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白兎と金烏  作者:
終幕 天帝花嫁編
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三章 魂呼び(1)

 焼け跡にのこされていたのは、一本のセワの若木だった。

 樹木星医がいうには、これが次の樹木神になるのだという。そういう風にして樹木神は、いにしえから何度も何度も、交代をしてきたのだと。

 みずみずしい青葉を風によそがせる若木に、かさねは水をやった。

 すくすくと育たれよ、と声をかける。

 いつか、強く美しい老樹の姿をこの若木に伝えたかった。


 *


 見晴らしのよい嶺はないだろうか、と尋ねたかさねを、樹木星医は緑嶺のいただきまで案内してくれた。道中、傷ついた老神の眷属たちが焼かれた大地をせっせと繕っている姿が目に入る。かさねの視線に気付いたのか、「しぶといのが我々の《《さが》》だからね」と樹木星医は肩をすくめた。

 この古老も火の手からはまぬがれたらしい。

 巨大な岩がいくつも転がる山道をのぼる足取りは軽い。かさねのほうが息を切らしながら、なんとか樹木星医についていくと、急に視界がひらけた。

 平たい岩のうえからは、焼かれた星和の森と、その先に広がる、冬山の連なる大地が隅々まで見渡せた。凍てた風が、かさねの火傷の残る鼻先を撫ぜる。澄んだ空気を胸の奥まで吸い込んで、かさねは常緑の彩色がほどこされた口琴を引き寄せた。


「お嬢さん」

「なんじゃ?」

「ひよりどのは代償の話はしたかい?」


 代償。

 女神の力を使う代償。

 わずかに気遣うような樹木星医の顔を見て、かさねはふふんと口端を上げた。


「愛の力は無限ゆえな」


 軽やかに笑い、口琴を口に押し当てる。

 セワの木肌を削ってつくった笛に深く息を吹き込んでいく。わだつみの宮で神器を呼ぼうとしたとき、イチはどのように笛を吹いたのだったか。子守唄のごときやさしげな笛の音だったような気がする。あのときのことを思い出しながら、息を吹き込む。はじめかすれがちだった笛の音は徐々に澄んで、あたりに透明な波紋のように広がっていった。

 

(こちらじゃ)

(そなたが帰るのはこちらじゃ)

(イチ)


 笛の音に共鳴したかのように、かさねの足元の岩肌がするすると糸のようにほどけていく。ほどけたはしから、金の粒子が無数の蝶のように舞った。それらは何かから解き放たれかのように、天に向かって翔けのぼっていく。


(ここじゃ。かさねはここにおる)


 かさねの身体も岩と同じようにするするとほどけ始めた。感覚を失った右腕に蝶がとまり、二の腕から肩にかけても金の粒子に転じだす。右目の奥が熱い。ひかりが集まり出して、目のふちから金の粒子が舞う。大気と岩と風とかさねと。すべてが交わりあい、解けていく。


(ここじゃ、かさねはここ……)


 右肩から下が霧散したはずみに、体勢が崩れて口琴が口から外れる。無数に舞っていた蝶がかき消えた。膝をついて荒く息を吐き、かさねは額に浮かんだ汗を左手で拭う。あたりを見回すが、かさねが探しているものは見つからない。ただ平らな岩肌の裂け目からは、先ほどはなかった草木が芽吹き、白い花を咲かせていた。

 背をこごめるようにして乱れた呼吸を整えるかさねのそばに立ち、「お嬢さん」と樹木星医が呼びかける。


「大丈夫かい? ひとが扱うにはその呪具は――」

「まだじゃ。まだ……」


 樹木星医の声を遮るように首を振って、かさねはふらふらと立ち上がる。

 今度はもう少し息が長く続くように腹に力を入れて口琴を吹く。

 だが、やはり同じだった。

 白い花が咲いて散り、散った種からふたつみっつと花が次々芽吹いてかさねの足元で咲き乱れる。焼け出された大地が、徐々に緑に転じ始めるのを、樹木星医は驚いた風に眺めた。眷属たちの傷ついた身体に触れた緑の蔦が、彼らの傷を癒し、花を咲かせる。噎せ返るような命の円環を繰り返す。かさねを中心に何度も。


