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白兎と金烏  作者:
序幕 天都探索編
22/164

六章、天都登山(2)

「見えてきたのう!」

 道の向こうに現れた日向三山の山影に、かさねは声を上げた。

 予定どおり、翌々日の昼過ぎには三山の入口付近へたどりついた。日向三山は普段は山の中腹にある日向神社に詣でる参拝者が少しいるくらいで、それも山岳の修業を積んでいる者に限られているため、ひとはまばらだ。入口は、一ノ口、二ノ口、三ノ口があるが、書庫の地図に記されていたのは二ノ口と三ノ口の間にある、烏足口という入口だった。

「烏足口には、烏足の石が目印に置いてあると書いてあったな」

「そして、烏足口から先が莵道になる。すぐに見つかるとよいのだが……」

 二ノ口の鳥居をくぐると、かさねはあたりを見回す。山肌にはセワの樹が群生し、すぐには入口らしいものも見当たらない。セワ塚の書庫におさめられていた地図はまことだったのだろうかと一抹の不安がよぎるが、

「かさね」

 先を歩くイチに呼ばれて、かさねは息をのんだ。伸び放題の夏草の間からのぞくのは、苔がびっしり生えてくずれかけた神像だ。一部は壊れてしまっているが、台座の周辺にはもとの名残がある。欠けた神像に転がっていた破片をあてたかさねは「イチ!」と思わず声を上げた。

「このかたち、烏の足じゃ!」

「さっそく当たったな」

 イチはうなずき、神像の足が指した方角へさらに草をかき分けて進む。視界を覆う蔓を払うと、あらわになった山肌に小さな木戸が取り付けられているのを見つけた。かさねとイチは視線を交わし合う。

「開けるぞ?」

「ああ」

 腐食が進んでほとんど扉の役割を果たしてないそれに手を触れさせる。何も起こらなかったらどうしようという気持ちと、いったい何が起こるんだろうという不安とで、胸が千々に乱れそうになる。かさねは息を吸って深く吐いた。

(これが正しい道ならば、必ず開くはず)

 木戸は一瞬だけ鋭く軋んだが、存外たやすく開いた。ふわりと内側から、涼しい風が吹き抜ける。

「うじ……」

 扉を押し開けた先に、山をくりぬき、石で舗装された道が続いていた。天井は木と石を使って崩れないよう補強されている。試しに石をぶつけてみたが、びくともしなかった。

「ほんとうに、続いておったのじゃ」

「……いや」

 あたりを見渡したイチが金のまなこを眇める。

「これは――」

『久方ぶりの客人だね?』

 突如前方からかかった声に、かさねはひっと悲鳴を上げた。気配に聡いイチすらも気付かなかったらしい。決して広くはない道に、猿の面をつけた童子が立っていた。手には大仰な杖を持っている。

『しかも人間の客だなんて。そのまなこ、天の一族だね、おにいさん。いや、それにしては少し……。まあ、どちらだっていいさ。あない者のあたしにはひとの世界のあれこれは異なる領分だから』

「あんたは何だ?」

『だから、あない者さあ。天都にのぼる者たちの選別をする。番人と思ってくれてもいい』

 童子は肩をすくめると、杖をイチのほうへかざした。

『天都をめざしてるのは、兄さん。あんただね? まずはあんたの――』

 ひゅん、と微かな弦音が聞こえたのはそのときだった。猿面の真ん中を矢が射抜く。みるみる罅割れた猿面が砕け散るのと同時に、童子の身体も消え去った。

「おい、あない者? なにが……」

「かさね!」

 鋭い制止の声とともに、イチの手がかさねをつかんで引き倒す。思いきり地面に顔をぶつけてかさねは呻いた。上からイチが覆いかぶさっているのか、身体を動かせない。弓音はしばらく続き、飛んできた矢の鏃が石にぶつかっていくつも跳ね返る。しかし、イチとかさねを狙ったものではなかったらしく、攻撃はほどなくやんだ。

「まずい」

 先に身を起こしたイチが何かに気付いた様子で、開け放されていた木戸をつかむ。ひゅん、と鋭い音を鳴らして放たれた矢がそれをはばんだ。

「イチ!」

 とっさにかわしたイチの肩を矢がかすめる。そのわずかな隙に、岩陰から現れた甲冑姿の男が扉に向かって太刀を振りかぶった。あっけなく木戸は四方に砕け散る。

「大地……将軍」

 太刀を肩に担ぐ緋の狩衣の男を仰いで、かさねは呻いた。

「感謝するぞ、壱烏どの。かさねどの。そなたらのおかげで天都へ続く扉を開くことができたのだからな」

「俺たちをつけていたのか」

「言ってなかったか? わたしは案外、未練がましい男なんだ」

 太刀を鞘におさめ、大地将軍は壊れた木戸をまたいだ。

「天都とのこぜりあいにも飽きてしまってな。どうやらわたしが囲っていたのは偽の皇子であるようだし、そろそろ力づくで天都をいただこうと思ったまでさ」

「ひとの身で天都をどうこうしようなんて思うもんじゃない」

「ほう。忠言痛み入るよ。追放された皇子どの?」

 鏃がかすめたらしいイチの肩は赤く染まっている。心配になったかさねが駈け寄ろうとすれば、後ろから別の手が伸びて首根っこをつかまれた。爪先がふわりと地面から浮く。

「何をする!?」

 襟首をつかむ大地将軍を睨んで、かさねは手足をばたつかせた。

「『仔うさぎさん』は気骨があって、よろしくない。わたしの邪魔はせんよう、そなたらには少し外していてもらうぞ」

「なっ」

 大地将軍がはめ込まれた石のうちのひとつを蹴り外すと、大きな穴が現れた。立ちのぼる瘴気にかさねは眉根を寄せる。

(道の『向こう側』……!)

