ……」

「ああ。そうであった」

 軒先から外を見上げると、もうすっかり夜も更けている。上善が席を外し、代わりに入ってきた下女に手伝われながら白打掛に腕を通した。結い上げた髪に鼈甲簪を挿し、唇には紅を刷く。姿見に映った己を見やって、ふうむ、とかさねは満足げにうなずいた。

「輿を呼んでまいりますので、しばらくお待ちを」

「うむ」

 下女も出ていくと、ひとり残された座敷は静まり返った。とくとくと心臓が早鐘を打っている。やはりというのか、相応の緊張はしているらしい。かさねは息を吐き出して、「そなたは相変わらずご機嫌斜めよのう」と庭に生えた樹からぶらりと下がった足を見上げた。かさねが準備をする間も、イチは庭の樹に寝そべっていたようだ。

「どうじゃ?」

 ちらりと一瞥だけを寄越した男に、白い打掛を広げてみせる。

「なんとびっくり、二度目ましての花嫁衣裳よ。三度目はひとに嫁ぎたいのう……」

「縁起が悪いことを言うな」

「ふふ。かさねはかわゆい? さらいたくなってしまう? どうだ、元盗人め」

「ああ」

 はて、と意味をはかりかねて瞬きをすると、二本の腕が差し伸べられ、かさねをひょいと高欄から抱き上げた。樹上の男の膝の上に下ろされる。青葉闇のせいで、イチの表情は見えない。背を支える手のあたたかさだけが唯一、イチのものだとわかった。

「いい加減面倒くさくなってきて」

「はあ?」

「あんたをさらって、紗弓もさらって、おしまいにしたい。六海なんて知ったことか。六海の連中が勝手にやってればいい」

「……イチ。そなたな」

「けど、それはあんたが嫌らしいから」

 イチはふてくされたように息を吐いた。

「俺もあんたが嫌だということはあんまり、やりたくない気もするから、我慢することにする」

「イチ」

 イチらしくないといえばイチらしくない台詞は、けれど不思議とこの男らしくも思えてかさねは微笑んだ。暗闇でほんによかったと思った。なんだか泣き出しそうになってしまったのを気付かれては困る。


 真夜中。輿に乗せられたかさねは、龍神の祠がある大岩の前まで運ばれた。厚い雲の向こうに時折、稲妻が走る。今にもまた雨が降り出しそうだった。輿から降り立ったかさねは、儀式を取り仕切る巫女に手を引かれ、浜に立つ。おのこ禁制の場所のため、イチは少し離れた松の樹上から眺めているという。しずめのための口琴はイチの首にかかっているため、何かあれば手助けをしてくれるはずだ。

「こちらになります。祠へは花嫁がおひとりで入ることになっています」

「わかった」

 砂浜には篝火がいくつか焚かれているため、ほのかに明るい。巫女が数人いたが、紗弓の姿はなかった。そういえば、六海屋敷から送り出してくれた面々の中にも紗弓はいなかったように思う。

(いったいどこへ行ったのか)

 龍神に思い入れがあるらしい紗弓なら、嫌味のひとつでも言いそうな気がしたのだが。不思議に思ったものの、それ以上考えることはやめて、かさねは引き潮であらわれた大岩までの道を見つめた。この様子なら祠まで歩いていけそうだ。

「では、あとのこと頼んだぞ」

 いちばん年嵩の巫女に言って、かさねは打掛の裾を持ち上げた。淡い月の光に照らされた砂嘴を歩く。上善が手配したのか、この間の地揺れのとき祠を塞いだ石は取り払われていた。低い天井をくぐって、波が反射する洞窟を見渡す。干潮のおかげで、中もだいぶ水が引いて中央の祭壇が前よりもはっきり見えた。

「龍神よ、失礼するぞ」

 断りを入れて、こちらも据え直されたらしい水盤の前に立つ。水鏡に映った己を見つめ、かさねは目を伏せた。

「莵道かさねじゃ。そなたと話がしたくて参った。かさねの前に現れてはくれんかのう」

 たん。たたん。

 洞窟の天井を伝った水滴がさざ波ひとつなく満たされていた水盤に落ちる。水面が微かにかゆらぎ、見知らぬ女の顔が映された。

(……どこ、……)

「そなたは誰なのだ?」

(ど、こ、わたしの、むすめ、ど、こ)

「紗雪どの……か?」

 たたん。

 微かな足音が背後で聞こえて、かさねは水盤から顔を上げた。目を離した隙に水盤に映っていた情景はうたかたのごとく消え去ってしまう。代わりに洞窟の入口に立っていたのは紗雪と面差しの似た少女――紗弓だった。

「紗弓どの。何故、ここに?」

 はじめて出会ったときのように、紗弓は裸で、なまめかしい肢体にぬばたまの黒髪がまとわりついている。いましがた水から上がったばかりのように、紗弓が歩くたび髪から雫が滴った。

「この洞窟は、海と繋がっているの。こんなあらぶる海、もう誰も泳ごうとは思わないでしょうけど。私はひとより長く息も続くから自由に出入りができる」

 紗弓が示した先には、ゆらめく水面が見えた。深くもぐれば、外海に繋がっているのかもしれない。けれど、かさねが今聞きたいのは、そういったことではなかった。

「そなたもわかっておろう。今晩は龍神が大岩に降り立つ新月の日じゃ。そなたまでここにいては――」

「危ない? よそもののくせに知った風な口を利くのね」

 肩をすくめ、紗弓は胸にかかった黒髪を払った。あらわになった龍神のことほぎのしるしが七色に光る。

「危なくなんかないわ。私はあの方の贄にはなれない。私がどんなに望んでも、決して」

「前にも言っておったな。それはどういう……」

「それはね、私が龍神の娘だからよ」

 ふ、と唇を歪めてわらい、紗弓は水盤のふちに腰掛けた。

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