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白兎と金烏  作者:
序幕 天都探索編
28/164

七章、つづらかさねのかさね道(4)

「あやつは天都一のあほうじゃ……!」

 半ば小鳥に引きずられるようにして地下牢から出たかさねは、くらがりに向かってなじるように呟いた。はずみにぽろぽろとこぼれた涙を乱雑に拭い、「あほうものじゃ!」と繰り返す。

「かさねさま」

 小鳥少年がかさねに声をかける。かさねよりも幼い面にはけれど、妙に達観した色合いが宿っていた。

「イチの心が変わることはないでしょう。もはや私たちにできることはありません」

 そんな、と言葉をなくしたかさねを客殿に送り届け、小鳥は言った。

「じきに莵道から迎えがやってきます。道中の安全をお祈りしています」

 力なくたたずむかさねの前で扉が閉ざされる。

(かさねにできることはもう何もないのか)

 じわじわと這いのぼる冷気に心臓をわしづかまれた気がして、かさねは目を伏せる。

(もう何も)

 どれほどそうしていただろう。

 いつの間にか夜が更け、明けたらしい。窓から射し込む白々とした光に目をこすり、外の気配がいつもとはちがうことにかさねは気付いた。鳥采女たちがぱたぱたと行きかい、せわしない。透かし細工のなされた窓から外をのぞくと、天門の前に並ぶひとならざるものたちの姿が見えた。これが噂の地神たちの天帝へのおとないなのだろうか。

「むう?」

 その中に見知った顔を見つけ、かさねは眉根を寄せた。あたりを見回して部屋から忍び出ると、客殿の周りにめぐらされた透垣からもう一度確かめる。やはり、そうだ。かさねは透垣から身を乗り出し、糊の張った衿首をつかんだ。ふぎゃっと甲高い声が上がる。

「そなた、新月山の狐ではないか!」

「あなたは、逃げ出した私の花嫁!」

 狐はかぶりを振って暴れるが、衿首をつかまれているため、身動きが取れない。しまいには抵抗をやめて、わずらわしげに顔をそらした。

「ふん。ここが天門の前でなければ、あなたなど一口で食うてやったものを」

「あいにくと、かさねはそなたに食われる気はないぞ」

 衿首をむんずとつかんで離さず、かさねは狐を透垣のほうへ引きずり込んだ。

「狐よ、そなたが何故天都におる?」

「おやまあ、かさね嬢は何もご存じないらしい」

 狐は黄色の目を細め、しししと歯を見せてわらった。直衣に差した扇を開いて、口に当てる。

「今日は天帝への年に一度の地神たちのおとないの日。天の一族の長もまた天帝へ一年のあらましを報告する。その前に、こたびの天都での騒動を裁くというから、これは面白かろうと先に馳せ参じた次第よ。私から贄をかすめ取った人間め、いったいどのような裁きが下るのかのう」

「つまり、今日イチの詮議があるというのか……!」

「しかり。しかし、あなたは本当にうまそうなにおいがする。今からでも遅くない。尻からかじってやろうか。代わりにあなたの願い、何でも叶えて差し上げる」

 舌なめずりをして、狐がかさねの手に鼻をこすりつける。膚がぞわりとあわだち、かさねはあとずさった。

「……新月山の狐よ」

「何か?」

「そなたは、食べたぶんだけ、ひとに力を貸す。そうであったな?」

「まあ、あながちまちがいではないが」

「わかった」

 かさねは狐の衿首を引っ張り、透垣に押さえつけると、その両頬をつかんだ。爪先立ちをして唇を重ねる。狐が驚いた風に身をよじるが、肩をつかんで離さず、その口にさらに噛みついた。つ、と切った口端から血が流れる。ようやく唇を離すと、かさねは血を拭って大きく息を吐きだし、「どうじゃ」と胸を張った。

「かさねの口付けをやったぞ。狐よ。さあ、今喰うたぶんだけ、かさねの願いを叶えよ」


 *


「小鳥さま」

 昼から始まる詮議を前に、小鳥は先日大地将軍が傷つけた結界の具合をはかるべく、玉殿の外にいた。じじさまの力もあって、門前で大地将軍の進軍は阻んだものの、太刀の瘴気は周辺の結界を傷つけ、綻びを生じさせていた。清浄を第一にする天都においてこれは一大事である。すぐに腕利きのアルキ巫女が呼び寄せられ、結界の修復にあたった。

