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白兎と金烏  作者:
終幕 天帝花嫁編
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六章 姫の決断(3)

「ず、ずいぶんむごいことを言ってくれるではないか」


 何とか言い返し、かさねは燐圭と対峙する。

 炎を宿した両目には、少しの慈悲も見当たらない。

 斬るつもりだ、と理解する。脅しでも何でもない。燐圭は本当にかさねを切り刻んで、天帝を呼ぶつもりだ。

 天都にあるという「鏡」を求めるかさねに対し、燐圭はわざわざ兵を率いて天都へのぼる必要がない。かさねを餌に降りてきた天帝をこの場所で斬り捨てたほうがずっと手間をかけずに済む。

 この男は、本気だ。


(本気で、天帝を弑そうとしている)


 ぞっと悪寒を走らせ、かさねは口を引き結んだ。

 正面に燐圭、左右と背後にも屈強な兵たち。逃げ道はありそうにない。

 意図せずあとずさったかさねの肩を左右から男たちがつかむ。


「放っ――!」


 容赦のない力で腕を締めあげられ、かさねは呻いた。

 抵抗ひとつできないうちに、木製の檻に放り込まれる。猪や鹿を捕獲する際に使う罠用の檻に似ていた。無遠慮に投げ込まれたせいで、床に顔をぶつけたかさねは、ぎりりと奥歯を噛んだ。


「燐圭……っ!?」


 格子のあいだから手を伸ばしたはずみに、雷に打たれたような衝撃が走る。瞬く間に火ぶくれのようになった手を押さえてのたうっていると、「言ってなかったが」と檻のまえに立った燐圭がかさねを冷たく見下ろした。


「その檻の周囲には封じの符が貼ってある。そなたはもはやただの小娘ではない。大地女神の力を宿し始めた乙女ゆえな。むやみに傷つきたくなければ、おとなしくしていろ」

「この、鬼畜が……!」

「今の女神に選ばれたわたしと、次の女神たるそなた。仲良くやろうではないか」


 心にもないことを言って笑い、燐圭は陣幕の外に檻を運ぶよう兵たちに命じた。細長い木材が渡され、男たちがかさねの入った檻を肩に担いで持ち上げる。

 視界がぐんと高くなり、かさねは手近な格子につかまった。

 今度は符に攻撃されることはなかった。燐圭が言うように、檻の外には何枚もの封じ符が張りめぐらされているらしい。まるで珍獣の扱いじゃ、とかさねは頬をゆがめる。おそらく燐圭はこういった術を用いて、これまでも神々を討伐してきたにちがいない。


「イチ。無事か?」

「あぁ。手は?」

「少しびりびりっときただけじゃ。大丈夫」


 懐から抜け出した小鳥は、かさねの手のひらにそっと身を寄せた。

 外の冷気を含んだ羽毛はひんやりしている。赤くなった指先をあてると、痛みが和らいだ。


「俺なら、格子のあいだから抜けられるかもしれないが」

「やめておけ。仮に符を破ってくれても、この数の兵ではかさねは敵わぬ。女神の力を引き出せば、ともしたら可能かもしれないが……」

「あれはおまえの身を滅ぼす。……孔雀姫からの返事はないな」


 歯がゆそうにつぶやくイチを見つめ、かさねは目を伏せた。

 方法なら、まだひとつある。かさね自身が莵道をひらくことだ。

 だが、そのときかさねの身は完全に女神へと転じる。たとえイチを救えても、かさねがひとに戻ることはできなくなる……。


「莵道はひらくんじゃないぞ」


 かさねの胸中を読みとったようにイチが言った。


「まだ諦めるんじゃない」

「……うむ」


 自由に動くほうの手でもう片方の手を握り、かさねはうなずいた。



 燐圭が率いる兵はこの場所から移動することにしたようだ。

 陣幕が引き払われ、統制された動きで兵たちが隊列を組む。一度陣幕の外にとどめ置かれていたかさねを入れた檻も、数人の兵の手でぞんざいに持ち上げられた。左右に傾くせいで、檻の中をごろごろ転がりながら、「ええい、もちっとうまく運べというに!」とかさねは文句を垂れる。


