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白兎と金烏  作者:
序幕 天都探索編
13/164

四章、大地将軍(2)

「へええ、じゃあ嬢ちゃんたちは東の外れのほうの出なのか。道理で」

商隊は順調に灰森山を進み、日が暮れる前に野宿の場所を決めた。

 火で炙った固餅に胡桃味噌を塗ったものをほおばる。勢いよくがっついたため、舌が火傷しそうになり、ふうふう、とかさねが息を吹きかけていると、護衛の仲間で、ソラ、という男が話しかけてきた。

「道理とは?」

「東のほうはまだ、古い信仰が残ってるっていうだろ。西は、大地将軍が地都の沼主を追い払って以来、地神が減り始めているんだ」

「ふうむ?」

「あらぶる神は田畑を焼き、ひとをさらうから、かつては大変だった。そこに現れたのが大地将軍だ。でっかい太刀を担いでな、地神をばっさばさ斬り倒す。向かうところ、敵なしだ」

 ソラは興奮した様子で、唾をまき散らしながら大地将軍の立ち回りを語った。だが、かさねのほうはなんとはなしに面白くない。

「そなた、織の里の出であろ。里の守神はおらんのか」

「守神か? ううむ……近頃、祭りも廃れてしまってなあ。名も、そういえば何だったかな」

 首を捻って、ソラは腕を組んだ。

 固餅を食べ終えると、獣よけの薬草を周囲に振りまき、草の根を使っていくつかの罠を作る。草の根を輪にして作った罠は、端に鈴がつけてあり、獣や山賊などが過って踏めば、たちまち音が鳴る仕掛けになっている。さすが、何度も往復しているだけあって、ソラたちは慣れたものだった。あっという間に寝床を作り上げると、火の番を残して男たちは横になった。

「しかし、ねぐるしい……」

 耳のあたりで騒ぐ藪蚊を手で払い、かさねは目を開けた。ろろん、ろろん、と鳴く虫の声に混じって、寝入った男たちのいびきが大きくなったり小さくなったりする。背中に乗った誰とも知れない毛深い足をどかして、かさねは身を起こした。酷使したせいで、腫れた足をさする。これまでろくに歩いたこともなかったのに、ひと月の旅ですっかり足裏の皮も固くなってきた。毎日亜子にくしけずってもらっていた髪はぱさぱさになってしまったし、珠のようだと褒められた膚は尖った草がつける細かな傷だらけで、ずいぶんみすぼらしい姿になってしまったけれど。

(これもこれで悪くはない。気もする)

 髪をいじっていたかさねは、ふと山際に白い人影を見つけて瞬きをした。

「『こ』……?」

 あの桑の葉色の水干を着た子どもが、じっと山のほうを見据えている。何かを警戒しているようにも見えた。しばらくすると、茂みをかきわけ、『こ』の前にのそりと黒い鼻面が現れる。ひっ、とかさねは小さく息をのんだ。月光に照らされた毛並みがほの白く光っている。『鼻面』が低く唸り、『こ』が首を振る。幾度か、そうした問答を繰り返していたが、そのうち、ふたつの影はまぼろしのように消え入った。

「『こ』?」

 焦って、かさねはあたりを見回した。しかし、折り重なって眠る護衛と人足以外にひとは見当たらない。少し離れたところに夜番の焚火を見つけて、かさねは夜具代わりにしていた小袖を肩に引っかけた。

「……今宵の夜番はそなただったか」

 炎へ近付くにつれ、その前に腰掛けた青年の姿があきらかになる。女子どもを除いて持ち回りでやっているようだから、今日は偶然イチの番だったようだ。

「そなた、『こ』は見たか?」

「こ?」

「五歳くらいの童子じゃ。緑の水干を着た」

「さあ。こっちには来てない」

 無関心そうにこたえ、イチは枝を炎へ投げ入れた。ぱちりと火の粉が上がる。かさねは悩んだ末、イチが腰掛けた倒木の端に座った。

「やっ、藪蚊が多くて眠れんのじゃ!」

 心細くなったなどと口が裂けても言えるはずがなく、かさねは妙な言い訳をした。かじかんでしまった指先を炎のほうへ近づける。イチは片膝を引き寄せた姿勢で、口に咥えた口琴を戯れに吹いている。ひゅう、ひゅう。かすれた音が夜闇を震わせた。かさねは膝頭にぺたんと頬を乗せ、口琴と戯れるイチの横顔を眺める。