「いかがですか、結界の具合は?」

「ご安心召されませ。あと少しで、完全に修復ができそうです」

 アルキ巫女の返答に顎を引き、小鳥は呪の彫られた柱に手を触れさせる。否や、弾かれたように手をのいた。見れば、小鳥の手のひらは赤く爛れ落ちている。

「どうされました、小鳥さま」

「なにか……」

 眉をひそめて、小鳥はちょうど手を触れさせたあたりの柱を注視する。すぐにそれとは気付かない、細い裂け目が柱に生じていた。そして、何かが入り込んだ痕跡を意味する暗い瘴気。

「まずい」

 呟いた小鳥はひらりと翼を翻し、アルキ巫女に命じた。

「なにものかが綻びから人知れず天都に入り込んだかもしれない。僕はじじさまのところへ参ります」

 裂け目の入った柱の下には、おびただしい量の山犬の毛が落ちていた。


 *


 玉殿の前に二色の幟がたなびく。

 正面には天の一族の長、その隣に后や皇子たち、孔雀姫が並び、饗応のためにしつらえられた桟敷にやおろずの地神が座る。

「はじめに天の一族が眠れる天帝に挨拶し、評定を始める前の饗応をする」

 隣に座る狐がひっそりと開いた扇越しに教えてくれる。かさねは今、狐の化かしの術で、女狐に化けて地神に交じり、来賓席にいる。かさねはひとの子ゆえ、衣にはきつく乳香を焚き染め、髪をひっつめ、面に白布を垂らしていた。

『この白布が『封』です。決して、めくってはなりませんよ』

 かさねに「化かしの術」をほどこした狐はそのように教えてくれた。白布をめくれば、かさねの姿がつまびらかになり、術も解けてしまうのだという。

「きょうおう?」

「天都のものたちの歌や舞で神々を楽しませるのですよ。そして、評定の開始を告げる」

「ふうむ、さすが詳しいな、狐」

 感心して呟くと、狐は何故か急に頬を赤らめ、恥じらいを帯びた様子で顔を前脚で洗った。口付けを交わして以来、かさねが口を開くだけでこのようなさまなのだが、どういったことだろう。

「ああ、始まった」

 狐が顔を洗っていた前脚の間から、妙に人間くさい仕草で鼻面を上げる。巫女が鈴で場を清めたのち、天の一族の長が天帝と地神へ向けて感謝をあらわす。そのあと背に蒼い羽飾りをつけた鳥の一族の舞。そして、地神たちすら魅了する花神のふたり舞。饗応のしまいに拍子木が鳴らされ、今年の評定の始まりを告げた。

「……イチ」

 老に引きずられたイチが天の一族の前で跪く。明るい日の下で見るイチは前よりもずっとみすぼらしく薄汚れて痛々しかった。むき出しの痩せた背中には印が赤く刻まれている。天都の者たちが顔を寄せ合って囁いた。陰の者だ……けがらわしい……。

「イチ」

 御簾の向こうから鈴の音にも似た玲瓏たる声が降った。天の一族の長だ。

「壱烏のイチだな。七年前に壱烏とともに天都を去った」

「はい」

 すいと顔を上げたイチにざわめきが深まる。金目は天帝が与えることほぎゆえな、と狐がかさねにだけ聞こえるように囁いた。「ふつうの陰の者は持たない」

「こたびの天都侵入について、仔細を聞きたい。おまえは天都を追放された身。壱烏ともども、帰ることはゆるされていない。天都の禁を破ることは死に値するが、これ如何に?」