「まだ……」


 同じことを百回、

 千回と繰り返した。

 ぜい、と息をつき、かさねはふらふらといつの間にか芽吹いた草花に覆われた大地のうえに倒れ込む。太陽が落ちて上がるのを幾度繰り返しただろう。冬山はすっかり新緑の山へと転じ、かさねの周囲には草木が生い茂っている。


「あのぼくねんじんめ……。かさねが呼んでいるのに、さっぱりこたえないではないか。魂になっても鈍感だとは!」

 

 ひよりに聞いたときはもう少し簡単に魂を呼び戻せるものだと思っていた。ひよりも愛の力があれば大丈夫そうなことを言っていたし。かさねが呼べば、イチはすぐにかさねの前に現れてくれるだろうという自信があったのだ。

 しかし、これである。

 転がったまま息を切らしていると、むくむくと怒りにも似た気持ちが膨らんできた。むくりと身を起こし、「ええいやめじゃ、やめ!」とかさねは天を睨む。


「口琴などもうまどろっこしいわ。イチ!」


 かすれた声で呼びつけ、かさねは立ち上がった。


「イチ! イチ! イチ!!」


(たのむ)


「かさねにこたえよ!」


(ひとりにしないでくれ)

(かさねをひとりにしないでくれ)


「イチ!!!」


(ともに歩いてくれ)

(まだ)


 握り締めていた口琴の紐が切れ、草地のうえに落ちる。転がった口琴の中から金の蝶が一羽ほろんと現れ、吹き込み口のうえに留まった。目が合った気がして、かさねは息をのむ。


「そ、そこにいるのか……?」


 かがみこみ、おそるおそる口琴ごと蝶を両手ですくいあげる。

 かさねの手の中で蝶はぱったり翅を閉じて身を休めた。まどろんでいるように見える蝶を手に包んでいると、急に心臓が激しく脈打ち始める。


(ほんとうにこれがイチなのだろうか)


 期待と不安がないまぜになって、手が震えてくる。それに魂だけの存在になったイチがちゃんと自分のことを覚えているかもよくわからなかった。


(あやつは壱烏のことは絶対忘れない)

(しかしかさねのことは)

(結構するっと忘れるやもしれん……)


 思い至ると不安が大きくなり、どうしよう、とかさねは冷や汗をかく。


(これで、あんた誰だ、とか言われたら)

(さすがに立ち直れぬ……)


 打ち鳴る鼓動をなんとか落ち着かせ、かさねは手の中の蝶をじっと見つめた。まどろんでいるのか、翅をとじたまま、蝶は静かにしている。何かを話しかける様子もないが、逃げ出す気配もなかった。


「う、莵道かさねじゃ」


 いちおう名乗りをあげて、唾をのみこむ。


「よいか。忘れているかもしれんが、そなたはイチと言ってだな。人間の男で、かさねほどではないが見目麗しく、金目が特徴で、身のこなしは獣のようだった。あと、かさねが出会った人間の中でも、いっとう朴念仁じゃ。まあそれでも、そなたはかさねの大事なひとで……。そなたも近頃は結構かさねを好いていたと思う。……。……いや? よく考えると、わりと途中からはそなたのほうがかさねにぞっこんであったし、自分で気付いてないだけでこれはもう完全にかさねに落ちたというか、最後は乞われて結婚の約束までした仲であるのだが」


 調子に乗ってとくとくと語り始めていると、何故か手の中の蝶が白けた顔で自分を見つめるのが見えた、気がした。ふるっと翅を震わせた蝶はかさねの指先に留まって、はぁ、と息を吐き出す。やたらに人間くさい仕草だった。


(そんな約束をした記憶はねえぞ。《《かさね》》)


 蝶を映したまま、かさねは大きく目を見開く。


「イ……、」


 口を開いたが言葉にならず、代わりにくしゃくしゃと相好を崩す。蝶をとまらせた指を額に押し当てて、かさねは大きな声で泣き始めた。

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