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白兎と金烏  作者:
序幕 天都探索編
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七章、つづらかさねのかさね道(2)

「書庫は玉殿の地下にあるんです」

 蜜蝋を片手に、小鳥少年はかさねを階下へと案内する。階段はひとひとりが通れる程度の幅で、かなり古くなっているのか、降りるたびに足元の床板がきしきしと鳴った。

「しかし、よいのか? かさねなどを招き入れてしまって」

「あなたは莵道を開いたお方。つまり、天帝が天都への立ち入りを許したということです。本来ならば、天門の外の客殿にお泊りいただくことも失礼にあたるのですが。こればかりは反対する者もおりまして」

「それはそうであろう。かさねも天帝といわれても、ようわからんうちに道がひらいておったし……」

 手首に残った鱗痣をさすり、かさねは嘆息した。あれ以来、再び莵道はひらけなくなった。天帝の言う「通行料」がどのように支払われたのかは未だにわからぬままだ。

「そなたも、イチと同じ……『陰の者』とやらなのか?」

「いいえ。僕らは天の一族にお仕えする鳥の一族ですね。僕は天都で生まれ育ったので、地上のことは知らない」

「地に降りたいと思ったことはある?」

「どうでしょう。孔雀姫に貰い手が現れて、することがなくなったら、空の旅をしてみるのも楽しいかもしれませんね」

 微笑んで、「つきましたよ」と小鳥少年は蜜蝋の炎を天井から下がった照明具に移した。部屋全体がうっすら明るくなり、全体が見渡せるようになると、かさねは感嘆の声を上げた。

「なんと広い……」

 セワ塚にあった地下書庫とは比べものにならない。果てが見えないほど広い部屋には、かさねの背よりもずっと高い書架が整然と並んでいた。おずおずと近くの書架に触れてみる。しっとりした年月を感じさせる木の感触がかえり、かさねはため息をつきたくなった。

「いらしたか?」

 奥から澄んだ女性の声がして、気付いた小鳥少年が軽く目礼した。

「孔雀姫。先にいらしてましたか」

「孔雀姫……そなたが?」

「いかにも。菟道の小さなお姫さま」

 蜜蝋を持って現れたのは、二十代の半ばほどの女性に見えた。切れ長の眸と、きりりとした意志の強そうな眉が印象的で、薄青、青、群青と重ねた衣を擦って歩く姿には落ち着いた気品がある。

(つまりこの女人が『本物』の壱烏の元許嫁の姫……)

「しかし、思ったよりも小さな姫君で驚いた。ほんにその足で菟道から天都まで旅してきたのか?」

「途中何度も足の皮が剥けてひどい目にあったがな」

 かさねがすっかり固くなってしまった足を振って言うと、孔雀姫は豪快に笑った。天の一族というのはもっと堅苦しいものだと思っていたのだが、気さくなたちの女人らしい。よくよく考えれば、かさねが軽々しく口を利いてよい姫君ではないはずだ。

「こちらの事情で長く引き留めてしまい、申し訳なかった。かさねどのも退屈しているのではないかと思ってこちらへ呼んだ。お気に召されたかな?」

「とても! 書棚が先の先まで並んでおって、驚いた!」

 熱をこめてうなずくと、孔雀姫は愉快そうに目を細めた。

「ならば、お好きに見て回られるとよい」

「姫」

「よいではないか。『神語』はどうせ我らでなければ解せぬ。それに、かさねどのはかつて天帝に輿入れした姫のすえなのだから、地図を少し見るくらいかまわん」

 そろりと足を踏み出して、目の前の書架のちょうど真ん中にあった書簡を引いてみる。触れただけで破けてしまわないかと緊張したが、案外強靭で、開くとまだ彩色も微かに残っていた。中を一瞥して、おお、と呟く。

「これは織の里の絵図ではあるまいか」

「おそらく治水だろう」

 心得た様子で、孔雀姫が顎を引いた。

「織の里の川は昔は氾濫を繰り返して、ひとや家を何度も流したと聞いた。川の竜神の許しを得て、流れを少し変えたらしい」

「なるほど」

「昔、何故天の一族は代々この書庫を守り、受け継いできたのかと考えたことがある。残念ながら長い時間を経て、地上の人間たちと私たちの心は隔たってしまった。大地将軍の言うように、天帝が深い眠りにつかれている今、天都は役割を終えて、ひとの手に地上の一切を任せるべきなのやもしれぬ」

 孔雀姫の視線を追って、かさねは果てなく並べられた書架を見渡した。

「だが、この場所を前にして少し考えが変わった。これはかつての『綴り』の記録。綴る、というのは綻びたものを繕い、繋ぎ合わせるという意味だ。つまり、おさめられたぶんだけ、繕い、繋げた縁があったということなのだと」

「えにしの」

「神とひとの。そして私たちのな」

 つづかさねの かさみち

 つづれて つづれて かさみち

 さあ花持はなもて かさ

 花嫁御前はなよめごぜん案内あないせよ

 つづれて つづれて かさみち

(天都へたどりつきたい、とイチは言った)

 不意に塞がっていた視界が開けるような感覚があって、かさねは顔を上げる。

(かさねはまだ「イチ」の旅を見届けてはおらぬ)

 出自も、名前も、語った過去も、何もかも。

 イチが言っていたことは嘘だった。

 けれど、ほんとうに?

 ほんとうに、あの旅のどこにも「イチ」はいなかったのだろうか。かさねに見せた数多の表情、重ねた言葉の向こう側。「イチ」はどこかにきっといた。

「まだ間に合うだろうか」

「かさねどの?」

「――孔雀姫よ」

 腹を据えると、かさねは改めて孔雀姫に向き直った。

「教えてほしい。壱烏と『陰の者』たちのことを。何故壱烏が天都を追放されたのか。かさねは『イチ』のことを知りたいのじゃ」

 意外そうに瞬きをした孔雀姫が不意に切れ長の眸を和らげる。その表情を見たとき、何故かかさねは、孔雀姫はかさねのこの言葉をずっと待っていたのだと気付いた。

「ああ。代わりに、かさね殿。わたしからもひとつ頼みがある」

「なんじゃ?」

「詮議はまもなく終わる。その前にイチを――」

 続けられた言葉にかさねは瞠目した。

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