 大地将軍はかさねを異界に落とす気だ。

「つぎはぎだらけの古い道ゆえ、ところどころ守りが破れて、あちら側へ繋がっている穴がある。なあに、運がよければ、どこか別の道に出ることもできるさ。それとも、わたしの味方をするか? 『仔うさぎさん』?」

「そなたのような野蛮人は、まっぴらごめんじゃ!」

「ふん。振られたか」

 おかしそうに笑うと、大地将軍はかさねの衿首を離した。

「――っ!」

 空をかいた手を誰かがつかみ寄せる。ぶらん、と支えを失った身体が大きく揺れた。足がつかない。いったいこの下はどれほどの深さなのか。手首をつかんだ主をかさねはまばゆげに仰ぎ、顔を強張らせた。

「イ――」

 だが、その背に大地将軍の爪先がよぎり、次の瞬間イチの身体ごとかさねは道の「向こう」へ突き落とされた。

「ふぉおおおおおおおお!?」

 落ちていく。落ちていく。どこまでも底なし沼に沈むように落ちていく。地に叩きつけられる代わりに浴びた水の冷たさに、かさねは声を上げた。おそるおそる目を開くと、以前道を外れたときとはちがって、蛇や蛆のたぐいはおらず、ただ腰丈ほどの水面が広がっている。

「い、いち? 大丈夫か」

 水面に沈みかけていた身体を引っ張ると、イチは薄く眸を開けた。落ちたときの衝撃はイチが引き受けてくれたのだろうか。力のない身体を引っ張って陸を探す。天井からは無数の鍾乳石が垂れ、見通しが悪い。かさねはイチの腰袋を探って、月苔石を取り出した。暗闇にほんのり明かりが灯る。

「あちらに陸がある」

 地面が盛り上がったところを見つけて、イチの腕を引っ張ると、微かな声が返った。水の流れが緩やかだったことが幸いした。流れを遡り、なんとか浅瀬にたどりつく。傾斜のついた石床は奥のほうが干上がっていた。やっと水から上がることができて、かさねは息をつく。

「イチ、平気か? 苦しゅうない?」

「……ああ」

 肩下を引き裂いた衣で結んだイチは岩に背をもたせて、「やられた」と呟いた。

「大地将軍は最初から、俺たちが道を開くのを待ってたんだ。追手がかからないのが妙だとは思っていたが、まさか天都へ直接乗り込む気だったとはな」

「あやつ、何をする気であろう」

「宣言どおり、天帝を脅しに行くんだろ。あいつは地神を斬りすぎたせいで瘴気まみれだ。穢れを厭う天都の連中は大騒ぎになるかもな」

 イチは自嘲気味に咽喉を鳴らした。その横顔がおもいのほか蒼褪めていて、不安がせり上がってくる。かさねは月苔石を抱き締め、イチの隣にかがんだ。見れば、イチの額にはうっすらと玉粒の汗が滲んでいた。

「のう、そなた……ほんに平気なのか」

「平気じゃないなら、あんた、俺を負ぶってくれるのか」

「負ぶうとも。当たり前ではないか」

 声が震えそうになるのをこらえてうなずくと、イチはどうしてかやわい苦笑を漏らした。鍾乳石が垂れた薄闇を見渡して、別のことを言う。

「最後の最後で、また道を外れたか。とんでもない旅になったな」

「狐の前で崖から飛び降りた奴が何を言うか。とんでもなさにももう慣れたわ」

「そうか」

 どこか吹っ切れたような面持ちでうなずき、イチは月苔石をつかんだ。

「幸い、前とちがって魔のものはいない。戻る道を探すぞ」

「大地将軍を止めるのか?」

「止めるのが将軍で済むなら、ましなほうだ」

「それはどういう……」

「天都の禁忌に触れるのがどういうことか、あいつはわかってない」

 首を振ると、イチはひといきに立ち上がった。その姿に無性に不安を覚えながらも、かさねもあとを追う。

 

 *


「孔雀姫」

 侍従の少年の声で、孔雀姫は書見台から顔を上げた。いつもは飄然としたところのある少年だが、今日は走ってきたのか顔が赤い。

「どうした、侍従」

「先ほど報せが。何者かが烏足口から侵入した模様です。あない神が矢で射抜かれました」

「あない神が? 馬鹿な」

「数は数百にのぼると。よもや『壱烏様』が手引きをしたのでしょうか」

「――小鳥」

 鳥の一族の「遣い」が現れ、小鳥少年に何かを伝える。鳥の一族は、非常の際には天都の守りの役目を担っている。花頭窓から外をのぞくと、おびただしい数の鳥たちが空を行き交っているのが見えた。

「孔雀姫。私はひいじいさまとともに一度天門へ向かいます。御許しを」

「わかった」

 顎を引き、孔雀姫はかたわらに置かれたままの香炉へ目を落とした。『イチ』については、つい先ほど招魂香を使って、元アルキ巫女からひとつの情報を得ていた。彼女は北の鹿骨を主に渡る老巫女だった。

『背中を確認なさいませ』

 老巫女は言った。

『それでおそらく、あの者の正体は知れまする』

「背中……か」

「姫?」

 いぶかしげな顔をする侍従に、孔雀姫は衣擦れの音をさやかに立てて、向き直った。

「侍従よ。もし壱烏を見つけたら――」

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