「なんぞ、そなたの下手な輿担ぎを思い出すわ、イチ」

「そんなことあったか?」

「あった。狐神に嫁ぐときのそなたの輿担ぎときたら、ど下手くそで、かさねは輿の中をごろごろ転げまわるはめになったのだ」


 状況はまるでちがうが、また神の餌になるために運ばれているのかと思うと、なんともいえない気分になる。これが自分という人間の命運なのか。


「しかし、いったいどこへ行くつもりだろう」

「燐圭には、天帝に降りてきてほしい『場』があるのかもしれないな」

「それはどこじゃ?」

「わからない。が、少なくとも燐圭の側に利する場所だろう。あるいは燐圭に力を与える……大地女神のゆかりの地か」


 それきり、イチは何かを考え込むように口を閉ざした。

 一行は、こもの三山沿いの舗装された地道ちのみちをしばらくのぼっていたが、次第に道が狭まり、険しい冬山の中に踏み入っていく。

 刃のような凍気が膚を刺し、かさねはぶるりと震えた。

 灰まじりの雪片が舞い始める。はじめ、ちらほらと舞うだけだった雪は、徐々に視界をほの白く閉ざした。足元には深い雪が積もっているらしく、兵たちは雪をかきわけながら、のろのろと進んでいる。

 山犬の咆哮にも似た雪風が、地の果てから響いていた。灰色をした雪が吹きすさび、かさねの頬や髪、睫毛にも氷の欠片が張りつく。

 風よけとなる広い洞窟を見つけ、燐圭は一度そこで休むように兵たちに命じた。

 ほどなく松明が燃やされ、あたりがほのかに明るくなる。

 かさねが入った檻がおろされたのは、洞窟の入り口に近い壁際だった。逃げ出すことを警戒してか、見張りの兵が四方を固めている。すっかり冷たくなってしまった身体をなるべく松明のほうに近づけ、かじかんだ手を擦っていると、どこからか、空腹を刺激するかぐわしい香りが漂った。

「これは……!」とかさねは封じ符に触れない程度に格子に顔を近づける。

 焚かれた炎のまえで、兵たちが干し肉をあぶっているのが見えた。


「にく……! かさねには……!?」


 物欲しげな目で訴えると、「のんきな花嫁だな」と兵のひとりが小馬鹿にするように鼻を鳴らした。当然干し肉はもらえない。

 くそう、とかさねは生唾をのみこみ、腹をさすった。

 思えば、朝から何も食べていない。イチは大丈夫だろうか、と足元に目をやると、檻に入り込んだ甲殻虫をついばんでいた。……かさねにも、とはさすがに言えなかった。


「そなたって」

「なんだ」

「意外となんにでも順応するな……」

「大事なときに動けないほうがこまる。食うか? 殻なら砕いてやる」


 いやよい、と丁寧に辞退して、かさねは抱えた膝を引き寄せた。

 大事なときに、と言うからにはイチはまだ逃げる機会を狙っている。そのことに、萎えかけていた気持ちが励まされた。

 ――まだ、あきらめるには早い。

 なんとかふたりでここから逃げる方法を考えるのだ。



 夜になると、吹雪の勢いは増した。

 燃やされていた松明の数は減り、夜番を引き受けた兵たちが洞窟の外やかさねを見張っている。ほかは眠っているようで、寝息やいびきが夜闇にまじって聞こえてきた。ゴウゴウ、と咆哮する雪の音に、まどろみながら耳を澄ませていたかさねは、袖を引くイチの気配で目をひらいた。

 見れば、ちょうど対面に座した見張りが肩で船を漕いでいる。

 洞窟の外を見回っているのか、ほかの夜番の者たちもいなかった。

 かさねとイチは目配せをした。

 ――今ならいけるかもしれない。

 格子のあいだから外に出たイチが、封じの符を嘴で破ろうとする。だが、それを重い金属音が阻んだ。


「見張りを代わろう」


 そう言って、うたた寝をする兵に代わり、かさねの前に腰を下ろしたのは燐圭だった。洞窟の石壁を背に、かたわらに太刀を立てかけるようにして座った燐圭は、愉快がるようにかさねとイチを見た。