「その前に孔雀姫に申し上げたいことがある」

 イチの手が首にかかった口琴を引き寄せる。不穏な動きを見てとるや、向かいの殿で弓を構えた兵が弦を引き絞るのが見えた。

「ならぬ!」

 かさねは来賓席をよじのぼって、イチの前に飛び出す。白布を取り去り、驚く地神たち、長、孔雀姫を見据えて、イチの前に立ち、両手を広げた。

「ころしてはならぬ!」

 突如飛び出したひとの娘に、地神たちが何事だとざわめく。狐がそ知らぬそぶりで顔を前脚で洗うのが見えた。

「何ゆえ、あなたがここに?」

 孔雀姫が尋ねた。鳥の一族が瞬く間にイチとかさねを囲み、手にした小刀を構える。長が顎を引けば、すぐにでも襲いかかれる距離だ。

「仔細はよいであろ。イチを通せ。イチはそなたらを害しはしない」

「そのものは壱烏の『陰の者』です。何をしでかすかわからない」

「ええい、くさくさと、じゃかましい!」

 かさねは啖呵を切ると、織の里で蚕神からもらった衣をイチの肩にふわりとかけた。蚕神の衣には、まもりの力がこめられている。鳥の一族が眉をひそめて、切っ先を少し下げた。

「イチ」

 かさねはイチの金のまなこを見据えた。その金色に一瞬、戸惑いと懊悩がよぎり、消える。あとに残ったのは、刃のように鋭く強靭なもの。だいじょうぶだと、かさねは思った。これが「イチ」だった。強情で、容赦がなく、ひとに決して自分を譲り渡さぬ。そして壱烏を――何よりも深く愛している。かさねは微笑んだ。

「行けい、イチ! そなたの行く道はこの莵道かさねが見届ける!」

 そして、その背を強く押す。

 イチはきざはしをのぼった。鳥の一族が小刀を構えたまま長をうかがうが、長は御座から静かな眼差しでイチを見つめている。

「長、ならびに孔雀姫」

 やがて最上段までたどり着いたとき、イチはその場に額づいた。

「元皇子・壱烏は死んだ」

 貴人がたの目にはっと驚きが浮かぶ。

「二年前、北の鹿骨で。俺が看取った。ただの流行病だった。壱烏は俺に――」

 首にかかっていた口琴を外して、イチはそれを孔雀姫に差し出した。

「これを姫にお返しするようにと。あなたの道ゆきに幸多いことを天上から見守っていると。それを伝えに俺はここへ来た。俺は壱烏のイチだから、壱烏の代わりをするのが『イチ』だから」

「……壱烏が」

 呟いた孔雀姫の手のひらに、イチがそっと口琴を乗せる。こわごわ、常緑の彩色がほどこされた表面を指で撫で、姫はそれを固く握り締めた。切れ長の眸がゆらめき、すっと一筋涙が落ちる。

「壱烏が、わたしにのう……」

 鳥の一族がうなずき合い、弓を下ろす。そのときだった。清浄に保たれていた玉殿の空気が歪み、何がしかが入り込む。最初に降り立ったのは、二本の前脚。暗い炎を宿した前脚が着地すると、そこから見る間に火が燃え広がった。

「『魔』だ! 『魔』が入り込んだ……!」

「孔雀姫!」

 ひらりと舞い降りた白い鳥が少年に姿を変える。二本の前脚を見やり、「遅かった」と小鳥少年は忌々しげに舌打ちした。地神がどよめき、鳥の一族たちがさっと姿を変えて、天の一族を守るように立ちはだかる。しかし、暗い炎を帯びた前脚は長ではなく、その前に立っていたイチのほうへ一直線に駆けていく。

(ゆるさぬ)

 地の底から這い上がるような声が耳朶を震わせた。

(ゆるさぬ。いちう。ゆるさぬ……!)

「イチ!」

 とっさに魔のものとイチの間に割って入り、かさねはがむしゃらにイチに飛びついた。

(えええええい、食うてみよ! かさねを食うてみよ!)

 ぎゅっと目を瞑り込むと、予期した衝撃の代わりにぐいと蚕神の衣を抱いた袖に頭を引き寄せられた。その腕の力強さに、身体が強張る。

「ごめん」

 短い言葉が耳元でした。

「……ありがと」

(イチは馬鹿なのじゃ)

 死んだ男のためにこんなにぼろぼろになって天都へたどりついて。それで何の悔いもないような顔をしている。知っていた。わかっていた。目的を果たしたイチはもうどこに帰る気もないのだということ。だけど。

(かさねは、こんな終わり方はみとめぬ!)

「イチ!」

 そのとき、高らかな笛の音が青天を貫いた。

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