「……何だよ」

「うん? いや」

 なにも、と言いかけてから、思い直して頭を起こす。

「そなたはどんな子どもだったのかと思うてな」

 この男に「こ」のような幼少時代があったようにはとても思えないが。案の定、イチはつまらなそうに肩をすくめた。

「こまっしゃくれた可愛げのない餓鬼だったな」

「まあ、そうであろうなあ。可愛げのあるそなたなど想像がつかんもの」

「あんた、わざわざ俺に喧嘩売りに来たのか」

 半眼を寄越したイチに、かさねはふふんとしたり顔で笑ってみせる。

「では家族は?」

「家族?」

「父さまは? 母さまはどんなおひとだったのじゃ? 妹や弟はいたのか?」

 考えてみれば、ひと月近くともに旅をしているのに、イチ個人の話は聞いたことがなかった。身を乗り出して尋ねると、イチは金の眸を面倒そうに眇めた。炎がぱちりと爆ぜ、枝がまたひとふり足される。

「……ひとり」

「ひとり?」

「半身を分けた男ならいた。もう死んじまったけど」

 感情の見当たらない言葉をイチは玻璃のような目をして呟いた。

「そ……、」

 急に返す言葉を失ってしまって、かさねは俯く。

(そんな顔をするでない)

 ほんの少し前までは赤の他人に過ぎなかったイチ。未だ目的は知れず、壱烏の名前が本当かどうかもわからない。それなのに、セワ塚から出たあとも、もはや逃げようともせずともに旅を続けてしまっている。

(かさねはたぶん、知りとうなってしまった)

 この男の目的を、この男が抱えているものが何であるのかを。知ってしまったら、もう以前のかさねには戻れなくなってしまうのかもしれないけれど。

(知らなければ、先には進めぬ)

 ふとイチが何かに気付いた様子で顔を上げた。

「イチ?」

「しっ。音を立てるな」

 四方へすばやく視線をめぐらせたイチは、大ぶりの枝をつかんで焚火の火を移した。燃え上がったそれを暗闇に向けて投げつける。ぎゃん!と声がして、巨大な尾が後ろに飛びすさった。

「なんぞおるのか……?」

「――いる。前だ!」

 イチが燃やした枝を投擲する。ひらりとそれをかわした影が地に降り立った。気配に気付いて起き出した人足と護衛が悲鳴を上げる。そばに落ちた枝を尾で払った巨大な影は、灰色の毛並みをした山犬だった。山犬、といっても、かさねが知るものよりもはるかに大きく、ひとの背丈の三倍ほどはある。

「なんだ、何があった!?」

「動くな!」

 怯えた護衛のひとりがイチの制止を破って刀を抜き、山犬へ向かって振りかぶる。山犬の動きは速かった。大きく跳躍したかと思うと、疾風のごとく刀を握る男の脇を駆け抜け、対面の岩の上に降り立つ。その口には棒切れに似た何かが咥えられていた。

「うわあああああああああ!?」

 男の咽喉から悲鳴がほとばしる。山犬が咥えていたのは、刀をつかんだ男の腕だった。へたりこんだ男に、闇夜からまろび出た二頭目がさらに襲いかからんと前脚に力をためる。

『灰森山を治める山犬様のご機嫌が悪い』

 織の里での商人の声が脳裏で蘇る。

『灰森山を通る者を襲い始めて……』

(よもや山犬神がひとを襲っているというのか……!)

 血濡れた鼻先を見つめ、かさねは背筋を冷たくさせた。

 きぃぃぃぃぃん……

 そのとき、聞き覚えのある笛の音が空を震わせた。山犬たちが今にも飛びつかんと身をかがめたまま、動かなくなる。

「逃げろ!」

 口に押し当てた口琴を離すと、イチが声を張った。通りのよい声に頬を張られたように、動けなくなっていた者たちが身を起こす。櫃を運ぶのは難しいと考えたのだろう。人足たちも何も持たずに一斉に駆けだした。

「かさね」

 外した口琴をかさねの首にかけ、イチは人足が逃げていった方角を目で示した。

「あんたは先に行け。それは、絶対に落とすなよ」

「でも、イチ、イチは」

「いいか。落とすな」

 短く命じて、イチはかさねの背を強く押す。どうしたらよいかもわからぬまま、かさねは数歩惑うように歩き、結局走り出した。中途半端に石で舗装された道は、足を取られて走りづらい。息が続かなくなりそうだったが、足を止めればたちまち背に山犬の爪が迫る気がして恐ろしかった。

(イチ。イチは)

 振り返ると、片腕をなくしてしゃがみこむ男に山犬がにじり寄るのが見えた。

「あっ」

 山犬の太い前脚が大地を蹴る。ちかり、とその背で銀色の刃が光った。

「イ――」

 イチの投擲した刀は寸分たがわず、山犬の喉に刺さった。のけぞった山犬が背中から岩に落ちて鞠のように弾む。むき出しの牙の合間から赤黒い血が吐き出された。地面に転がった刀を拾い、イチは四肢をばたつかせる山犬の懐にもぐりこむ。そしてその首にさらに刀を突き立てた。

 ぐぅ……

 弱々しい唸り声を上げ、山犬がぱったり動かなくなる。

(斬った)