「続けてもよいぞ、イチ。だが、その檻から一歩でも外に出たとき、子うさぎさんの手足のうちどれか一本が欠けていると思え」

「……あんた自ら見張りをするのか」

「花嫁に逃げられてはこまる。そなたも子うさぎさんも、檻に入れられたくらいであきらめる性分でもなかろう」


 こちらの思惑を見透かすように言って、燐圭は肩をすくめた。

 入口近くで焚かれた松明のひかりが燐圭の右半身をうっすら照らす。甲冑に身を包んだ男は、かさねの目には、どこもかしこも瘴気がまとわりついているように見える。膝に置かれた手の甲に何気なく目を向けると、赤黒く爛れていた。

 かさねは細く息をのむ。これほどの瘴気を発する刀をかたわらに置く男が無事であるわけがなかった。女神の怨嗟と呪詛は、この男の身体をも侵し始めている。


(苦痛がないはずがない)


「のう、燐圭よ。道を引き返すことはできぬのか」


 静かにかさねは問いかけた。

 夜陰に沈む洞窟の中に、その声は澄んだ響きをもたらした。燐圭はかさねのほうを見て苦笑する。


「なんだ、命乞いか」

「そうではない。いや、それもあるが……。そなたが選んだ道は、かさねも天帝も、そなた自身をも道づれにする。よいのか、それで」

「――わたしが天帝をはじめとした神々を放逐しようと思ったのは、姉が贄として殺されたことがきっかけだった」


 おもむろに別のことを語り始めた燐圭に、かさねは瞬きをする。

 記憶をたどるように燐圭は洞窟の外へ目を向けた。ひかりが届かないその場所にあるのは、しかし真っ白い暗がりばかりだ。


「そのために女神と取引をした。……だが、そなたにも聞こえるだろう、天帝を呪う女神の声が。わたしの耳奥でも、あれは絶え間なく響いている。正直に言うと、天帝を弑したいのが女神なのか、わたしなのか、もはや判じがたいのだ。まあ、最初から天帝は弑すつもりだったから、単に共鳴したということなのかもしれんが。不都合もないしな」


 白く閉ざされた闇の向こう、大地の果てで雪嵐が咆哮する。

 氷まじりの風が、洞窟の中にも時折吹きつける。

 絶え間ない風音に重なるようにして、かさねの耳奥でもそれは響いていた。

 うらめしい、うらめしい、と天帝を呪う女神の声だ。


「だが、実は別の声も聞こえている」


 燐圭はかさねに目を戻した。瘴気にまみれた男の顔が、ふと雪明かりに浮かび上がる。何故か、そのときはじめて、かさねは燐圭の顔を見た、と思った。


「いとしい、いとしい、と天を呼ぶ女の声だ。なあ、かさねどの。わたしはときどき考えるんだ。地に落とした天帝を女神は恨んでいたのだろうか。本当は千年もの間、待ちわびていたのではないか、と」

「待ちわびていた、だと?」

「再びあいまみえるのを」


 嘘じゃ、とかさねは思った。

 ひよりは星和を愛していた。

 理不尽なさだめをそれでも受け入れ、地に落とされたひよりは。

 千年に及ぶ孤独の中で、自我を失い、天を呪詛するだけの塊と化した。

 証拠に、今も大地はあらぶり、女神が恩寵を与えた太刀は天帝を弑すべく瘴気の塊となっている。


「千年の呪詛を愛と呼ぶ者もいるだろう。そう思っただけだ」

「そなたらしくもない甘ったるいことを言うではないか」


 悪口を叩いたかさねに、燐圭はうすく笑う。


「まあとにかく、わたしは今このときを楽しんでいるし、引かぬということさ。はじめから言っているだろう。わたしを従わせたいなら、口ではなく力で示せと」


 それで話は終わったらしい。

 燐圭は太刀を引き寄せると、目を瞑った。無論、逃げ出そうとすれば、すぐにでも燐圭の太刀はかさねを斬るだろう。ふるえる手でイチを呼び、かさねは雛鳥を膝に抱え上げた。

 再び愛するものとまみえたいという気持ちは、かさねにもわかる。

 わかる、と思わせてしまった燐圭が憎らしかった。

 残忍で、無慈悲な女神。ひよりとは別ものの。

 そう思えていたら考えずにいられたことが、かさねの中にあふれて広がっていく。千年を黄泉で過ごした女神の孤独と涙が、胸を引き裂いていく。

 声もなく泣き出したかさねをイチは心配そうに見上げていた。

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