五章 ふたつにひとつ(2)
目を覚ますと、あたたかな褥のうえにかさねは寝かせられていた。
右半分が陰った視界に、低い天井が映る。おそるおそる左腕を持ち上げ、まだ自分の意志で動かせていることに、ひっそり息を逃した。
「イチ。……イチ、おるか」
まだ夢見心地のまま男の名を呼ぶと、眼前ににんまりと笑う男たちと童たち、そして色鮮やかな鸚鵡が飛び込んでくる。「あぁ、うさぎちゃん起きた?」とかさねを取り囲む男たちをかき分け、男童をおんぶした青年が顔を出した。
「そなた、フエ! 何ゆえここに!?」
「元気そうでなによりだよー。昨晩、外で倒れてたうさぎちゃんを拾ったのが俺。介抱したのがおかしら」
集まった面々の顔は、かさねにも見覚えがある。デイキ島に向かう前、碧水の湊でくるい芸座とは一度再会を果たしていた。だが、まさか地都に向かう途上で行き会うなんて。
「おかしらから聞いたよ。大地将軍の野営地をめざしてるんだって? ぐーぜん! 俺たちもなんだよ」
話しながら、フエは大鍋で煮込んだ雑炊を芸座の者たちが差し出す椀によそう。どうやら朝餉の時間のようだ。褥に半身を起こしたかさねにも、「どーぞ!」とフエは山菜やきのこがどっさり入った雑炊を渡してくれた。
「あっ、あとうさぎちゃんが連れてる雛坊にも」
イチはかさねの枕元で寝ていたようだ。フエが差し出した猪口に目を向けると、何も言わずにかさねの膝に飛び乗った。
「現状はだいたいハナに明かした。燐圭の野営地に舞の奉納をしに行く芸座にまぎれ込む。……身体は?」
イチの声は集まった面々には聞こえていないようだ。己の額に手をあててから、「問題なさそうじゃ」とかさねは小声で囁いた。身体の異変というのか、あの発作のようなものは断続的に訪れてはおさまるらしい。今は身体のけだるさや熱っぽさが少し残るくらいだ。
そうか、とイチは呟く。ほっとしたような声だった。
雑炊を口に運ぶ手を止めて、かさねはにんまりと笑う。
「イチはその姿だと、でれでーれしてくれるのう。かさねがそんなにすきか? 」
ほれほれ、と小鳥の首のあたりを指で擦りながら冷やかしてやる。
灰色の目をこちらに向け、イチは首を傾げた。
「あぁ。大切だよ」
「……………………」
小鳥をうりうりしたまま、かさねは固まる。
……今、ものすごく大事な言葉を聞いた気がするのだが。
あまりにもさらっと続けられたので、ごはんは雑炊がすきだな、くらいの気分で聞き流してしまった。しかも、何故か目の前には「飯がたりん!」「二杯目がほしい!」と乱闘を起こす芸座の面々。空にした椀を置き、かさねはごちそうさまの目礼をしているイチに訴えた。
「今ここで言う言葉ではないと思うが!?」
「は? 何の話だ。それより――」
「いやいや、それよりではない。そなた、そういう大事なことを言うときは、もっとちゃんと場所と状況を選んで、今から言うぞ!というかんじを出せというに。うっかり味わいそこねたではないか。……いや、御託はいいから、とにかくもう一回!」
「はあ?」
「もう一回、かさねが大切って言ってほしい! できれば、もっとこう、心をこめて! 甘く!」
乱闘騒ぎが起きているのをいいことに全身全霊で訴えていると、イチはかさねのほうをじっと見上げた。その姿は相変わらず愛らしかったが、鳥だといまひとつ表情がわからないというか、本気で面倒くさく思っているのか、単に照れているのか謎である。たっぷり長い間をとったすえ、いやだ、とイチは言った。
「あいしているかさねの頼みなのに!?」
「そこまでは言ってない」
うぬぬ、とかさねが口を尖らせていると、外で銅鑼が激しく打ち鳴らされた。
出立の合図らしい。取っ組み合って喧嘩をしていた一座が急におとなしくなり、身支度を整えて外に出ていく。かさねも着替えをしようとしていると、「おはよう、うさぎさん」とハナがいつものあでやかな姿で現れた。
「ハナ!」
ぱっと相好を崩して、かさねは顔を上げる。
「イチから聞いた。かさねを助けてくれて、ほんにありがとう。燐圭のことも……」
「たいしたことじゃないわ。たまたま目的地が同じだっただけだもの。それより、うさぎさん。あんた、これ着られる?」
ハナが閉じた扇子を振ると、背後から現れた肌の浅黒い巨漢の男が、どっさりと重みのある布の束を差し出した。はて、という顔をしたかさねに、「花嫁衣装よ」とハナが微笑む。
*
裾に細やかな草花の刺繍がほどこされた上衣に、真紅の裳。
裳紐を飾る翠玉の連なりは、歩くたびにしゃらしゃらと玲瓏なる音を立てる。
異国における婚礼衣装を模したもので、ハナいわく、神に嫁いだ娘のはなしをもとにした舞で使われるという。長い髪をいつもより低めに組み紐でくくったかさねは、「ついに四度目の花嫁姿よのう」と息をついた。
「どうじゃ、かさねはかわいい?」
手鏡を置いて、肩に留まった小鳥に尋ねる。
近頃のでれでーれしたイチなら、するっと「かわいい」と返してくれるのではないかと期待したのだが、「その服装で山を越えられるのか」と真面目極まりない言葉が返ってきた。興ざめである。
「それについては問題ないわよぉ」
衝立から顔を出したハナが、先ほど連れていた巨漢の男の胸を叩いて言う。
「うさぎさんはこいつに運ばせるから。さすがに病み上がりの女の子に山越えはさせないわよ」
「おお、それはかたじけない」
イチの言うとおりくるぶしまで覆い隠す長い裳は、歩行には向かない。巨漢の男に名を問うと、テンとこたえた。かさねの倍ほどの背丈で、筋肉隆々とした腕は丸太のような太さだ。
「地都の燐圭の野営地までは二日ほどの距離だったか」
「あら、今日の夕暮れどきには着く計算よ。あたしたちの知る道を使えばね」
長い睫毛を伏せて笑い、ハナは畳んだ扇子を帯元に挿した。
「さあ、出発するよ! くるい芸座ぁ!」
「はい、おかしら!!」
旅支度をした芸座の面々が声をそろえる。
テンが腰を下げたので、かさねは左腕を伸ばして背におぶさった。右腕を使えないかさねを慮って、フエがテンとかさねを紐で結んでくれる。これなら、険しい山道でも身体がずり落ちることはない。
外に出ると、噴煙のにおいが鼻についた。
朝であるにもかかわらず、空は厚い雲に覆われている。テンの肩越しに、時折雷鳴の轟く曇天を見つめ、燐圭、とかさねはつぶやいた。