 かさねは驚愕していた。

(山犬様をあやつは斬った)

 よろめいた爪先が石に引っかかって身体が傾ぐ。

「うわっ」

 受け身も取れずに、かさねは地面に叩きつけられた。身体がじんと痛む。思いきりぶつけたせいで血が出てきた鼻を抑え、よろよろと身を起こそうとすると、少し離れた先にしゃがみこむ水干姿の童子を見えた。

「こ……」

 三頭目の山犬が童子の前に降り立った。

「だめ……だめじゃ!」

 とっさに首にかけられた口琴をたぐり、唇を押し当てる。きぃぃ、とかすれた音が鳴った。だが、山犬が気にかけた様子はない。

「何ゆえじゃ!?」

 唇を噛み、かさねは足元の石をつかんだ。それを両手で投げつける。石は山犬にははるか届かず、近くの焚火に突っ込んだが、衝撃で跳ねかえった枝が山犬の鼻に当たった。

「『こ』!」

 山犬があとずさった隙に、かさねは飛び出て童子の腕をつかむ。

「こっちじゃ!」

 だが、少しも走らぬうちに、山犬なのかひとなのかわからない体液で濡れた石に滑って再び転んだ。腹のあたりをしとど打ち付け、息を詰まらせる。かたわらに投げ出された童子も苦しそうに背を上下させていた。その背がぱっくり切り裂かれていることに気付き、かさねは泣き出しそうな気分になる。

(まもらねば。かさねが守らねば)

 なまぐさいにおいがむっと押し寄せた。目の前に恐れていた二本の脚が降り立つ。

「う、あ……」

 山犬の黄色く濁った目を向けられると、それだけで身体が動かなくなった。かちかちと合わない歯の根を鳴らして、かさねは口琴を引き寄せようとする。

「ええい、うごけ! うごけ、というに……っ」

 無理に引っ張ると、口琴の紐が千切れて手のひらから滑り落ちた。数歩先に転がった口琴を愕然とした思いでかさねは見つめる。そのときにはもう山犬がこちらへひと息に跳躍している。

「いち……っ」

 こういうとき最後に縋るのはやっぱりイチなのかと自分が心底情けなくなる。せめて「こ」だけは守ろうと、背の後ろに押しやってぎゅっと目を瞑ると、なまあたたかい息が頬をかすめた。直後鋭い刀鳴りが走り、目を開いたかさねの視界いっぱいにどろりとした赤黒い血の雨が降る。

「――っ!」

 だが、かさねが頭から血をかぶる前に、白い衣が身体を包んだ。誰かの手によって上から衣をかぶせられたらしい。薄い絹越しに、血と肉片が次々落ちてくるのが見えて、かさねは口元を覆った。

「おや、悪い。お嬢さんがいたとは」

 軽く笑う声が落ち、鍔鳴りをさせて太刀が鞘におさまる。かさねの前に立っていたのは、見知らぬ長身の男だった。正面からまともに山犬の血をかぶったらしく、衣が真っ赤に染まっている。その中で爛と光る黒い眸だけが底無しの闇のようだ。

「山犬のにおいを追って来てみれば。まったく、大蛇に山犬と気も休まらん」

「大地将軍!」

 胸当てをつけた兵士が走ってきて男のかたわらに跪く。かさねたちを襲おうとした山犬はどれも首がなくなり、胴体だけの姿になって地に横たわっていた。

「怪我はないか、お嬢さん。ああ、そなたにはちと奇妙な『護り』がついているな」

「まもり?」

「それだよ」

 大地将軍はかさねのかぶりにかかった白絹の衣を指して、意味深に目を細めた。艶やかな感触に指を滑らせ、衣を取り去る。とたんに、血の臭気が濃くなった。

「ふ……くっ……」

 腹の底から酸っぱいものがせり上がってきて、石の上に吐く。

「年頃のお嬢さんには、悪いものを見せた」

 えづき始めたかさねに一瞥をやって、大地将軍が肩をすくめる。吐くものがなくなっても震えがおさまらず、身体を縮こませていると、背中にあたたかな手が触れた。そのまま絹衣ごと抱え上げられ、かさねは瞬きをする。イチだった。

「待て。山犬の一頭を屠ったのは、そなただろう?」

「さあ」

視線すら合わせず、イチはこたえた。

「たいした腕だが、次は首を狙うといい。確実に死ぬ」

「ご忠告どうも」

 そっけなく言って、あとは振り返りもせずにイチは歩き出す。

「なんと不敬な……」

 将軍を相手に礼すらしないイチに、兵士たちが不満そうな顔をしたが、大地将軍のほうは「放っておけ」と苦笑気味に首を振った。

 この日狩られた山犬は、六頭。

 もとは灰森山を守る地神であったと護衛のひとりが呟いた。

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